10日の金曜日
三週間前から計画をしていた長野へ遠出をしてきました
目的は、「善光寺前立本尊御開帳」
善光寺を訪れるのは2度目です
朝、6時半出発
高速は渋滞もなく順調
碓井トンネルを抜けると、山には雲がかかっているけれど晴れ
長野インターで降り
長野市内を走るのに
予想以上に時間がかかりました(´◦ω◦`)
善光寺へ近付くと、駐車場に入るための大渋滞(o゚Д゚)エエッ!!
私たちは渋滞途中の有料パーキングに停めて
善光寺まで歩きました
初めての善光寺御開帳にワクワク((*p'∀'q))♬していると
これまた、参道の人の多さにびっくり
平日でも駐車場渋滞に加え人・人・人
週末は、さぞかし大変でしょうね
善光寺の御本尊「一光三尊阿弥陀如来像」は
真ん中に阿弥陀如来
右に観音菩薩、左に勢至菩薩が並んでいます
普段は直接拝むことができず
白雉5年(654年)以来の絶対秘仏とされています
七年に一度、御本尊の御身代わり「前立本尊」を
公開するのが、御開帳です
御開帳期間中、山門と本堂の間に1尺5寸角、
高さ33尺の「回向柱」が建立されます
公開された
前立本尊中央の阿弥陀如来の右手に結ばれた金糸は
五色の糸に変わり
白い「善の綱」として、本堂前の回向柱に結ばれます
回向柱に触れることは
前立本尊に触れるのと同じ功徳があるとされます
回向柱の四面に書かれている瓦文字と漢文は
宇宙の構成要素である
空・風・火・水・池を意味します
仁王門
善光寺の参拝者を迎える最初の門です
仁王門は
宝暦2年(1752年)に建立されましたが
弘化4年(1847年)の善光寺大地震で焼けてしまいました
その後、元治元年(1864年)年に再建されましたが
明治24年(1891年)の火災でまた焼失し
現在のものは大正7年(1918年)に再建されたものです
高さは13.6m、間口13m、奥行き7mのけやき造りです
画像はHPよりお借りしました
仁王像は
巨匠である高村光雲と米原雲海の合作による彫刻です
山門
画像はHPよりお借りしました
山門は
江戸時代中期の寛延3年(1750年)に、5年の歳月を経て建立されました
様式は
高さ五間三戸二階二重門
屋根は入母屋造りの栩葺きで、高さ・間口とも約20m
正面には有名な「善光寺」の額が掲げられています
この額は
享和元年(1801年)、輪王寺宮公澄法親王の筆で
大変有名な額だそうです
通称「鳩字の額」と呼ばれ、鳩が五羽隠されています
山門の内部拝観は、並ぶことなく見学が出来ました
山門の内部(門の2階部分)には
四天王に囲まれた木像文殊菩薩坐像が安置され
四国八十八ヶ所の札所本尊を模刻した百体仏が祀られています
文殊菩薩坐像が安置されていることから
山門のことを「知恵の門」とも呼ばれています
60度の階段を上ります(怖い~)
上から撮った様子です
内部は撮影禁止で、外の回廊のみ撮影可能でした
回廊からの眺めです
前立本尊に触れる行列ができています
本堂を見渡します
前立本尊と本堂が「善の綱」で結ばれているのが見えます
善光寺の額を、身を乗り出して撮りました(⌒-⌒; )
では、前立本尊に触れる列に並びます
待ち時間は30分
並んでいる際に、列を案内する係の親切な男性が
「皆んな、御開帳の意味を分からないでしょう」と
説明をしていました
HPには書かれていないことを
その方が言っていたのは
触れるのは右手、左利きの人も右手でと
強調して言っていました( ◠‿◠ )
「善の綱」がハッキリと分かりますね
皆さん、こんな感じで拝んでいました
本堂
善光寺本堂は、江戸時代中期を代表する寺院建築です
本堂は
間口23.89m、高さ25.82m、奥行き53.67m
江戸時代中期の仏教建築を代表する大伽藍です
国宝建造物の中の敷地面積では
東大寺大仏殿、三十三間堂に次いで3番目の大きさです
画像はHPよりお借りしました
現在の本堂は
元禄13年(1700)の火災の後に
徳川幕府が松代藩に命じて造られたものです
7年の歳月を経て、宝永4年(1707年)に完成しています
設計は
幕府お抱えの名匠である、甲良豊前宗賀(こうらぶぜんそうが)です
明治28年に国宝に指定されました
本堂から回向柱を見た様子です
本堂内陣の見学、お戒壇めぐりも出来ますが1時間半、並びます(ヘ;_ _)ヘ ガクッ
時間が足りないので、やめました
経蔵(輪廻塔)
経蔵は宝暦5年(1755年)に造り始め
同9年(1757年)に完成した歴史ある建物です
宝形造りで正面、奥行きともに15.4mの正方形の建物です
内部は石敷きで、中央に八角の輪蔵があります
経蔵の中には、輪蔵のほかにも伝教大師や慈覚大師像、
中国で輪蔵を発明した傳大士像、釈迦三尊像、如意輪観音などが
安置されています
輪蔵は、水平に柱が角のように出ていて
押すと心棒をめぐって独楽(こま)のように
くるくる回転するようになっています
輪蔵の中には、鉄眼黄檗版一切経(6771巻)が収められています
経文を読まなくても輪蔵を回すだけでお経を読んだのと同じ
功徳が得られると言われています
輪蔵を回すのに、力がいりましたよ( ´﹀` )
輪廻塔
35年位前に訪れた時とは違っていた印象も多いのですが
それは
私が忘れているだけなのか、定かではないです
一つだけ違いがハッキリしたのは
当時は、境内に牛の石像がありましたが
今回は、パンフレットが置いてある小さな建物の中に
牛がいました
ここに移動した
でも、牛が違う
この時は疑問のままでしたが
善光寺参りの後に立ち寄った雲上殿に
当時の牛さんがいました
(雲上殿のところで種明かししますね)
もっと見学しようと思っていましたが
混雑していたので
主要なところだけで終えることにしました
参道近くで
美味しいお蕎麦を食べようと2~3軒、下調べをしていましたが
行列が出来ていたので
次の小布施で食すことにして、雲上殿へ向かいました
ところが
駐車場を出ても車が動かない
駐車場待ちの車の渋滞でした
料金を払い一般の駐車場に停めたのに
出てから、この渋滞に巻き込まれるとは
逃げる道がないので我慢です
本来なら5分のはずが20分かかりました
善光寺雲上殿は善光寺本堂から北へ約1㎞の
地附山の中腹にある
善光寺平を一望する善光寺の大納骨堂です
高台からは、長野市街と山々が見えます
そこに、牛さんがいました
三十数年前に善光寺にいたのは、この牛さんです
インド初転法輪寺や善光寺雲上殿の壁画を手がけ
日本とインドの文化交流に尽力された野生司香雪画伯のご縁により
昭和26年、仏教伝来1400年を記念してインドのネルー首相から
善光寺へ2頭の白牛が贈られました
境内で飼育されていたこの白牛は
死後、長野市を一望する雲上殿に「牛の石像」を墓碑として埋葬され
今日まで大切に供養されてきました
建物の中に入ると
平日にも関わらず
喪服姿の方が、数組いました
なんとなく場違いのようで気が引けましたが
ここから善光寺を見ようと来たことを話して
中庭見学をしました
この中庭は、下の公園からも来ることが出来ます
ワンちゃんの散歩の方がいました
振り返ると、色鮮やかな納骨堂の建物です
この建物の左右に
本殿と渡り廊下でつながれた西納骨堂と東納骨堂があります
善光寺参り、終了です
善光寺には宗派がありません
それは
宗派が別れる前にできたお寺だからです
2度目の訪問で知りました
見どころは他にもたくさんあります
それらを見るには
時間の余裕が必要でした
次は、小布施の街並み見学に向かいます
美味しいお蕎麦が食べられるかなぁ~と
期待して向かいましたが・・・
続きます(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾