この間シュルレアリスムの展覧会 を見てきたことと、

このところノルウェーづいている ことと相俟って、

ヨースタイン・ゴルデルの小説「ピレネーの城」を読んでいたのですね。


「ピレネーの城」と聞いてすぐさま思い出すのは、ルネ・マグリットの作品ではないかと。

洋上を覆う大空にぽかりと浮かんだ巨岩、その天辺には石造りの城らしきものが・・・という作品です。


なんだか無重力空間を目の当たりにしたようでありながら、

海には大波が立っており、引力が働いているのは疑う余地もないとなれば、

簡単に理屈では説明できない不思議世界ということになるわけです。


で、本書のタイトルである「ピレネーの城」とは紛うことなくこの作品を意識いるのですけれど、

それだったらカバー絵にマグリットの作品を持ってきてもよさそうなところが、そうではない。


ピレネーの城/ヨースタイン・ゴルデル


マグリットとは縁もゆかりもなさそうな花畑の絵が被せられていて、

ノルウェーが舞台であることから考えると、あの湿度の低そうな空気感は

(といっても、去年スウェーデンとフィンランドには行ったものの、ノルウェーには行ってない…)

むしろマグリット作品の方が似合うようにも思われるところながら、

最後まで読むとこのカバー絵の謎は「そういうことだったのね」と思うのでありますよ。


と、結局のところマグリットの作品に関連付けたタイトルをどう理解しようかという点では、

もそっと深読みする時間が必要になろうと思うところですが、それを忘れてしまっても

「うむぅ…」と考えてしまう示唆のあるお話であったと思っとります。


小説の体裁は書簡体、といってもご時勢的にメールのやりとりということになります。

大学時代に恋人どうしであったスタインとソルルン。

だんだんに明かされますけれど、何かしらの出来事に遭って、

二人には実に唐突に別れが訪れてしまうのですね。


それから30年(何だか綾小路きみまろ風ですが)、

別れのきっかけが持たされたフィヨルド沿いのホテルで二人は偶然にも再会する…

となれば同窓会不倫かと、今度は渡辺淳一を思い出す・・・?

実際、二人はそれぞれに家庭を持った50代になっているのですから。


30年の時を経ても、互いに互いを思いながらも、別れの原因となったことが決定的なあまり、

これまで逢おうとすることもなかった二人。

どうしてこんなことになってしまったのか、

時間が経った今ならば解きほぐして考えてみることもできるのではと、

メールでのやりとりが始まるわけです。


が、そもそも二人の再会を「何という偶然」と考えるスタインと

「何かしらの意図が働いている」と思うソルルンの立ち位置の違いはすぐさまはっきりするのでして、

簡単に行ってしまいますと話は超自然現象といったことをどう捉えるかの違いということになります。


科学的にありえないことは信じないというスタインがそもそも宇宙の始まりから地球の誕生、

生物の登場と人類の出現に至るまで、そこにも何かしらの意図が働いているとは考えられないと言えば、

「そうだよなぁ」と思うところですね。


一方で、ソルルンから宇宙の始まりがビッグバンだとして、

ビッグバンはどうして起こったの?と切り返されれば、

「え?もしかして誰かが起こした??」なんつう気に釣り込まれてしまいそう。


そうした立場の違いの下に別れの原因たる出来事の解明に迫っていくわけですが、

どうしても二人はすれ違い。

ではありながら、二人ともメールのやりとりに没入する姿からはお互いの中にそれぞれが

はっきり存在し続けていたことが思われるわけです。


で、最後の最後、「そうきたかぁ…」という結末は言わぬが花ですけれど、

ソルルンが残した「正しかったのはスタインかもしれない」というひと言で

さもスタイン側に軍配が挙がって終わるかのようでありながら、

ソルルンが最後に立ち至った状況を思うにつけ、

「ソルルンはそう言ってるけど、ちょっと待てよ」という思いがこみ上げてくるのですね。


ことここに至って、不可思議パズルを目の前にしたような印象。

もしかしてこれこそが「ピレネーの城」たるタイトルの由縁なのかもしれないですねえ。

途中にやりとりに食いつくもよし、いろんな読み方ができるのかもしれません。

となれば、やっぱりマグリット的あったというべきでありましょうかね。


El castillo de los Pirineos (Las Tres Edades / .../Jostein Gaarder