静岡県立美術館で「佐伯祐三とパリ」展 を見て回り、

ほぼ展示のお終いくらいまで来たタイミングで

「ロダン館でギャラリー・トークを行います云々」という館内アナウンスが流れてきたのですね。


美術館に出向くたびに毎度のことなんですが、
どうも彫塑作品はタブローほどに時間を掛けてみることがなく、さらっと流してしまう。
まだまだ自分なりの見方が出来てないからなのでしょうね。


そうであってもその名前は知っているオーギュスト・ロダンの作品を集めて、
静岡県立美術館にはロダン館という展示室があるのですけれど、
今回はちょっとしたことで知ることになったロダン作品がここにあるのかどうかだけを

さらっと見て移動かな…と思っていたわけなのですね。


と、そこへこのようなアナウンスが耳に入ってしまいますと、
「これも何かの縁」と思えるところでして、ふらりロダン館へと足を向けたのでありました。


すると、参加者が(自分を除いて)2人だけ、途中から加わった人を入れても5人という小人数。
ロダン館へ足を一歩踏み入れただけで「どうぞ、どうぞ」と参加を促されてしまいましたですよ。


天井まで吹き抜けになった大きな空間にあって、ひと際存在感を放っているのが「地獄の門」、
ボランティア・ガイドによるギャラりートークはここから始まりました。


オーギュスト・ロダン「地獄の門」(静岡県立美術館リーフレットより)


この「地獄の門」は(そも「地獄の門」に「考える人」が含まれていることを別としても)
「考える人」ともどもロダンの代表作でもあろうかと思うところですけれど、
いずれも東京・上野の西洋美術館前庭に屋外展示されてたりしますから、
「ふむふむ」と眺めやったことは幾度と知れないのではなかろうかと。


さりながら、これがダンテの「神曲」からのモティーフで構成されているとは
考えてみたこともなかったのでして、まあ、その程度の見方だったということでありますね。


で、その「地獄の門」の一部分を指差して、ガイドさんの曰く
「どういう場面だと思いますか」と参加者に向けてお尋ねになる。


オーギュスト・ロダン「去りゆく愛」(静岡県立美術館リーフレットより)


これはその部分に該当する石膏像(習作でしょうか)ですけれど、
どうも追う男、追われる女…てなふうに見えましたし、
それと「地獄」という設定とを考え併せてオルフェウスの話かぁ…と一人合点しかかったところ、
どうやらこれはフランチェスカ・ダ・リミニの話だそうで。


そう言われて見れば、
道ならぬ不倫の恋ということになってしまってしまったフランチェスカとパオロの二人は
この世で果たせぬ恋ならばあの世で添い遂げてみせましょう的なところからかけ離れた、
それこそ文字通りの地獄の責苦にあっている場面となりましょうか。


「フギット・アモール(fugit amor)」と呼ばれるこの部分、
去りゆく愛、逃れゆく愛といった意味合いのラテン語だそうですけれど、
(「fugit」は、「遁走曲」とも訳される「fuga」と関係あるんでしょう)
背中合わせに貼り付けられていて、すぐそばに居ながら顔を合わせることも
愛を成就させることもできないまま、地獄の中を流れ、流されていく…ずっと、ずぅっと。


ではありますが、作者のロダンは弟子のカミーユ・クローデルといい仲になって、
妻とカミーユの双方を苦しめるようになり…という実生活が

「地獄の門」制作と同時並行であったとはいやはや何ともと言いますか…。


ところで、「考える人」も「地獄の門」も西洋美術館で見られることは触れましたですが、
ギャラリー・トークが終わった後にガイドさんに尋ねてみたですよ。
「ロダンのこうした作品は、そこここにあるんですか?」と。

一つ一つ彫り出す彫刻作品と違って、ブロンズ像は原型さえあればいくらでも作れるでしょうし。


するとどうやら「考える人」はそれこそそこここにあるようですけれど、
「地獄の門」(これだけではないようですが)はロダン美術館の管理の下、
12体までしか作ってはいけないことになっているそうで、
静岡県立博物館のものは6番目(版画のように番号が入るそうな)ということでありました。

(ロダン本人が生きているうちには、本人承諾でたくさん作られるケースがあったようです)


と、ギャラリー・トークが終わってうっかりそのまま帰りそうになり、
危うく見落としそうになったのが「花子」というタイトルの一作。
これが冒頭で触れた「ちょっとしたことで知ることになったロダン作品」のひとつでもあろうかと。


つい最近の新聞の連載コラムですけれど、森鴎外 に「花子」という小編があって、
主人公・花子はパリで活躍した日本人女優であったそうなんですね。
そして、ロダンは花子をモデルに制作を行った…のだそうでありますよ。


川上音二郎と貞奴が1900年のパリ万博で好評を博した後なれば、
時のジャポニスムとも相まって、彼の地では日本女性にエキゾチシズムを感じ、
活躍の場があったのやもしれませんですね。


ですが、この「花子」をさも日本人女性代表であるかのように
ロダンがモデルにして制作したことに鴎外はかなり憤慨しているらしい。
「何だって、よりによって花子なんだ…」と。
(小説を読んでいないので、発言部分は想像ですが)


逆にロダンの眼には、花子の華奢な体つきはそうそう近くにないものと映ったようですが、
この美術館に展示されていた「花子」は頭部だけの像でしたので、体つきまでは分かりません。

けれど、顔つき、表情を見る限りでは「なぜ、花子?」と鴎外先生に一票投じてしまうような…。


とまれ、彫塑作品を見る我が目はまだまだであるなぁと思いつつ、
ロダン館を後にしたのでありました。