デンマークへ到着
早々のちょこっとスウェーデン
訪問を終えて、
さてコペンハーゲン…なんですが、くたびれてしまわないうちにまたちょっと遠出を。
といっても近郊列車エストーで1時間くらいですから、
東京でいえば通勤圏なわけで遠出というには大げさなんですが…。
ちなみにカタカナでエストーと書くと「何だぁ?」となりますが、
現地語では「S-tog」で「tog」というのが英語の「train」の意のようです。
音からすると「g」を読まないらしいことは
デンマーク語のくせ(?)のひとつと知るわけですけれど、
それでもって、これから訪ねる場所の読みも「なるほど」となるのですね。
行き先は「Frederiksborg slot」、日本語で一般にはフレデリクスボー城と呼ばれる所。
やっぱり「borg」の「g」は読まれていないという。
(日本語で一般的に…と言いましたのは、どうやら現地の発音としてはフレゼリクらしいので)
ちなみにデンマーク語絡みの話ついでにですが、
フレデリクスボー城を訪ねるために乗っていくエストーのひとつの路線で終点にあたる所、
「Hillerød」という町の読み方であります。
カタカナでは「ヒレレズ」とか「ヒレロズ」とか表記されているのを見かけるものの、
どうも聴感的には「ヒレルー」が近いような。
他にもコペンハーゲン中央駅からエストーで三つめの「Østerport」も
エスターポートとカタカナ表記されるものの、無理無理書くなら「ウスターポート」に聞こえ、
だいたいコペンハーゲンという言い方自体が英語なのであって、
現地語での「København」もやはり「コゥーベンハウン」てな感じではなかったかと。
と、ひとしきりデンマーク語の断片の話でひっぱってしまいましたが、
ヒレルー(?)駅前からバスで10分弱、
降りるとすぐに「あれだな」と思われる建物が見えてきます。
ずんずん進んで行きますと、
オスロで訪ねたアーケシュフース城
が「城塞」と思しきものであったのに比べ、
このフレデリクスボー城の方は「城館」というべきタイプなのかもと思ったですね。
こんなふうな装飾を凝らした噴水なんぞもありますし。
内部を見て回るには開館時間にちと早かったものですから、
裏手に回ってみても「やはり!」という手のこんだ庭園が広がっておりました。
庭園を一回りしてみますと、植木の刈り込みにもこだわりが感じられますですね。
その一方で傍らに目を転ずれば
「ヴェルサイユだったら、プティ・トリアノン?」てなふうでもありましょうか、
小さな館が建っていたりとして、なかなかにいい感じ。
まあヴェルサイユを引き合いに出しては大仰ですけれど、やはりその類い。
王様の「城館」であり、「宮殿」という印象でありましょう。
というところで、この城の来歴に触れておきますと、
創建は1560年、デンマーク王フレゼリク2世によってというところから
「フレゼリクの城」の名がついたとのこと。
その後、17世紀初頭にクリスチャン4世が相当手を加えて今の形に近づけたとのことですが、
このクリスチャン4世王はオスロのアーケシュフース城の改築も手掛けているわけですから、
お城にこだわる王様だったのでしょうねえ。
城の内部に目を向けますと、この写真ではイメージしにくいと思いますが、
なかなか立派な構えの教会堂がありまして、長く勲章授与の場として使われていたのだとか。
そうした経緯があってか、壁には実にたくさんの紋章が飾られていますけれど、
中にはこのようなものも。
文字を読むと「AKIHITO PRINCEPS HERES JAPONIAE」てなふうに書かれてます。
想像するに、今上天皇が皇太子時代にも訪れたのでしょうか、
それで菊の御紋が…ということなのかもですね。
ということで、外から中まで見て回ったフレデリクスボー城ですけれど、
今の時点で言ってしまうのもどうかと思いますが、今回の旅の中では
「う~ん、来たなぁ」感で一、二を争う印象深さのあるものでありましたよ。