年末のベートーヴェン「第九」 ほどではないにせよ、
年明けの新春コンサート的な演奏会でよおく取り上げられるのが
ドヴォルザークの「第九」(交響曲第9番)でありますね。
多分、新しい年の初めに「新世界より」という響きがマッチするだろうと誰かが思い付いたのか…。
実際には曲の響きというよりも、タイトルの語感でありましょうけれど。
以前、「新世界より」のCDジャケットを並べて見比べたことがありましたですが、
ひとつのパターンとしては新世界=アメリカの印象からか、
ですが、聴いてみて(といっても、思い描くイメージは人それぞれですので、個人的にですが)
浮かんでくるのはどちらかと言えば、ボヘミア の農村というか、大地というか。
「家路」とか「遠き山に日は落ちて」とかいうタイトルで歌詞のつけられた、有名な第2楽章も
およそニューヨークの摩天楼の印象ではないでしょうし、
これまた有名なメロディーである第4楽章第1主題の後にくる経過部(というんでしょうかね)などは
あたかもボヘミアの平原を、馬に鞭をくれながら疾走する荷馬車の勢いといったふうではなかろうかと。
ですが、だからといって見比べてみたCDジャケットの中には、
ピーテル・ブリューゲル描くところの農村風景をあしらったものがありましたですが、
これまたやり過ぎてな気もしないでもない。
とまれ、かなり人口(人耳)に膾炙したこの曲も、
結果的に毎年の聴き比べ状態にある昨今かもしれませんですね。
会員になっている読響では1月には登場しなかったものの、
やおら2月になってこの「新世界より」が演奏される運びに。
正直言うと「また、新世界か…」とも思ったですが、そこはそれ、
シルヴァン・カンブルランが振るとなると、何かやらかしてくれるかもとの思いもまたあり、
聴いてきてみたら…というお話でありますよ。
全体のプログラムはこんなふうでありました。
- 武満徹/鳥は星形の庭に降りる
- バルトーク/ヴィオラ協奏曲
- アイヴズ/答えのない質問
- ドヴォルザーク/交響曲第9番ホ短調作品95「新世界より」
前半に2曲、後半に2曲で、どちらかと言えは「新し系」の曲が並んでいるだけに、
むしろ「新世界」が添え物かとも思ってしまったですが、何より「やられた…」と思いましたのは、
後半、アイヴズの静謐な世界が消えていく中、指揮棒を完全に下ろす間もなく、
「新世界」の第1楽章に入っていったのですね。
あたかもアイヴスを枕というか、序奏のように使ったこの演出、
「またか」という程に聴き馴染みの「新世界」が全く違った面持ちで立ち上ったのでありますよ。
アイヴス以前の曲も含めて、それまではやや前衛色を漂わす響きの中にいただけに、
調性に基づいて流れるメロディーや明確なリズムといったものが非常にクリアなものに
感じられたのですね。「技ありだよなあ」と。
もちろん全体の演奏そのものも、最初の新奇な演出の余韻ばかりでなく、
ライブならではのノリのいい演奏と言いますか、
新世界に「またかと言って、すいません」と頭を下げてしまうような
わくわくの演奏でありました。
しでかすときには何かしでかすカンブルラン、
読響の常任指揮者なのですから、東京芸術劇場のシリーズにも
もそっと登場機会を増やしてもらって、もそっと何かしでかして欲しいものですなぁ。