新宿の損保ジャパン東郷青児美術館で開催されている
「トスカーナと近代絵画」と題された展覧会を覗いてみたのですね。
イタリアというとどうしても中世やルネサンスの芸術ばかりが思い浮かぶところながら、
個人的にはイタリア未来派(フトゥリズモ)あたりにもかなり興味がありまして、
そうしたイタリアの近代絵画というのはあまり目にする機会がないものですから、
「どれどれ?」と足を運んだ、とまあそういうことです。
中世・ルネサンスと芸術の王道はイタリアにあり!てなふうであったのが、
いつしか絵画はフランス、音楽はドイツてなぐあいになっていきましたですね。
で、イタリア近代はといえば、むしろ他の国々からの刺激でもって運動が展開された
ということになりましょうか。
今回のイタリア近代絵画展で展示の中心は「マッキアイオーリ(macchiaioli)」でありますけれど、
色斑を意味する「マッキア」から出ているため「斑点派」とも言われる「マッキアイオーリ」は
フランスのバルビゾン派の影響で生まれたとされます。
後の点描派ほどに精緻な作りではないにせよ、
もっぱら戸外の光の中で制作を行ったりする点でも
印象派 に先駆けた存在と言われるようですが、
そもそも「マッキアイオーリ」という呼称自体が評論家による蔑称であったとなれば、
なるほど印象派の先輩格ねと思ったり。
ですが、トスカーナを中心に展開されたこの運動は、これまた印象派同様に
作者それぞれに幅広い描き方の作品群が包含されているように見えます。
バルビゾン派はもとより、思潮的にはやはりフランスから入ったロマン主義にも影響を受け、
19世紀前半にはイタリアの主要都市に浸透していったそうな。
ロマン主義といえばドラクロワを思い出しますが、
アングルなどアカデミスムの側から敵視されたように新古典主義との対抗軸でもあろうかと。
こうした点が新古典主義=旧体制、ロマン主義=新体制として、
長らくオーストリアからの独立が念願のイタリアでは政治的な活動とも
関わりがあったということのようです。
ですから、1861年に独立を果たしてしまうと、
元から描き方ではまちまちな感のあったそれぞれの画家たちは
それぞれに別の個性の開花を目指していったのでしょうか、
やはり展示作品で見ても尚のこと幅広い作風が伺えるところです。
そんなところからやがて20世紀の初めにはフトゥリズモなんかの登場を見ることになりますが、
比較として面白いなと思うのは、ドイツではヒトラー(自身はアカデミスム側、旧体制側なのか)が
前衛芸術を「退廃芸術」と呼んで排斥したのに対して、
同じファシズム(?)でもムッソリーニの方は芸術振興を図っていたのだとか。
これは、古代ローマ帝国の再興をムッソリーニが念頭に置いていたとすれば、
世界の中心たるローマは芸術においてもまた中心であらねば…てなふうにでも
思っていたのでしょうかね。
とまあ、展覧会の話だか何だかということを長々書いてますが、
展示作品にもちょっとは触れておきますですね。
まずはマッキアイオーリの代表的作家とされるジョヴァンニ・ファットーリの作品。
「従姉妹アルジアの肖像」(1858-60年頃)はフライヤーにも大きくあしらわれているとおり、
本展の目玉作品なのでしょうけれど、実はフライヤーで見たときには
可愛らしいお嬢さんを描いた絵というくらいにしか思ってなかったという。
それがいざ本物を目の前にしますと、その立体感のある描写に驚かされるのでありますよ。
同じファットーリでももそっと遅い時期の作品はドラマ性がとても強くなります。
「偵察騎兵隊」(1885-87年頃)や「止まれ」(1893年頃)に見るドラマティックな一場面は
前後の物語を想像させずにはおかないものではないかと。
それとひとつ変わったところを挙げておきますが、
ジョルジョ・デ・キリコ作の「南イタリアの歌」(1939年頃)という作品。
描かれている対象はいかにもキリコながら、くっきりかっちり描かれている印象ばかりで
この作品のようにデヴィッド・ハミルトン風?なのは妙に新鮮でしたですねえ。
「夢見るマネキン」みたいなタイトルがしっくりくるかと(笑)。
ということで、イタリアの近代絵画をあれこれ楽しませてもらった展覧会でしたけれど、
やっぱりフトゥリズモの作品をいろいろと見られるかとの願いはかなわず。
これまたイタリアに見に行くしかないのかも…ですね。