道の駅ごか 」から利根川の堤へ至る道は、
いばらきヘルスロードという健康増進のためのウォーキングコースに指定されておる由。


おそらくは何かしらモニュメンタルなものにでも出くわすかと、

いささかの期待がありましたですが、見事に肩透かしをくったよう。


絵に描いたような(ピクチャレスクな?)田園風景の中をひたすら歩いていくというふうで、
しかも途中からは予想もしない人波に巻き込まれるという事態が出来したのですね。


ちょうどこの日は「柴又100K」というランニング・イベントの開催当日であったようす。
葛飾区の柴又から江戸川べりをひた走り、利根川からの分流地点に当たる五霞町で

折り返して戻ると都合100kmになるという、マラソンのおよそ2倍近い距離を

走りぬくものなのだそうですよ。


田んぼを眺めやり、カエルの鳴き声に耳を傾けつつ、長閑な気分で歩いていたですが、
ふと気付けば「はぁ、はぁ」「ぜいぜい…」という息音とともにどんどん後ろから抜かれていく。


体の前後に貼り付けたゼッケンに「今年も完走!」とか「やるしかない!」とかいう
自らに檄を飛ばす言葉が書き付けられたランナーが、わき目もふらずに走っておったのですね。


個人的にはただただ走る、あるいはただただ歩くてなことには

余り情熱を燃やすことができない方でして(だからこそ立派な運動不足になるのでしょうけれど)、

寄り道、わき道、迷い道の途中であちこち覗いて廻るものですから。


そりゃあ100kmも走るとなるとJRで言えば東京~熱海の距離ですから、
完走すれば達成感もあろうとは思うも、「わき目もふらない」のは何とももったいないというか、

「ご苦労さま…」てな感想ばかりで…。


そうした一幕もありましたですが、差し当たりは30分足らずの歩きで利根川の土手の上に到着。
何だかとっても広々とした感じがあって、「来たなぁ」感ひとしおの瞬間でもありました。


利根川の土手上から筑波山を望む


雨上がりで雲が多いものの、筑波山が大きく見えることで
逆に関東平野の広がりを意識するといいましょうか。そんな気がしたものでありますよ。

しかし、しかしです。


利根川の土手の上にいながら、ほとんど川面が見えないではありませんか。
そして、あたり一面に草ぼうぼうの状態でどうにも川岸まで近づけそうもないという。


ここまでやってきた目的のひとつをようやっと披瀝するならば、
利根川と江戸川の分流する、まさにその地点を見たいと思ってやってきたのですが、
「こりゃあ、無理だ…」と事の外がっかりすることになってしまいました。


気合があれば、草を掻き分けてでも岸に到達し…という手段もあったかもしれませんけれど、
かような暴挙に出なくて本当に良かったということが、もう程なく知れることになるのでありますよ。

川はいずこに?


ただ、そのときには土手の上をじわじわと下流側に歩いていくと、
ちらりとでも分流する川面が見えるかもしれないとの期待を抱いていたものの、
ほどなくして利根川の土手だと思っていたのがいつしか江戸川の土手になっていたという…。


ところで、なんだって利根川と江戸川の分流点に拘るのかを

お話してかないといけませんですね。
ふた月ほど前に出かけた群馬県館林市

そこで立ち寄った足尾鉱毒事件田中正造記念館 での展示が関係しておりまして。


江戸川との分流点から少しばかり利根川を遡りますと、
足尾鉱毒事件と大きく関わる渡良瀬川が利根川へ流れ込んでいます。

下のGoogle map切り出し地図では、左上の角にその合流点が見て取れようかと。

(右下には、利根川と江戸川の分流点があります)


利根川と渡良瀬川の合流点


古くはこの渡良瀬川も利根川とは別に独自の流れをもって
江戸湾(東京湾)へと注いでいたのだそうですが、
利根川の流路を人工的に変えていく過程(利根川東遷事業と呼ぶらしい)で
利根川へ注ぐ支流とされ、渡良瀬川の水は利根川に合わさって

銚子から太平洋へ注ぐことになったわけです。


結果的に江戸が見舞われる洪水被害は軽減されたようながら、
逆に水の流れが許容量を超えた場合は川の途中で溢れかえるという事態が生じてしまう。


渡良瀬川が溢れ、結果として鉱毒被害が周辺地域にまで拡大したのは、
川が自然に流れていきたい方向を無理やり人の手で変えてしまったからだ…
田中正造 は考えていたのですな。


本当は東京湾の方へと南下したい自然な流れと

無理やりでも東へと流してしまいたいことから造られた人工的な流れ。
このせめぎ合いを今、目の当たりできる可能性があるとすれば、
東へ向かう利根川と南へ向かう江戸川の分流点ということにもなろうかということなのでありますよ。


「目の当たりにする」という点では目的を果たせませんでしたけれど、
川面が見えないほどに草が繁った川原の広大はすなわち

場合によってはどれほど大量な水がここを流れなければならないのか想像させることにはなりました。