ということで、ノルウェーの歴史 をかいつまんでたどりつつ坂道を登って

たどりついたはアーケシュフース城であります。


アーケシュフース城@オスロ


城が建つのは見晴らしの得られる小高い丘でありますから、
湾内の守りに睨みを利かすに絶好のポイント。

となれば、当然のようにこんなものが据えられているわけですね。


アーケシュフース城の大砲


この場所に初めて砦が築かれたは1300年頃であったといいます。

ノルウェー王ホーコン5世がそれ以前にノルウェーの首都であったベルゲンから移って、

オスロの守りを固めるために作られたのだとか。


時にハンザ同盟との通商関係の争いや

これに乗じたデンマークやスウェーデンのちょっかいから逃げ出した感のあるホーコン5世ですが、

ベルゲンがすぐに海という海運国らしいロケーションであったことに比べ、

オスロ・フィヨルドの最深部に当たるオスロにやってくるあたり、

こういってはなんですが、やっぱり逃げ出した感があろうかと。


というところで、城の中へと入ってみるわけですが、

チケット売場で何と!日本語の案内リーフレットが渡されたのにはいささかびっくり。


海外でもらうこの手のものに印字された日本語は「何だか妙な活字だな…」というのが多いですが、

これはかなりというか、まじめにまともな代物でありますよ。

読んでいて違和感がないし。


それはともかく城の中ですけれど、順路早々に下へ下へと降りていく階段が…。


アーケシュフース城の地下深く…


…と思うと、やっぱりあったか!というダンジョンでありました。

ここの地下牢には「魔女の落とし穴」とも呼ばれる部屋があるそうな。

怖い、怖いですね(と、やおら淀長さんを思い出す)。


アーケシュフース城 地下牢


と「やっぱりあったか」というものをクローズアップしても何ですから、

ここでこそという辺りに目を向けませんとね。


ノルウェー王家墓所


ここでも「墓まいらー」かとも思われましょうけれど、ノルウェー王家の墓所であります。

こちらはちゃあんと明かり取りの窓が穿たれていて、設えも何と上品な。

見るからにきれいきれいですが、それもそのはず、

古い城の中では新しく1948年に完成したのだそうです。


ですから、左手の白い大理石の棺にはホーコン7世(1957年没)、

右の銅の棺にはオーラヴ5世(1991年没)と比較的最近の王様が眠っておられるそうな。


それにしても大きな棺だなと思いましたけれど、

それぞれに御妃様とご一緒なのだそうで、そう考える決して大きくはない。

しかし、あちらは亡くなられてもダブルベッドが主流なんでしょうかね…。


ところで王家の墓所を地下牢に続いて取り上げましたけれど、

両者がお隣どうしというわけではなくって、

むしろ順路で次に登場するのが教会だということを申し上げておいた方がよろしいかと。


アーケシュフース城内の礼拝堂


ここでは入口もらった日本語リーフレットに「教会」と書いてあったので、教会と書きました。

そうでなかったらきっと礼拝堂と書いていたと思うものの、両者の違いに確たる知識はなし、

たぶん城の方々が日々の礼拝に訪れる場所というだけでなく、

王家の葬儀に使用されるということからも「教会」という位置付けなのでしょうかね、たぶん。


で、この後にはいくつかの大きな広間に歩を進めることになりますが、

そのひとつが「クリスチャン4世の間」というもの、

そして別の広間には「オーラヴ5世の間」という名付けがありました。


オーラヴ5世は先ほどの墓所に眠っておられるようにノルウェー王ですけれど、

クリスチャン4世の方はといえば、実はデンマーク王なんですなあ。


どうしてこういうことが起こるのかは

先にいささかなりとも歴史を振り返っておいたので混乱しなくて済むわけですね。

で、実はアーケシュフース城が大改築され、近代的な要塞となったのは

クリスチャン4世の治世下(18世紀前半のデンマーク=ノルウェー連合時代)なのだそうです。


ノルウェーは1905年の独立にあたって現王家をデンマークから迎えたということはあるにせよ、

体制が変わるやそれ以前のお城のほとんどが廃墟と化してしまったどこかの国とは

ずいぶん違うような気がしたものでありますよ。


そして、今でも広間は晩餐会に、教会は結婚式に、そしてもちろん観光資源としても

大活躍しているアーケシュフース城でありました。

それだけに、外側はしっかりガードされておるようで。


直立不動の衛兵@アーケシュフース城