折も折り、こういう巡り合わせもまた何かの縁?でありましょうかね。
新宿に出てちょっと時間があったものですから、今日は何をやっているかなと
またコニカミノルタプラザ を覗いてみましたところ、これですものねえ。
「POLAR WONDERS 極地の神秘と生命の輝き」という写真展。
フラム号とフリチョフ・ナンセンの北極探検行のこと を書いたばかりですので、
「これ、やってますかぁ…」みたいな印象でありましたですよ。
南極・北極それぞれの大自然とその中で暮らす極地の動物たちを写した写真の数々。
タイミング的には北極の写真を目の前にして
「こうしたまだらな氷の中でナンセンは…」なんつうふうに思ってしまいましたですね。
他にも流氷どうしがぶつかり合ってできあがった、不規則に折り重なった菱餅みたいな氷の様子に
こうしたところを越えていくとは、難儀を極めたろうなぁとも。
そして、動物の方はといいますと、
南極のペンギン、北極のアザラシ、シロクマなどが写されていましたが、
ここでも視線は北極組に向いてしまうのも無理からぬところかと。
写真に付された説明にはそれぞれに絶滅の懸念が記されていて、例えばシロクマに関しては、
温暖化で開氷面が多くなってしまうと氷を渡り歩いての餌探しが困難になるといったことも。
ですが(と、絶滅の懸念への反対表明をするわけではありませんが)、
本展で取り上げられている写真家デイジー・ジラルディーニさんのコメントを読んで、
少々考え込んでしまったのですね。こうした部分です。
厳しく容赦を知らない極地方の自然は、人間が本来持っている極限状態における適応力と生存能力を目覚めさせ、わたしたち一人ひとりの奥底に眠る「野生」を呼び覚ます力を持っています。
だからこそナンセンは生還できたんだねと思ったりもするわけですが、
ナンセンらが氷の上で一年半も生き延びていられたのは、
シロクマやアザラシを狩って食糧としていたからなのですよね。
ナンセンの手記「極北」には、時には「待てよ」と思う傍ら、
手持ちの食糧が乏しくなったときに見つけたシロクマの姿に狂喜して
銃を取り出すといった場面もあります。
「極北」には解説として、「地球のてっぺんに立ちたい」と
北極点到達を果たした女優の和泉雅子さん数が寄せた文章が載ってますけれど、
おそらくその遠征は入念に準備された食糧を持っていったことでしょう。
よもやナンセンのように自給自足的なものではありますまい。
絶滅危惧といった考え方が出て以降、こうした探検、冒険では当然に配慮されるべきことと
意識されるものとなったのではないかと思われます。
ですが、一方で北極圏にも
昔から自分たちの生活様式で暮らしてきている人たちが暮らしており、
シロクマやアザラシなども重要な糧としていたであろうことがありますですね。
確証をもっているわけではありませんけれど、彼らはある意味、シロクマやアザラシとは共存であって、
動物たちが再生可能な範囲で糧とさせてもらっている意識(無意識かも)があったのではないかと。
つまり、採り尽してしまうようなことは決してしない。
自分たちにとっても死活問題でしょうから。
ですが、他の地域から来る人たちの探検、冒険があった結果として、
地理や紀行、現地事情などは詳らかにされるにつれ、肉だ、毛皮だと乱獲が生ずるようになった。
元々住まっている人たちの預かり知らないところで、
シロクマもアザラシも獲ってはいけん!ということになっていった…てなこともありましょう。
と、とりとめもなく書いてしまったことで全くまとまりを欠いておりますけれど、
ともあれこんなあれこれを思って考え込んでしまったというわけでありますよ。
結論めいたことを急ぐつもりはありませんので、
ふいと立ち寄って見た写真展でもあれこれ思うことがある…ということで、
今日のところはこれくらいに。