テレビ寺子屋『僧侶 川村妙慶さん』~いのちの声に呼応する~レビュー | 日々のMyblog

日々のMyblog

私はこれまでの人生、様々な激動人生、試練の連続、一難去ってまた一難、私の健康面で何よりも私にとって辛い苦しい体験多々。だからこそこのアメブロが孤独の中生きる上でのモチベーション楽しみとなっていた。一言プロフに残しておきます。

テレビ寺子屋『僧侶 川村妙慶』

~いのちの声に呼応する~

【番組全体を通しての私の感想】

今晩深夜にやっていた

テレビ静岡<テレビ寺子屋>

『僧侶 川村妙慶』さんの法話。

🍀タイトル<いのちの声に呼応する>

テレビつけていたら

『このタイトルは凄く興味深い!』

となり、彼女の法話にあっという間に惹き込まれた!

やっぱり日本人は仏教の宗教観かな、と思ったし、

私自身もこの法話を聞いた中で

私自身、

キリスト教徒(プロテスタント)より

仏教の方がある意味しっくり来る、

心洗われる気持ちにさせられた!

また仏教の教えは

キリスト教の中でも

カトリックと重なる部分があるな!

とも感じられた!

それは、

『愛や思いやり、ご自分をご大切に』

という意味において。

(特に渡辺和子さんの書籍『置かれた場所で咲きなさい』のメッセージと重なる部分を感じた!)

【番組内容/川村妙慶さんの説法】

🍀タイトル『いのちの声に呼応する』

人間の声や言葉も

『生きた生の声や言葉』

に触れる機会が希薄になり

閉鎖的日本の世の中、閉鎖的日本社会

と叫ばれて久しい!

それは

インターネットSNS時代の影響が強いからである

そのように誰しもが認めているところであります。

また

『コロナ禍』

更にそれに拍車をかけたのであります。

そしてそうした

『生きた生の声や言葉』から

言葉に対して

ないがしろに雑な扱いをされている

昨今の世の中の時代であります。

😥この世の時代は
『言葉』ではなくて『コトバ』が欠けている
<貧しく・乏しい>のである。

(ちなみに、
この『コトバ』の意味するところを
昨日のブログで綴りました。
<NHK Eテレ 100分de名著
『新約聖書 福音書』レビュー
をご参考にしてみてくださいね。>)


🛐<ヒトは皆、迷惑をかけていきています>

例えば、

日々毎日の生きる糧となる

『食事をする』

目の前にある『食事』も

何らかの血肉の犠牲を払われ、

私たちに提供与えられていて、 

そのようにして

わたしたちは既に迷惑をかけているわけです。

🛐<回心>

仏教の世界では『えしん』と読まれるのですね。

わたしたちはとりわけ

『かいしん』

と読まれる方が一般的ではありませんか。

『えしん』

その意味について辞書で調べたので

詳しくは

下欄の画像でそれぞれ確認してみてね。

🛐<『学文』と『学問』の意味の違いについて>

『学分』

文字をそのまま学ぶこと

[知識]を持った学び方

単にそのような学びをしただけでは

人生に深みがなかなか出てくることは難しくなります。

一方、

『学問』

問いを学ぶ

知識を学んだことにおいて

『何故このようになったのかな?』

『どのような歴史的な背景があるのかな?』

と自分自身に問いかける質問力

(WhyでありHowでもあるわけですね。)

人間的に人生的に[幅を広げる]

『学分』で生きるより『学問』で生きる

そのために大切なことは

[ココロを添えて生きる]

🛐<『怒る』と『叱る』の意味の違いについて>

『怒る』

腹を立てる

『叱る』

相手の気持ちに立って

柔らかな言葉を添える

🛐<人とのコミュニケーションは『山びこ』のやり取り>

例えば

『冬ってホント寒い!』

❌寒いに決まってる!

⭕️(やんわりと)寒いか

『夏ってホント暑い!』

❌暑いに決まってる!

⭕️(やんわりと)暑いか

話の腰を折るコミュニケーションに気をつけよう  

そうしないと

ココロも折れてしまいます。

【結論】

いのちの声に呼応するためにも、

1、まずは、

[相手のいのちの声を聞こう(聴こう)]

⇒やはり聞き役になることが尊いコミュニケーションなのですね。

2、相手の奥底にある本当の声を意識してみましょう。