常々、日本の古典 に関わる常識の欠如を感じておるものですから、
機会があればそれを補う契機にもなろうかなというものを覗きに行ったりするわけでして、
このほど訪ねたのは「書物で見る日本古典文学史」展@国文学研究資料館でありました。
主に同館所蔵の古文書が展示されて、(ガラスの向こうではあるものの)実物を見ながら
日本の文学史をたどろうというものですけれど、「そう言えば、そうだったかな…」と思いますのは
文学史の時代区分が独特のものであるようなということでありますね。
その辺をたどりつつ、振り返っておこうかと思います。
まず最初に来るのが「上代」という区分、これは奈良朝以前のものを指すのですな。
当然にして「古事記」や「日本書紀」、そして年代には幅がありますけれど「万葉集」も
この頃の産物でありましょうか。
ちょいと注目したのが「風土記」でありまして、
和銅六年(713年)に「元明天皇が諸国に撰進を命じた地誌」ということですが、
現存するのは常陸、播磨、出雲、豊後、肥前の5カ国分なのだとか。
元明天皇当時に奈良朝の支配が日本のどこらまで及んでいたのかは
あいにく知識を持ち併せていませんけれど、それでもかなりの国に命令は届いていたろうと。
「宿題、やるの忘れました」的な反応の国があったかどうかも不明ですが、
とにかく残っているのは5カ国のみ。
となると、この5カ国では保存することに何かしらの手段が講じられたのではないか
と思ってしまいます。あるいは残そうとの意志が受け継がれていったとか。
そして、大方西国中心である中で、東国では唯一つ「常陸国風土記」が現存するというのも
古代における常陸エリアのありようをいささか重く受け止めたくなったりもするところではないかと。
ちなみに現存するといっても、8世紀初頭の冊子がそのまま残っているわけではなくして、
後世の写本としてなんですけどね。
と、この調子で文学史をたどっていったらどれほど長くなってしまうかと危惧しますので、
駆け足でいきますが、上代の次は「中古」、ほぼ平安朝をカバーするようです。
しかし、平安朝は長くもあり、また移り変わりもありということで、
初期・中期・後期・末期に分けられるとか。
初期の特徴は漢文(漢詩)が中心であって、
仮名文字の和歌はむしろ漢詩文の下風に立たされていたそうな。
これが逆に勢いを得て、仮名文字が公的にも地位を確立するのが中後期であると。
日記や随筆、物語文学が盛況になっていったようすは、
あまり詳しくない者にもあれこれの題名が思い浮かぶところから想像に難くないところであります。
平安末期というのは院政期のことだそうですが、そこを経て今度は「中世」。
武家政権の始まりが文学史上の画期と必ずしも一致はしないでしょうけれど、
支配者が変わるといろいろな面で風潮も変わるでしょうからねえ。
鎌倉、室町、安土桃山と武家社会の続く中で、
これまでは基本的に支配者層のものであった文芸が
庶民との間で相互乗り入れするようになっていったのだとか。
例として、和歌のたしなみが貴族・武士から庶民に連歌という楽しみとして伝わる反面、
庶民にとっての娯楽であった能・狂言 が貴族・武士階級の側で格式化されるといったふう。
そして「近世」はそっくり江戸時代ということになりますけれど、
うっかりすると江戸幕府が出来たとたんに日本の中心は江戸になって…と思いがちなところ、
やっぱりそうではないのですなあ。
幕府の始まりには日々の生活物資にも事欠くの江戸であって、
酒や醤油などなどの上物が関西から江戸へと下ってくるところから「下りもの」と言われ、
反対に江戸で造られた「下っていかないもの」はうまくないもの、詰まらぬものと目された。
今でもよく使われる言葉「下らない」の元でありますね。
同様に文芸の面でも、江戸期を通じて前期は上方中心、後期は江戸中心ということになるそうです。
これまた例えばですが、近松門左衛門の生没年(1653~1725)と
滝沢馬琴の生没年(1767~1848)を比べると、イメージしやすいかもしれません。
とまあ、極めて雑駁な振り返りですけれど、時代は明治となると文学史では「近代」へ。
そこいらは今回の展示の埒外でしたので、取りあえずはこのへんで。
まあ、こうして少しずつではありますが、常識を身につけていっておる次第です、はい…。
