我が家へやって来た大手予備校の進路指導員は「何でもいいから興味があるものを言ってごらん」と水を向けてきたので、クラシック音楽の指揮者のことだけを伏せて次のようなことを列挙しました。

①テレビや映画で、映像に合わせてBGMを選曲する人

②エルンスト・クレッチマー著『体格と性格』について

③英語史…オランダ語の1方言が崩壊して英語になった過程

その人の答えはこうでした。

①は日本大学芸術学部ならばその勉強ができるし、OB人脈でその職業に就ける

②は文学部心理学科で存分に勉強できる(文学部でも研究内容は理系)

 (高校2年の時の適性検査で理系向きだった結果がこれを裏付けています)

③は文学部英語英文学科ならじっくり勉強できる

 (ただし、言語学という理系的な分野)

私は、ランダムに述べた自分の関心事に対して的確に答えた進路指導員の明晰ぶりにびっくりした。

 

その人は、両親とちょっと話したい、と言って私は自室へ移り、3人で2時間以上話していました。

その後、母が私を呼びに来たので応接間へ戻ると、父は「お前の今後だが、大学だけは卒業しろ。ただし大学や学部はすべてお前の自由にすることを約束する」と意外なことを言い出しました。

母の話では、私の勉学の支障となっているのは父の異常な目標設定=京都大学医学部であり、予備校の指導員からは「それを降ろしたら息子さんは必ず勉強する!」と説得されたそうです。

又、父は私が英語をそっちのけでドイツ語にのめりこんでいることを知っており、それを巡っても指導員は「ドイツ人の校長とドイツ語で充分なコミュニケーションできているのは、息子さんにちゃんと学力があるからです」とも諭され「好きこそものの得意なれ」と指摘されたそうです。

又、文系か理系かについては、高校での成績と私の関心内容から、文系で受験するのが現実的だ、と結論付けました。

両親は、その人が勤めている予備校で1浪することを、命令ではなく提案してきました。

同時にその指導員は、受験ではいろいろ物入りなので「受験費用の半分くらいは自分で拠出できるようにアルバイトしてみない?」と提案してきました。

その人のお勧めは新聞配達で「とてもいい社会勉強になるよ」でした。

 

私はけったくそ悪い京都大学医学部という呪縛から解放されたので、単純にも「受験勉強してみよかな」という気になりました。

又、アルバイトについては、予備校の相談員が我が家の近所の3大紙の専売店につてがあった為、3月25日からそのうちの1つで朝刊のみの配達ということで採用になりました。

 

2021年3月14日(↓)に述べたように、都内の私大に合格して私の浪人生活は終わりました。

https://ameblo.jp/joseph-99/entry-12662091775.html

進学した大学は高校3年間の成績では考えられないところで、報告に行った高校の恩師達は一様に驚いていましたが、父が敷いた常軌を逸したレールに沿って走らなくて済むことになり、急に古文や漢文・英語構文・世界史を学ぶこと自体が楽しい、と感じられるようになった結果でした。

あの指導員には今も感謝しています。

 

ちなみに、大学に入った年のちょうど10年後に、その大学とは創立以来100年以上のライバル関係の大学のOGと結婚するとは思いもよりませんでした。

(続く)