うかうかしているうちにジョルジョ・デ・キリコ展@パナソニック・汐留ミュージアムの

会期終了が近づいとりました。

だものですから、出掛けてきたのでありますよ。


ジョルジョ・デ・キリコ展@パナソニック汐留ミュージアム


以前のブログで一度、デ・キリコをちょろっと探究したことがありましたですが、

そのときにも、例えば本展フライヤーに使われているような不思議絵、

「形而上絵画」と言われるものですけれど、そうした類いこそデ・キリコだと思っていたのが

必ずしもそうではないことに気付かされたわけです。


で、今回の展覧会は回顧展として生涯の画業を振り返るものでありましたから、

「変遷と回帰」という言葉が添えられ、いわゆるデ・キリコらしい作品ばかりが

デ・キリコではありませんよということを教えてくれる機会でもあるのですね。


展示の仕立ては5部構成になっておりまして、

それぞれにこんなタイトルがつけられておりました。

  1. 形而上絵画の発見
  2. 古典主義への回帰
  3. ネオバロックの時代
  4. 再生-新形而上絵画
  5. 永劫回帰

これだけ見ますと、最初の方ですでにいわゆるデ・キリコらしい形而上絵画があって、

一端伝統的なところへ回帰し、古典主義風であったり、ネオバロック風であったりする作品

製作していたものの、やっぱり形而上絵画に戻ったのね…と思うところかと。


ですが、例えば馬の絵が本展では結構展示されてますけれど、

(デ・キリコにとって「馬」はかなり重要なモティーフだったらしい…)

ネオバロックの時代にあっても、写実性の観点からいうと

「こんな馬はいないだろうに」と見えるものがたくさんある。


例えば馬のしっぽがふっさふさどころか、まるで女性の髪のように量感もあり、
地面までたれさがり、広がっている。


しばらく前に見たレオナルド・ダ・ヴィンチの生涯を辿るTV番組 の中で、
馬をきちっと描くためにダ・ヴィンチは観察に観察を重ね、
馬の筋肉の動きといったものまで考えて製作していったことが紹介されていましたけれど、
デ・キリコの描く馬はどうもそうした点はあまり気にしていないというか…。


馬とシマウマが並ぶ一枚のシマウマなどはあたかも木馬であるかのよう、
行って見ればシマウマ型マネキンとでも言ったらよいでしょうか。


こうしたことが平気で(?)行われていることを考えると、
本当の意味で古典への回帰であったのかは何とも言えませんですね。

あるいはデ・キリコの技量の限界であったのか、
はたまたその後に先んじたヘタウマ絵画を目指したのか…。


ジョルジョ・デ・キリコ「赤と黄色の布をつけた座る裸婦」(部分) ジョルジョ・デ・キリコ「自画像」(部分)


自画像や妻をモデルに描いた裸婦像あたり、相当に頑張っているとは思うものの、
特に左側の裸婦像では先程触れたあんまり写実的とは思われない馬のケースほどではないにせよ、

やっぱり人体の描き方もそれなりといいますか。


そもデ・キリコが古典主義への回帰に目覚めたのは

ローマのボルゲーゼ美術館で見たティツィアーノによって、てなことも言われますが、

ティツィアーノ作品から立ち上るエロスとは余りに遠いような。

こう言っては身も蓋もありませんけれど、もしかして上手くない?…。


とまれ、そうしたことに自覚的であったかどうかは分かりませんけれど、

結局のところは形而上絵画という、勝負どころの全く異なる絵に帰っていったのでありましょうか。


ジョルジョ・デ・キリコは絵画の技術的側面で「ほぉ~!」と唸らせるというよりは、

見る側にとって頭をひねらせ、さまざまな解釈を可能にさせるとも言えるようなイメージの提供、

そこにこそ独自性もあり、デ・キリコのレゾンデートルもあったのかなと思うのでありました。


この展覧会であらためてそればかりではないことを目の当たりにしたわけですが、

それでもやっぱり、これですよねえ!


ジョルジョ・デ・キリコ展フライヤーより