常境寺 公式ホームページが出来ました。
朝顔ーー本の虫ー紙魚除け
江戸時代末、山村僻地に暮らす民衆に
生活に有益な情報・知識をもたらすことを目的に、嘉永4年(1851)、
三松館主人が編纂した『民家日用広益秘事大全』という書物があります。
内容は日常生活全般に及び、多岐に渡って網羅し、
病気の治療、農業、気象、住まい、衣服、暦、占い、料理など、およそ1千項目に及んでいます。
その冒頭に
「書物の間に朝顔の葉、又は実を紙に包んで入れておく。この方法は優れて良い」と記しています。
いま、朝顔は季節。
でも、紙魚(シミ、本の虫)にはイチョウの葉が良い、と教えられたのだけれどもなあ・・・・・・・・。
幻冬舎より「江戸庶民の生活便利帳」の副題で、現代語が出版されています。
今日は初午、稲荷(寿司)の日・・・
今日、2月7日は、初午の日です。
伏見稲荷の開創が午の日であったという故事から、
昔から午の日は稲荷神の縁日となり、
ことに初午の日は稲荷社へお参りするのが習わしでもありました。
近年はあまり見られませんが、稲荷神を祀る寺社では初午祭が行われます。
当寺でも初午祭を行います。
寺社だけでなく個人の家でも稲荷神を祀るところでは油揚げを始め様々な供物を供え、
供養するところもあります。
ところで、稲荷と言えば油揚げですが、これは、五行の関係から用いられています。
稲荷神は富の象徴で、金運財運の神でもあり、金運財運は西の方位、色は白。
その財運を更にアップさせるのが土性の黄色です。
そのために狐の好物であり、黄色の色をもつ油揚げが用いられたと言われます。
近年は、白、黄色からか、卵の供え物が見られるといいます
おそらく、黄身と白身という、黄色と白が同居するからでしょうね。
黄色と白とするならば、むしろ白のご飯と黄色のある油揚げの、
稲荷寿司の方が理にかなっているような気もします。
二月には、節分の恵方巻きという訳のわからない、
どこかの仕掛けというイメージのある恵方巻きよりは、
初午と稲荷寿司は良いのでは、などと思ってしまいます。
というので、初午の日は稲荷寿司の日としよう・・・・・。
北関東では、古くから供え物、正月の塩シャケの頭、節分の豆、
大根、人参、油揚げ、酒粕などを酢醤油で煮込んだものを藁包に入れた、
しもつかれ、あるいは、すみつかりという料理を供えたといいます。
う~ん、いなり寿司でいいかなあ。
稲荷寿司は江戸での記録によると、およそ200年ほど前、
1840年代に江戸で売られ始め、名古屋では
それ以前から売られていたという。
そこで名古屋周辺で調べてみると、はっきりとしたことはわかりませんが
どうも豊川稲荷がその発祥らしいですね。
今日は何の日?
1月18日は、海上保安庁、118番の日だそう。
ちなみに警察の110番は、1月10日で、明日の1月19日は消防で、消火器点検の日だとか。
これらはさておき、仏教では8のつく日は観音様の縁日で、18日は鬼子母神の縁日です。
ところで、ちょっと因縁めいた話。
江戸時代、明暦の頃。
お江戸・麻布の裕福な質屋・遠州屋の娘・梅乃(数え17歳)は、本郷の本妙寺に母と墓参に行ったその帰り、上野の山ですれ違った寺の小姓らしき美少年に一目惚れ。ぼうっと彼の後ろ姿を見送り、母に声をかけられて正気にもどり、赤面して下を向く。梅乃はこの日から寝ても覚めても彼のことが忘れられず、恋の病か、食欲もなくし寝込んでしまう。名も身元も知れぬ方ならばせめてもと、案じる両親に彼が着ていた服と同じ、荒磯と菊柄の振袖を作ってもらい、その振袖をかき抱いては彼の面影を思い焦がれる日々だった。だがいたましくも病は悪化、明暦元年1月16日、梅乃は若い盛りの命を散らす。両親は葬礼の日、せめてもの供養にと娘の棺に生前愛した形見の振袖をかけてやった。
当時こういう棺に掛けられた遺品などは寺男たちがもらっていいことになっていた。この振袖は本妙寺の寺男によって転売され、上野の町娘・きの(16)のものとなる。ところがこの娘もしばらくの後に病となって、明暦2年1月16日に亡くなり、振袖は彼女の棺にかけられて、奇しくも梅乃の命日にまた本妙寺に持ち込まれた。寺男たちは再度それを売り、振袖は別の町娘・いく(16)の手に渡る。ところがこの娘もほどなく病気になって明暦3年1月16日に死去。
何やら因縁めいた話、そうですね、1月16日は閻魔賽日。
1月18日、振袖はまたも棺に掛けられ、本妙寺に運び込まれてきた。
さすがに寺男たちも因縁を感じ、住職は問題の振袖を寺で焼いて供養することにした。住職が読経しながら護摩の火の中に振袖を投げこむと、にわかに北方から一陣の狂風が吹きおこり、裾に火のついた振袖は人が立ちあがったような姿で空に舞い上がり、寺の軒先に舞い落ちて火を移した。たちまち大屋根を覆った紅蓮の炎は突風に煽られ、一陣は湯島六丁目方面、一団は駿河台へと燃えひろがり、ついには江戸の町を焼き尽くす大火となった。(Wikiより)。
18日に出火した火は20日まで続いたといいます。
いわゆる明暦の大火、俗に言う振袖火事です。
(この話、伝承ごとに大店の名や娘の名が異なるんですね)
冬は空気乾燥で、火事も起きやすい。十分ご注意を。
呪法研究所
今日は初閻魔、閻魔賽日の日
閻魔賽日とは、地獄の釜が開いて鬼も亡者も休むとされています。
地獄の罪人も少しはホッとすることでしょう。
この閻魔賽日は、ふつう、お盆の7月16日が知られていますが、1月16日も初閻魔として閻魔賽日といわれます。
古くから、この日は寺院で十王図や地獄相変図を拝んだり、閻魔堂に参詣したりしていました。
十王とは、人が死後、亡者と成って冥界に行き、生前犯した罪の裁きを行う十人の王の事で、秦広王、初江王、宋帝王、五官王、閻魔王、変成王、泰山王、平等王、都市王、五道転輪王のことで、閻魔はその中の一王です。
この十王については日蓮聖人ご遺文に『十王讃歎抄』というのがあり、亡者の十王による裁きがのべられており、これについては御住職の説法があると思います。
生前犯した罪が浄玻璃鏡に映し出され、
亡者を裁く閻魔王。(三十五日)
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正月飾り
幣束ーしめ縄弊と
その年の幸を司る歳徳神弊です。
歳徳神弊にはいくつかの形式が有り、
これは一例です。
歳徳神(歳神)は、毎年位置(方位)を変えます。歳神のいらっしゃる方位を恵方といいます。
2018年は「丙」(南南東)の方位。真南よりやや(15度)東よりの方位です。
この方位に祭ります。
かつては、常置の神棚の他に歳棚という神棚を別に歳神の方位(恵方)に設け、
鏡餅を供え、歳徳神を迎える目印として松葉を飾っていました。
この目印としての松葉は、室内にあるため、
歳徳神が気づかずに通り過ぎるのではないかというので、
はっきりとした目印として家の入口に飾るようになりました。
現在の門松はその名残ですが、
三本の竹を支柱に松葉をはじめ様々な縁起物で飾るのは比較的新しく、
広く普及するのは戦後のことです。
歳神様は恵方の方位から各家においでになるわけで、
家の入口の門松は、迎えの目印とはいえ、その方位が恵方とは限らないと思うのだが、
そのあたりはどうなのだろうか。
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