「藤原京物語」と題した講演会を聴いてきたのでありますよ。
奈良県橿原市と同市観光協会の主催で、
首都圏でこうしたイベントを開催するのは初めてとのことなのだそうです。
冒頭の主催者挨拶にあったですが、奈良といって橿原市を思い出す人は少なかろうと。
いわゆる奈良、つまりは平城京ですな、こちらの方が圧倒的な知名度であって、ちと残念…。
そこで、東京方面からももっと観光客に来てもらいたいと、イベント開催の運びとなったそうな。
(もっとも平城京は平城京で、平安京にインフェリオリティー・コンプレックスがあるような)
個人的には昨年末近くにたまたま持統天皇を取り上げた「日輪の賦 」を読んでなければ、
おそらく聴きに行こうと思うことはなかったでありましょうけれど、
ともかくこうした未開拓の人々にアプローチしようということでありましょう。
(いつものことながら、釣られやすい性質であることよ)
講演者はお二人。
フライヤーとは順序が逆になってましたが、一人目は漫画家の里中満智子氏、
「天上の虹」という持統天皇の物語を描き続けている(最終23巻で、この3月に完結だそうで)
ことから、作品絡みの造詣が深いとして依頼されたものでありましょう。
自身の万葉集体験に始まるお話でしたけれど、
「万葉集って、そういう興味の持ち方もあるのか」と思いましたですね。
例えばですが、額田王の「あかねさす…」の歌、
そしてこれに返す大海人皇子の歌「紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に吾恋ひめやも」、
このやりとりを万葉集に見かけた中学生の里中さんは、「あらま、不倫の歌ではないか…」と。
そこまでなら誰でも思うかもしれないですが、
不倫の歌が公然と万葉集に取り上げられているのはどうしてなのか…
と背景探索に向かったのだとか。
調べれば当然に、額田王を挟んた大海人皇子と中大兄皇子の関係が浮上してくるわけでして、
こうした歴史的背景と併せて読み解いていくと、いやがうえにも興味は弥増すといった具合。
これに対して、古文・古典 の授業はどうであったかといえば、
文法ばかりでつまらなかったというこの辺り、全くもって大きく頷いてしまうのでありましたですよ。
ま、それはそれとしても里中さんのような興味の持ち方はあったろうに、
完全スルーを決め込んだばかりに、齢を重ねた今頃になって…ということになった原因ですな。
さて、もうお一人の講演者は奈良県立橿原考古学研究所の所長である菅谷文則氏。
歴代天皇のうちでもひときわ多く33回も持統天皇が吉野に行幸したことにも触れ、
吉野の仙境を思わせる風景と役行者との関わりも併せて、
仏教、神道に加えて道教的な要素を融合的に取り入れながら持統天皇は
まつりごとを行ったのではないか…と言っておられましたですよ。
勝手に想像すれば、こうした点からはかなり自在な宗教観は
あたかも現代の日本人にも近いような気がしますし、
基本的には亡くなると古墳に土葬で埋葬された当時にあって
自らは火葬され、小さな骨壷に収まって天武天皇に寄りそうように埋葬されたなんつうあたりも
この時代のわりには発想の自由さがあった人なのかもしれませんですね、持統天皇は。
会場ロビーには飛鳥・橿原の観光パンフレットが多々置かれていたりして、
そうしたものを見るにつけても、デスティネーションとして魅力をアピールは成功してるような。
もっとも、講演が始まる前に会場スクリーンに大映しされていたのは、
昭和天皇の橿原神宮行幸と紀元2600年万歳的なニュース映像であって、これには引け気味。
また、ご当地ゆるキャラと思われる「さららちゃん」(持統天皇の和名が元)は
「かわいいですね~」と紹介されたものの、その異様な目つきに怖れを感じで、少々痛い。
とはいえ(配布された資料の中に案内のあった「神武祭」の時期は混むから外すとしても)、
ぶらりとしに出かける行き先候補としてはリストアップしておかねばなあと、
今さらながらに思いましたですよ。