夏目漱石と美術との関係を探る展覧会 以来、何かと漱石を引き合いに出してまして、
先日の伊香保行きまでも漱石との関わりに言及してしまいましたけれど、
関連しつつもちと目先を変えようかと思って手に取った一冊の本。
中公新書の一冊で「漱石が聴いたベートーヴェン」というものであります。


漱石が聴いたベートーヴェン―音楽に魅せられた文豪たち (中公新書)/中央公論新社


つうことは、なぁんだ、また漱石ではないか…と思われるところでありましょうけれど、
実はこの本に関しては、amazonあたりでの書き込みに曰く「看板倒れ」であることを

予備知識として持っていたのですね。


つまり決して漱石を中心に取り扱った本ではなく、

副題の「音楽に魅せられた文豪たち」こそが的を射たものであると。


6章立てで、森鴎外、幸田露伴、島崎藤村、夏目漱石、永井荷風それぞれに
1章ずつ(藤村だけ2章)割り当てられているところだけ取ってみても、
「看板に偽りあり」と言われても仕方がないですなぁ。


何かと新書のタイトルを論うことがありますけれど、「中公新書よ、お前もか…」と思ったり。

とまれ、「音楽に魅せられた文豪たち」を扱ったものだと割り切って中身に触れようと思いますが、
まず最初に本書で取り上げられている文豪たちを生年順に並べてみるとしましょう。


森鴎外(1862~1922)
幸田露伴(1867~1947)
夏目漱石(1867~1916)
島崎藤村(1872~1943)
永井荷風(1879~1959)


単純に考えますと、生年の早いほど守旧的な気がしないでもないですが、
時は幕末から明治、大正(長生きの人は昭和まで)でありまして、
欧化政策のもとにありとあらゆるものが西洋から入ってくるご時勢。


もちろん西洋音楽もそのひとつなわけですが、これの受け止め方は必ずしも
生年が早いからどうのと簡単に言えるものではないのだなと改めて。
その人、その人の成長過程やら精神的なバックグラウンドやらが大きく関わる…というのは
まあ冷静に考えてみれば当たり前ではありますが。


で、まずは森鴎外の場合。
22歳でドイツ留学を果たすエリートであり、秀才であったわけですが、
やはり理系の人からすれば西洋の科学技術の先進性は目を瞠るものがあったでしょうし、
ともすれば欧化一辺倒になってしまってもおかしくないところですが、

鴎外自身は「和魂洋才」を銘としたようす。


ですが、若くして訪れたライプツィヒやベルリンといった近代都市には

臆するところもありましょうに、国から派遣されたという自負からすれば

彼の地の社交界に堂々と出入りするところも見せねば…となりましょうか。
さすれば、西洋音楽に近づく、取り分けオペラに近づくことになるのも

当然のことではなかろうかと。


ですが、鴎外自身は

あまり音楽方面(当時ですから、スタートはもちろん邦楽にあったはずですが)の素養というか
興味というか、これがあんまりなかった人のようです。


ですから鴎外がオペラに目を向けたのは、
芝居が持ち合わせる文学的な要素から、芝居の延長線上にあるものとしてなのかもしれません。


中でもグルックのオペラ「オルフェウスとエウリディーチェ」には痛くご執心でありまして、
これの日本語翻訳・翻案版の上演に向けた努力をしていたそうでありますよ。


…と、この調子で本書に紹介された全員分に当たっていると切りがないので、すこし端折りつつ。


幸田露伴は上に生年順を並べてみて初めて気付いたんですが、

漱石と同年生まれなのですねえ。
作品はたぶん「五重塔」くらいしか読んだことがないのに言えたものではありませんが、
漢文調の文体でこられるとどうしても「古い人」のような気がしてしまうわけなのですね。


ところが、幸田家というのは文化的には「何でも来い!」のところがあるらしく、
露伴の妹二人はそろって西洋音楽の音楽家として

東京音楽学校(芸大音楽学部の前身)で教鞭をとり、
旧奏楽堂のコンサートで腕を競ったそうでありますよ。


分けても上の妹、幸田延は日本から送り出された音楽留学の最初の人だったそうで、
(1889年にまずはアメリカで、その後ウィーンで学びますが、出立時は19歳だったとか)
下の妹、幸田幸もやがて音楽留学第2号になったのだとか。


こうした晴れやかな妹たちの活躍は、兄・露伴の頬を緩ませるものでもあったようで、
露伴作品を知らざればこそになりますが、例えば「露団々」など小説の中にも
西洋音楽をモチーフとしたものもあるのだとは思いも寄りませんでした。


と、さらに駆け足になりますが、
島崎藤村は東京音楽学校の選科(今でいうエクステンションセンターか?)で

ヴァイオリンを習っていたそうな。


それだけに西洋音楽への興味も一入だったのか、

小説「春」には音楽批評的な表現が盛り込まれているそうですが、
該当部分は小説のモデルとされる友人、文学者の上田敏が雑誌に載せた実際の音楽会評を

パクったものらしい。


音楽への興味・関心はあっても、また詩人として出発して言葉を操る小説家といえども、
音楽評論的なものはどうもうまくものにできず、借用に及んだということでありましょうか。


で、ハイカラ紳士風である反面、江戸の風情に思いを残すという

アンビバレントさを醸す永井荷風ですが、少年時代は尺八に凝っていたと言いますから、

音楽への入口はやはり邦楽だったのでしょう。

しかしながら、父との折り合いの悪さからやさぐれていたところ、

追い出されるように洋行に出され、ニューヨークではそれこそオペラ三昧であったそうな。


ですが、鴎外が翻訳・翻案による「オルフェウス」の舞台制作に向かったのと違って、
日本ならではのオペラを作ろうと考えたことでしょうか。
先行した坪内逍遥の「新曲浦島」(浦島太郎を「タンホイザー」風にアレンジした新作台本)に
「遅れをとった」という思いと同時に「これではない」との思いも抱く。

結果として出来上がったのが「葛飾情話」なる作品であります。


オペラというよりオペレッタの翻案で

大いに盛り上がっていた浅草オペラの全盛期だったのでしょうか、
当時の(浅草オペラを楽しみにしている)観客たちから大入り満員で受け入れられたようですが、
当時から芸術性(?)に疑問符が付けられ、今では全く顧みられることもなくなってしまってますですね。


…と長々書いてきてますが、最後に(章立てとは違いますが)漱石です。
前にもロンドンの音楽事情 には少しばかり触れたことがありますけれど、
ロンドンは音楽会を楽しむには打ってつけの場所。

そこへ留学した漱石も、当然のことながら演奏会には足を向けたことがあるようです。


さりながら、自身、英文学を研究しながら、

漢籍に詳しく俳句も嗜む江戸の趣味人的なところのある漱石としては、
国を挙げて西洋の文物を有難がる姿をどうしても冷めた目で見てしまうところでもあったかと。


西洋の文物の中には当然に西洋音楽も入るわけでして、
漱石と西洋音楽の鎹役を果たしたのは寺田寅彦だったようでありますね。


「猫」で水島寒月のモデルとされた寺田は早くにヴァイオリンを手にし、
また「西洋音楽の一部は耳ばかりで味はないでからだで味ふものだ」として
ベートーヴェンの第九のレコード(当然にSP盤)を聴きながら、スコアを見、
タクトを振りましていたようで(こういう人が明治・大正期にもいたんですなぁ)。


ということで、本書のタイトルはともかくも内容的には興味深いものでありましたですよ。