仕事観について | joseの所得3倍増計画

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北海道室蘭市(1983/05〜2002/03)→埼玉県さいたま市(2002/04〜2007/08)→東京都文京区(2007/09〜2009/07)→東京都板橋区(2009/07〜2011/10)→カナダバンクーバー(2011/10〜)

5月10日付けで会社を辞めて現在求職中であることは前に少し書いた。
そこで今回は仕事観について書こう。



「飯を食う」


という表現がある。
仕事をしてお金を稼いで生活をするという意味である。


だがどうもしっくり来ない。生活をするために仕事をするというのは全く間違ったことではないしその通りだ。


でも俺は仕事をすることの第一義を「生活すること」に置きたくないのだ。だからしっくり来ない。


では何を第一義とするか。

それは「仕事を通して人間的に成長すること」だ。月並みだがこれに尽きると思う。よくプライベートと仕事は分けた方がいいよなんていう人がいるが俺は全然そうは思わない。分けた方がいいなんていう人は仕事を嫌々やっている人ではないだろうか。


自分の仕事に心底惚れていて仕事をしていて楽しいという気持ちだったらプライベートと仕事を分けるなんて発想は生まれてこない。


「仕事=人生」なのだ。


仕事は人生なのだから自分が真に魅力を感じたものでないとやる意味がない。嫌々仕事をやるなんて人生を棒に振ってるようなものだ。


この不景気に何を言ってるんだとか怒られそうだが、これが自分の偽らざる本当の気持ちなのだから仕様がない。


しかしそれが原因で困ったことがある。求人にやりたいことがない。


普通、求人広告には「営業募集!」「マーケター募集!」「SE募集!」「プロジェクトマネージャー募集!」なんて職種が記載してある。


端的にいうとどれもやりたいことでもあるし、どれもやりたいことではない。じゃ何がやりたいのか。俺は自分でサービスを企画・開発して、サービスの運営からクローズまで任せてもらえるような仕事がしたい!つまり全部なのだ。


「できる仕事」ばかりしていては人は成長しない。できないことにも積極的に挑戦することで自分の得手不得手が顕著になる。そして得手を専門分野として伸ばしていけばいいのだ。しかし不得手も蔑ろにしてはいけない。理想は得手を真ん中に富士山のように頂点が高く裾野が広い能力と知識・技能を身に付けることだ。


だから人生をかけられる仕事が見つかるまでは、自分の苦手な、あるいは嫌いな仕事をすることを否定しない。むしろそのような経験がしたい仕事が見つかったときに生きてくることも大いにあるだろう。


だがある程度技能・知識を習得し、その仕事から得るものが少なくなったら見切りをつけ、真に人生を懸けられる仕事を探さなくてはならない。そして俺は今まさに人生を懸けられる仕事を探している。


俺のやりたいことはサービスの開発から運営~クローズまでのサイクルを一貫して任せてもらえる仕事。でもそんな求人は載ってるわけがない。だから困ってる。


このようなやりたいことに該当するのは「起業」ということになってくる。それは十分に理解しているのだがネタがないのである。求人にやりたいことはないし起業もネタがない。現在八方塞がりなのである。


現在の自分の仕事が自分の真にやりたかった仕事と一致している人はどれ程いるのだろう。


俺の父は大学卒業後、地元(北海道)でテレビ局のディレクターをしていたそうだ。しかし実家で商店を経営していた祖父の体調が思わしくなく、志半ばでテレビ局を辞め実家を継ぐことになった。


実家の商店は戦前から続いていたそれなりに由緒正しい店だった。繁盛もしていたらしく、母に当時のことを聞くと毎晩晩飯は寿司をとっていたらしい。また車も10台以上乗り換えていたという。今では面影を感じないがどんだけ羽振りが良かったのだろう。


父と母はお見合い結婚らしい。母は小柄でそれなりにキレイな顔をしているのだが、父はイケメンでは決してないし気難しいのでお見合い以外では結婚できなかっただろうと密かに思っている。俺の小学校時代は父の気難しさが頂点に達し毎晩父と母は喧嘩していた。恐らく本気で離婚も考えていたのだと思うのだが、何とか乗り越えて今に至るよう。お互い他に相手もいないし(笑)



実は昨年の四月でその店は閉店した。理由は両親が高齢になったことで、父は今年76歳、母は65(?)歳になった。(俺は現在28歳なので随分と高齢での出産だった。ちなみに二歳上に姉がいる)


母によると父が多少お金の計算を間違えるようになったということだった。昔は怖かった父だったのだが最近はのんびりしているというか、これが丸くなったということなのだろうか。


父にはテレビ局で働いていたときのことを聞いたことはあまりない。ただ時々あのまま働いていたら…なんてことを聞くことはあった。多少なりとも未練はあったのだろう。


母は実家の商店で化粧品を売っていた。実家では宝くじとたばこ、化粧品を扱っており、宝くじとたばこが父の担当、化粧品が母の担当だった。(父が祖父から店を継いだ当時はおもちゃ屋で雀荘もやってたなんて話もある)


聞いたことはないが母にも何かやりたいことはあったのだろうか。両親ともに昔の人間なので今ほど職業選択の自由はなかっただろう。ましてや女性なら尚更か。今度母に聞いてみよう。


実は父は俺に地元に帰ってきて欲しいという気持ちが少なからずあることを最近知った。自分自身は全く帰るつもりはないのだが東京で働くことを応援してくれていると思っていたので少し驚いた。年齢を重ねるとやはり子が恋しくなるのだろうか。ちなみに店を継いで欲しいという気持ちはなかったよう。地元の街は最盛期から人口が半減し昼間、街に人通りは殆どない。たまに子供と老人が通るくらいで以前に椎名誠に「ゴーストタウン」と評され問題になった。衰退の一途を辿るこの街での商店経営にどれほど先がないか痛いほど知っているのである。せめて札幌で働いてくれれば…という気持ちでいるらしい。


俺は割りと親不孝で実家に殆ど帰らなかった。仕事の都合もあったのだが特に帰りたくもなかった。姉はちょくちょく帰っているようでたまに写真がメールで送られてくる。


親の話しになってしまったのだが、両親は俺に「安定した仕事」に就いて欲しいと言う。安定した仕事とは何か?と問うと、「大きな企業で働くこと」だという。


今の時代、銀行でさえバッタバッタと潰れているし、びっくりするような大きな企業が潰れたなんてニュースが突然報道されることもあると話し、安定した仕事なんてないと説明した。すると「市役所はどう?」と勧められた。


このように俺と親とでは全く仕事観が異なっている。生きてきた時代が違うので仕方ないとは思うのだが、俺は仕事を生き甲斐にしたいのだ。大手企業の末端の社員や市役所の事務員に俺は全く魅力を感じない。(働いている人が読んでいたらすみません。ここでは仕事観が自分と異なるということを強調するために例示しています。それぞれの職業に誇りを持って働いている人ももちろんいると思いますが私自身は魅力をあまり感じない、という意味です。悪しからず)



友人にも「世の人は何を思ってその職業を選んだんだろう?」という疑問をぶつけたことがあるのだが、友人も「確かになぁ~」と唸っていた。


「できること」と「やりたいこと」は往々にして一致しないし、一致していてもさまざまな制約から選べないことだってある。



職業を考えることは人生を考えること。悩みは単純だが限りなく深い。