全く勘違いで出掛けて行ったのが、明治大学博物館でありました。
先に読んだ「世界飛び地大全
」の中でも
江戸時代の藩領には飛び地がたくさんあったことに触れていましたが、
明治大学博物館で開催中の「藩領と江戸藩邸~内藤家文書の描く磐城平・延岡・江戸~」という特別展、
このタイトルを見て、江戸は江戸藩邸であろうけれど、
磐城平と延岡とは内藤家の持つ飛び地領かと思い、
相互の関係が何かしら分かるのかも…と思ったのですね。
ですが、内藤家は磐城平藩から延岡藩に転封になっただけであったとは
展示を見始めて気付いたこと。
いやはやといえばいやはやですけれど、
まあ、面白い要素もありましたし、結果オーライということで。
諸大名は江戸に屋敷を持っていたわけですけれど、
どうやらこれは幕府の頂きもの(預かりもの?)であったようで、
「藩主が居住する上屋敷」、「隠居した藩主や嗣子などが住む中屋敷」、
「火除け他多彩な目的で使用された下屋敷」といったもの拝領屋敷と呼ばれたのだそうです。
ところが、江戸詰のものたちがそれぞれの役割をこなしたり、また居住したりするには
拝領屋敷だけではどうにも手狭であったのだとか。
ちなみに今回での展示でクローズアップされている内藤家は7~8万石クラスであって、
何十万石という大大名ではないものの、やはり拝領屋敷だけでは足らなかったようす。
拝領した虎ノ門の上屋敷が10,515坪、六本木の下屋敷は9,361坪あったと聞けば、
庶民感覚では「それでも足りないの?」と思ってしまうところながら、
抱屋敷という自前で調達した屋敷14,005坪を渋谷に持っていたそうでありますよ。
1万4千坪の土地を渋谷に持っていたら、今なら大変な資産家でしたろうと思うものの、
国木田独歩が明治に描きだした渋谷でさえ狐狸の里であったというのですから、
江戸期においてをや。渋谷は広い土地を格安で手に入れられる場所でもあったのでしょう。
江戸にそうした藩邸を構えていた内藤家は三河以来の徳川譜代ということなんですが、
元和八年(1622年)以来治めてきた磐城平からどえらく離れた九州は日向国延岡へと転封となる。
こうした国替えは、まあ支店長の転勤みたいなもので、
あんまり地元と昵懇になってもどうよ?的な発想があったのですかね。
幕府からすると、嫌がらせというか、力を殺ぐ目的というか、
外様あたりには冷たく転封を申し渡したのかと思いきや、統計的にみると
江戸期を通じて外様大名の転封が59件、譜代大名の転封が251件(いずれも延べ)と、
圧倒的に譜代が振り回されている。
「ちと遠いが、あそこはやっかいな土地だけに、ぜひとも君に行ってもらわねば。期待しとるよ」
みたいな言葉が将軍からあったはずもないですが、状況的にはこのように期待をチラつかせて
動かしやすい譜代を動かしたてなことになりましょうかね。
で、この転封にあたって内藤家文書の関連するところから引いてきますと、
福島県から宮崎県へ転勤命令を受けて実際の赴任までの準備期間は約5ヵ月であったそうな。
単身赴任ならいざ知らず、城詰めの家来、その家族を含めて現在地をきれいに引き払い、
全員打ち揃って移転するわけですから、大変なことですよね。
しかも、内藤家の後に常陸笠間から平入りする井上家との引き継ぎもあり、
一方、延岡を去って笠間に入る牧野家からは延岡で引き継ぎを受けなくてはならない。
単なる人事異動の引き継ぎでさえ、往々にして一筋縄ではいかない場合もあろうというのに。
いやはや大変なことでありますね。
とまあ、こうした辺りは残された文書から「なるほどねえ」と思うわけですが、
「こんなの出てきちゃいましたけど…」的なのも密かに残されているのですなあ。
転びキリシタンの縁者の動向は藩が把握して幕府に届け出しないとまずいようなんですが、
どこでどう取り間違えたのか、内藤家の平藩では
「転びキリシタンの縁者1名 女」と届け出ていたのが、
国替えにあたり確認をすると、何とこれが男であったと判明。
この者と領内に残したまま国替えしては、
後から来た井上家を通じて幕府にこの失態が暴露してしまうと、上を下への大騒ぎ。
下手すれば改易だったりと考えたのでしょう。
結局、女のままで押し通し、どこにも出せないから江戸藩邸で雇うことで平からは連れ出し、
かといって延岡には連れていけず。
この辺り、大ぽかをやった後に何とか出まかせを塗り固めてごまかそうと必死になる姿が
思い浮かんでもこようかと。
ところで、この内藤家に関する系図の展示を見ていたところ、
1622年に平7万石の藩主に収まった内藤政長、
その孫で嫡男では無かったが故に分家したと思しき内藤政亮という人物のところに
「湯長谷藩主祖」との記載が。
これを見て、湯長谷…内藤…、おおお、「超高速!参勤交代
」の湯長谷藩ではないか?!
映画で無茶ぶりの参勤交代を申し渡されるのが湯長谷藩主の内藤政醇、
政亮から数えて4代目ということになるのでありますなあ。
「超高速!参勤交代」はもちろんフィクションであるわけですが、
その話と先ほどの転びキリシタン隠しのドタバタとが重なって、
歴史に血の通ったものを感じたりしましたですよ。