ハワイの女たち その2 | 女性の時代です!− 健康と冨とフィランソロピー

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女性の時代です。男性に頼って生きていく事はと〜っても危ない。自己の健康を守って同時にきちんと冨も追求。そして、社会貢献も忘れずにね。女性の力って凄いんだよ。

ハワイの島々、何島まで思いつきますか?
ハワイ島、マウイ島、カウアイ島。。。。。


たまに、ハワイ島がハワイ州のメインの島だと思っている人がいますが、違いますぅ~~。


あの有名なワイキキのあるメインの島の名前は、オアフ島っていうんですよ~。


この他に有名な島には、モロカイ島やラナイ島があります。


あとは、ハワイアンの原住民が住むニイハウ島(ニイハオじゃないですよ~。それじゃ中国になっちゃいます)、そして、以前米軍の演習地となったカホオラヴェ島などがあります。


あっ! いやいや、今日は、島名の勉強ではなくて、メインの島オアフ島の西側にある、マカハという土地に生きた「クイーン・オブ・マカハ」と呼ばれた女性のお話です。



彼女の名前はレル・サン。本名を、レル・カポリオカ’エフカイ・サンと言います。



。。。。。汗、はい、またまた長い名前ですな~。あせるリリウオカラニほどではありませんが。



ちなみに、「カポリオカ’エフカイ」とはハワイ語で「ハート・オブ・ザ・シー」という意味だそうです。海の心臓。。。。海心。。。海の心です。



海にも心があるんです。そう、ハワイでは、海はとても神聖なものとして考えられています。



さあ、そのニックネームがついた由来ですが。。。。。



レルは、1950年に、オアフ島のウェストサイドに位置するマカハという、今でも手つかずの自然が残る町で生まれました。



サーフィン、ダイビング、カヌー、スピアフィッシングなど、海のスポーツとして考えられるスポーツは全て網羅し、当時では珍しかった、女性のパイオニア・サーファーとして世界中を旅し、各所で行われた大会に出場、数々の賞を受賞しました。




また、フラダンスの先生、ライフガードでもあり、ラジオのパーソナリティでもありました。そして何と、柔道の黒帯を持っていたそうです~。



とても慈悲深い女性で、困っている人や貧しい人には食事を与えたり何でも貸しあげるという優しい行動が多かったと同時に、マカハの町で起るちょっとしたもめ事などには、柔道の黒帯の腕を生かして立ち向かう、果敢な性格でもありました。



そして。。。。。。。1983年に乳がんの診断を受けます。



日に焼けた黒髪をなびかせて、とろけそうな笑顔が素敵なレルは、15年間に渡る乳がんとのバトルの末、ハワイの皆の愛を受けながら1998年1月2日亡くなりました。




さて、今日のお話はここからがメイン。



生前、レルは、単にスポーツウーマンであっただけでなく、愛してやまないマカハの町で育つ子供たちのために多大な貢献を残しました。



マカハという町は、手つかずの自然と古き良きハワイが残っているのんびりとした町であると同時に、あまり裕福とは言えない、一歩間違えば悪の八重歯が見え隠れする町でもあります。



1976年、レルは『ハワイアン・メネフネ・サーフコンテスト』をスタートします。



来年で40周年を迎えようとしているこのコンテストで、レルは、サーフィンをしたくてもボードが買えない子供達にサーフボードを提供したり、コンテストの賞品やトロフィーなどをたくさん用意して多くのマカハの子供達に夢を与え、彼らをダークな場所から光がともる場所へと導いたのです。


マカハの町には、「レルに助けてもらわなければどうなっていたか分からない」と打ち明ける人たちが大勢います。



また、『レルのモーテル』と呼ばれた趣のある家には、常に世界中から旅人が訪れていました。



レルはその旅人一人一人にアロハ・スピリットでおもてなしをし、彼らが去る時には来た時よりもしっかりとした方向性を持ち帰ってくれる事をミッションとしていたそうです。



レル・サンは、ハワイ女性のアイコンです。乳がんと戦いながら子供達に夢を与え続けただけでなく、世界中の人々に愛を注ぎ込むハワイアン女性として多くの驚異的な足跡を様々なジャンルで残しました。



こんなに優しくてパワフルで愛に満ちあふれたレルに、一度会ってみたかったと思います。
どれだけのインスピレーションをもらえたか。。。。



レルの、ひまわりのような笑顔は、今でもハワイに住む多くの女性たちに勇気と自信を与え続けています。





Photo Credit: Linny Morris