女性の時代です!− 健康と冨とフィランソロピー

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女性の時代です。男性に頼って生きていく事はと〜っても危ない。自己の健康を守って同時にきちんと冨も追求。そして、社会貢献も忘れずにね。女性の力って凄いんだよ。

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ハワイには日本人がたくさん住んでいます。 あ、知ってた?



まあまあまあ あせる




むか~しむかし、1800年代の明治時代までに遡るけど、ハワイがまだ王国だった頃、日本(だけじゃないけど)から、大勢ハワイへ移住した人たちがいました。




この人たちがハワイに移住した理由は、さとうきび畑で働く事。いわゆる、出稼ぎでした。




彼らは、「ハワイで稼いで国(日本)の家族を助け、いずれは日本の家族の元に帰ろう」という夢を持って移住してきました。




けれど。。。。。




過酷な労働に加えて賃金は異常に低く、とてもとても一攫千金や一旗あげて、なんて夢は叶わず、結局ほとんどの人たちがハワイに残り、ハワイで家族を作り、ハワイで亡くなったのです。




日本から移住した日本人は、「一世」といいます(私も一世)。




1800年代に移住してきた日本人たちが残した子孫たちは、二世、三世、四世。。。いまでは五世というジェネレーションも存在します。




そういう子孫たちをひとまとめに、「日系人」と言います。





移民の歴史ももっと紐解いてみたいと思うけど、また別の機会に。




本題はここから~~~~~




ハワイに働きに来た人たちは、当然ながらそのほとんどが男性でした。




だから。。。。。。。




彼らは嫁が欲しかったんですね。
でも、嫁にするならやっぱり日本人女性がいい、という事で、




日本から「呼び寄せ花嫁」を募りました。




当時、貧しい農家の娘たちは身売りも同然で奉公に出されていた時代。




ハワイという外国の地、そして移住した男性と同じく、「夢」を抱いた女性たちは、何と、この男性と結婚しませんか、と送られてきた写真一枚で嫁ぐ事を決め、遠路遥々ハワイへやってきました。





その数およそ15000人といいます。





彼女たちは「ピクチャー・ブライド」と呼ばれました。ピクチャー=写真 ブライド=花嫁 です。





夢と希望を胸に、長い時間をかけて海を渡ってきた女性たちは、ハワイの船着き場に一歩足を踏み出しました。




しかし。。。。。





船着き場に迎えにきた夫となる男性は、写真の中の男性とは似ても似つかない容姿だったり(詐欺~)





そんな男性を「騙された」と、受け入れられずに辛い結婚生活を送る事になり(当然~)





また、あまりにも過酷なさとうきび畑での労働で、からだを壊したり。。。。。。(酷い~)





ピクチャー・ブライドとしてハワイへ移住した当時の日本人女性は、想像もつかないような苦労をしたそうです。





そんな女性たちを題材にした映画『ピクチャー・ブライド』があります。良かったら観てみて。





そんなわけで、現代のハワイには、本当に多くの日系人がいます。





そして、今でも、国際結婚をしてハワイに移住してくる日本人女性がたくさんいます。




もちろん今はピクチャー・ブライドなんてシステムは無いけれど、外人と結婚してハワイに住める、という理由だけで簡単に結婚しちゃう女の子が一杯いるそうです。




そしてその多くが離婚。。。。。




シングルになった日本女性たちは、物価がバカ高いハワイで何とかして自立を試みます。




ハワイの物価の高さは尋常じゃないの~。ほんとよ~~~~。しょぼん




てなわけで、ハワイに生きる日本人女性は、昔も今も、パワフルです。



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Japanese American =日系人