![菱池01](https://stat.ameba.jp/user_images/20121205/21/joker100/d8/24/j/o0620041312317568653.jpg?caw=800)
見上峠を越えて、大菱池町へやってきました。
途中で車を停めて、集落までの道を歩いて登って。集落に入る前に、畑で大根を収穫してた老夫婦に出会いましたが、この大菱池町は家屋はこうやって何軒か残ってますが、金沢市の集計では残存世帯0となってるハズです。
間もなく、積雪になってきたら今や住まうに大変な山深いとこです。思うに、田畑の世話には滞在しにきても、一年通して住むこと能わず、になってるんじゃないでしょうか。
そんなところへ何しに来たかというと、
![菱池02](https://stat.ameba.jp/user_images/20121205/21/joker100/6f/3b/j/o0620041312317568654.jpg?caw=800)
この集落にも、神社があったわけです。ところが、そういった残存世帯がない山村で、どうして村の鎮守を維持できましょうや?
現に、森下川上流の奥新保町では、鎮守の八幡宮はほぼ手入れされず、石段も崩れてて草ぼうぼうで進入できませんでした。
そしてここ大菱池町はどうかというと、日吉神社がこの位置にあるばすが・・・、なんか「きぼうの里」ってカンバン出てますねぇ。
周辺もくまなく探してみましたが、跡形もなくなってしまってるようです。
![菱池04](https://stat.ameba.jp/user_images/20121205/21/joker100/8c/57/j/o0620041312317568655.jpg?caw=800)
ザンネン。そんならあの老夫婦に尋ねてみればよかった・・。
3軒ほどになった家屋の周辺も覗いてみたし、さらに奥の道を登ってもダメでした。
それでその道の行き着いた先は・・・、なんと開けた尾根に田圃が広がっていました。
![菱池03](https://stat.ameba.jp/user_images/20121205/21/joker100/f7/4d/j/o0620041312317568656.jpg?caw=800)
標高は400m以上あるし、このあたりなら金沢市内の田圃の最高地点でしょうか。
真南には大門山の美しい三角形の姿も。
なんでこんな山の上に、ってギモンにも思いましたが、
![菱池07](https://stat.ameba.jp/user_images/20121205/21/joker100/41/5f/j/o0620041312317576418.jpg?caw=800)
これは見上峠そばの田圃ですが、大菱池町の田圃にも同じ表札がありました。
つまり石川県の米の種子生産ほ場、というわけのようです。
コシヒカリ、とありますが、たぶん都会の空気とかに汚染されない、標高の高い清々しいところで育ったコメを種子として翌年に利用する、という趣旨なんでしょうかねww
![菱池06](https://stat.ameba.jp/user_images/20121205/21/joker100/35/09/j/o0620041312317576417.jpg?caw=800)
そんな奥地(決して"人跡未踏"のような辺境なわけじゃないですけど)にもはるか昔から人の営みがあって、いやむしろ昔の方が人口が多かったわけですよね。それぞれの集落一つ一つが明治以前に"村"だったし、必ずと言っていいほど"村の鎮守"があったんですから。
この写真の中央の谷向こうにも、菱池小原町という集落があって、八幡神社があったはずですが、現状まだ未確認です。
このあたりには4つの集落があって、その一つ魚帰町に八幡神社が残存してるんですが、そこに集約されたか、ここの神社たちを管理してる宮司さんがいる寺町の諏訪神社に合祀されたか、どちらかだと思われます。
諏訪神社の宮司さんに訊くのが一番早いんですが、実地踏査をまずしないと気が済まないんで、この続きは来春以降ですね。。
![菱池05](https://stat.ameba.jp/user_images/20121205/21/joker100/b6/db/j/o0620041312317576416.jpg?caw=800)
戻り道をよく見たら、しいたけのほだ木が竹やぶに並んでました。
もうすぐここも積雪に覆われます。もしかしたら今週末には・・・。 それでも昔の人は生活してたんだからスゴイことですよね。。
![菱池08](https://stat.ameba.jp/user_images/20121205/21/joker100/f9/08/j/o0620041312317576420.jpg?caw=800)
フシギと言えば、やはり毎冬雪深くなる見上峠に、この金沢大神宮が例の香林坊から大手町経由で移転してきて、あまりに雪がすごくて社が維持できず廃宮にしたといいます。
だからこんなふうに屋根とか倒壊したまま放っぽかれているんですが、あのレトロな模型のように街の中心部で栄えていた金沢大神宮が、何故にこんな山奥に移されたのか、はなはだギモンです。
これも、金沢大神宮を管理していた、今は浅野川稲荷にいらっしゃる太田宮司に訊けばいいんですけど、もう少し自分なりに調べてからねww