以前、タイル絵
がらみでペルシア文学にまつわる講演会
を聴きにいったですけれど、
世界史の授業で出てきたアケメネス朝ペルシアとかササン朝ペルシアとか、
それこそイスラム化する前のことばかり浮かんできて、要するにイランのことは何も知らない…と。
ですが、イスラム的なるものに真向かいに対峙するのがいささか重い気がしていたですが、
光文社新書に「イラン人は面白すぎる!」という一冊があるのを知り、
むしろ軽すぎるのかもと思いつつ、読んでみることにしたのでありました。
著者はイランの人ながら、現在は日本にいて
(個人的には全く知らないながら)吉本興業に所属する漫才師だそうなのですね。
ネタが過激(国際情勢絡みでもあるような)であるが故にTVには出られないと自ら言ってますけれど、
そんな著者が言うことにまずもって「そうだよな」と思うところ。
それは、イラン=イスラム=テロリストみたいな短絡的なイメージで見られることに対して
日本人も「日本=オウム真理教=テロリスト」と一事が万事見られたら悲しいでしょう…と。
なるほど、日本人にもテロリストや犯罪者はたくさん(?)いるであろうものの、
それを日本人イコールと考えられるのは「どうよ?」でさぁね。
裏返せばイランの人も同じだと、こうした発信を受け取ること自体無かったなあと思うところです。
また、イスラムということも、とかく「イスラムったらイスラム」みたいな見方をしてしまっているような。
そうした部分にも著者はスンニ派とシーア派の違い(簡単に言うとシーア派のゆるさ)を示して、
シーア派が多いイランの人たちはゆるい(というか何というか)日常を教えてくれるのですね。
例えばですが、ムスリムは基本的に一日に5回の礼拝をしなくてはならないものと思い込んでますが、
シーア派は朝、昼、晩の3回でいいのだとか。
さらには「お祈りができない状況下であれば怠っても罪にはならないと、
イスラム法と規定にある」のを楯にとって、
何かつけこれを拡大解釈する(有り体に言えば礼拝をサボる)のがイランの人だと著者は言います。
熱心なというか謹厳な信者からすれば
「これだからシーア派は!これだからイランは!」となるんでしょうなあ。
スンニ派の周辺諸国とどうも仲良くできないのは、こういうところかとも思ってしまうわけです。
ですが、こうした始まりのところでは同じ宗教ながら、
宗派の違いで対立するとはこれに限った話でないですね。
キリスト教のカトリックとプロテスタントも三十年戦争ばかりでなく、年中いざこざを起こしてたですし、
宗派の違いが国を分ける(ベルギーとオランダとか)ことがあったりもしました。
ですが、キリスト教のこうした争乱が過去(完全にかどうかは分かりませんが)のものであるに対して、
イスラムの場合はどうにもこうにも現在進行形であることが大きな違いではないかと。
コーランには「聖戦」という考え方があって…と言うには知識不足ですので深入りはしませんが、
それでもイスラム教が成立してから千数百年経つうちには、
当時はそうだけれど今は違った受け止め方をしたほうがよかろうということに
気付くことだってあるでしょうし。
これもイメージで言ってはなんですが、そうした気付きに対しての頑なさと言いますか、
これまた例えば「女性は弱く、守らなければならない対象」(著者の説明)であるところから来る
服装や一夫多妻といったことが今でも残るようすは、
傍目で見れば頑なさのようにも思えてしまうところかと。
改めて歴史を紐解いてみても、科学技術などの点において
イスラム世界がヨーロッパ世界をリードしていたことがあるわけで、
科学の発見からはどうしたって宗教的な理屈を覆してしまうようなことも出てきてしまうのでは…
と考えると、どうして頑なさが感じ取れてしまうのか…。
話を複雑にするつもりはないながら、どうしても複雑になりそうですけれど、
歴史は歴史としてありつつも、今のありようにはどうしても
ユダヤ、イスラエルが絡んでくると考えざるを得ないのかもですね。
そちらの方々も頑なさという点では輪を掛けて頑なかもしれませんから、
それと相対する中ではそうならざるをえなかったという面もあるような。
まあ、頑な頑なと言いながら、
我ながら中東方面への眼差しというも頑なであったようなところ、無きにしもあらず。
そこへ持ってきて(タイトルと語り口調は軽さの極みではありますけれど)、
思いがけずもやんわりじわりと揺さぶりを掛けてくれる一冊ではあったのではなかろうかと。
本の内容には余り触れませんでしたので、どうぞ読んでからのお楽しみということで。
「ほんとかよ?!」という話が次から次へと出てきますですよ。