19歳のちょうど今くらいの時季に負っていまだに癒えないトラウマがあります。

私は高校生の時に遊び過ぎて大学受験に失敗し、1浪しました。

1浪して2月半ばに大阪にあるA大学を受験し、不合格だったら東京にあるB大学を受けることにしていました。

日程的に、A大学の合否通知が来る日の翌々日がB大学の入試日となっており、A大学からは不合格通知が来ました。

この時居合わせた母には「今日のところは父に伏せておき、翌日B大学の受験の為に東京へ出かけてからA大学の不合格通知を見せてほしい」と頼み込みましたが、母は「そういうズルはいけません」と取り合ってくれませんでした。

 

私は失意のうちに明朝始発の新幹線で東京へ向かうべく身支度を始めました。

夜になって父が帰宅し、母がA大学の不合格通知を早速見せてしまい、激怒した父は私のところへやって来ました。

「何だこれは!さんざん無駄飯食わしてその結果がこのザマか!詫びの言葉もないのか!」

私は既に精神的エネルギーが尽きていたので何も答えず無言を通しました。

ちょうど夕飯時でしたが食欲は完全に失せてしまい、そのまま寝床に入りました。

 

翌朝は、まだバスが走っていない4時半に物音を立てぬようにそうっと自宅を出、5時過ぎの始発の地下鉄と国電を乗り継ぎ、始発のひかり号に乗って東京へ向かいました。

缶コーヒー以外は何も口にせず、B大学を下見した後は安宿で一夜を過ごしました。

B大学の入試の手応えはどうもはっきりせず「不合格だったら就職活動をしよう」と考え、その日も缶コーヒー以外は何も口にしませんでした。

受験を終えての帰路もわざと最終のひかり号~最終の国電~最終の地下鉄になるように時間調整し、帰宅が午前1時過ぎになるようにしました。

父は既に就寝しており、帰宅して風呂に入るとすぐに就寝してしまいました。

 

帰宅した翌日以降も食欲を感じず、コーヒーのみという食生活でB大学の合格発表の日を迎え、体重は10キロ以上落ちました。

結果的にはB大学に合格しましたが、今も理不尽なことに接すると、あの時感じた父への憎悪感情と憤怒の念が再燃します。

既に体力的には私の方が勝っていたので、父に一発見舞っておくべきでした。

 

大学3回生の時、下宿していたアパートに父が投宿した折に、かつて「さんざん無駄飯食わして~」と言われたことを遠回しに触れたところ、父は「そんなことは言っていない。もし言ったのなら撤回する」とだけ言われ「ごめん」の一言はありませんでした。

高校生1年か2年の時に父とケンカし、実際には父が誤っていたことが判明した時も「何があろうと、親が子に謝ることはあり得ない。親とて完全ではないことを理解できるような大人になれ」と言われました。

当時は「けったクソ悪いやっちゃ!」と思いましたが、大学での読み学問から父は精神病質(注)であることがわかり(今ならばアスペルガー症候群という診断)、フツーの人間として振舞うことは不可能な人間でした。

 

注=正常 > 精神病質 > 精神病 という順に 健常者→病的→異常 となります。

  又、精神病質は境界例とも呼ばれていました。