心のパズル -3ページ目

心のパズル

パニック障害により人生がガラリと変わり、一度壊れてしまった心のパズルを作り直す日々。
経験者だからわかる体験記や、考え方、人生への向き合い方など。
自身の思うがままに綴ります。

人には誰でも裏表があると思っています。

 

しかし、それは生きるための術として使い分けているにすぎない事が多いでしょう。

 

本人に裏表の自覚がないこともしばしば当たり前にあることです。

 

でも、人の裏表を間近で見た際に気持ち悪く感じる事ってあると思います。

 

自覚なく使い分けていることがあっても、自分では気づかない。

 

他人が使い分けていることには敏感に反応する。

 

それを冷静に傍から見ていると、何とも滑稽に映るのだが、それが現実社会の日常。

 

そして、うまく使い分けられない自分がいる。

 

生きづらさを抱えている人には、自分と同じような感覚を持っている人が多いのではと思う。

 

誰かに同調し、自身の居場所や立場を確保し、少しでも有利な状況で日々を過ごす。

 

ごく当たり前なのかもしれないが、どうしても自分は違和感を感じてしまう。

 

キレイごとに聞こえるかもしれないが、どうしてもその流れに乗れない自分がいる。

 

そうすることに慣れてしまえば楽に生きられるのかもしれない。

 

でも、どうしてもできない自分がいる。

 

 

ツイッターに疲れた。。。という話を聞くことがありますが、

私も見ていてしんどくなる時があります。

特に調子がすぐれない時は。

 

前向きな発言や、心がほっこりするのに出会えば良いのですが、

己の正義を振りかざし、あげ足をとりあい、何でもかんでも批判批判。

 

やりあってて疲れないのかな?とか

そこでしか主張できないのかな?とか

世間で認めてもらいたいけど認めてもらえないのかな?とか。

 

ある意味本音むき出しなので、人の心の中をさらけ出しているようで恐ろしくなります。

 

そんな中、冷静にポッと客観的な意見を放り込む人がいたりすると、

この人はリアルでも変わりなく冷静に話が通じる人なんだろうなと思います。

 

気分を害するなら見なければいいと言いますが、

普通にタイムラインを追っていると見えてしまうからね。。。

 

そんな状況に疲れたら、やはり一時はSNSから離れ、見ないようにするしかないのかもね。

 

でも、疲れてたり落ち込んでたりする時に、いつも以上に見たりすると思うので、

余計に目についてしまうので困ったものです。

 

 

皆さんは、社会人になってから親しい友人と呼べる人が何人いるでしょうか?

 

学生を卒業してからは、仕事や結婚などにより、疎遠になっていくことが多いと思います。

 

でも、趣味を通じてや紹介とかで、また新しい出会いもあったりしますよね。

 

友人というと「自分にとって良い仲間」であるはずでしょうが、

人によっては「友人に困っている」という話をよく聞いたりします。

 

私にしたら、「それを友人と呼べるのか?」と思ったりするのですが、

意外と多くの方に経験があるのではないでしょうか?

 

私は元々器用に人間関係を築けるタイプではないので、

知り合いは多くても、友人と呼べる人はそんなに多くはないと思います。

 

なので、必要以上に気を遣ったり、余計な付き合いなどほとんどないので、

そのような人間関係で困ったことはほぼありません。

 

仕事が絡んでとか上下関係が絡んでとかならいざ知らず、

ただの友人に「困っている」とか「付き合いしたくなんだけどな。。。」なんて言ってるのは、

ハッキリ言って「なぜ?」の一言です。

 

特に不安神経症やパニックをもっている方なら、すぐに気疲れしてしまうでしょう。

 

気遣いから相手に合わせてしまう人が多いと思いますが、

合わせたところで相手は合わせてくれているのを気付くわけでもなく、

余計にこちらが気分悪くなるような言動をするものです。

 

そのような友人関係ならさっぱり切り捨てる事。

 

そうすれば余計な気苦労が少なくなります。

 

「それはわかってるんだよ」といった声が聞こえてきそうですが、

では、「なぜ?友人関係を保っているの?」と聞いた時の答えは何でしょう?

やはり「どこかで他人を求めてしまうから」でしょうか?

しかし、求めていること求められていることが食い違っていては、

その関係は負担でしかありません。

 

思い切って人間関係を断捨離すれば、自ずと大切な友人だけが残り、

自身の余計な精神的負担も少なくなります。

 

必要な孤独を選択することも大切ではないかと思いますよ。

 

 

 

誰でも一度は表題のような事を考えたりしますよね。

 

そして考えるタイミングは、決まってうまくいっていない時。

行き詰った時ですよね。

 

「自分は何のために生まれてきたんだろう?」って。

 

果たして正解は何なのでしょう?

 

「○○!」といった正解があれば楽でしょうが、万人が納得するような言葉は

なかなか見当たらないと思います。

 

それはなぜかというと、疑問に思う人は「自分の使命」「役割」を知りたいから。

それも社会に対しての大きな使命や役割。

 

という事は、やはり社会に認めてもらいたい、必要とされたいのですよね。

 

しかし、自分の現実はなかなか思い通りにならない。

自分の責任ではないのに、精一杯やっているのに。。。と考えます。

 

やはり大きな枠組みでは、自分より能力のある人、優秀な人はたくさんいます。

多くの人の中での学力や仕事では優劣をつけられてしまいます。

 

では枠組みをもっと小さく考えてはどうでしょう?

 

例えば家族。

 

一番身近な存在であり、複数人の単位では小さいですよね。

 

あなたが生まれたときはどうでしたか?

困ったときはどうでしたか?

喜ばれたことはないですか?

 

いかがでしょう?

 

大きな産声を上げた時には、周りは笑顔であふれていたと思います。

そこであなたの大きな役割は一つ終えています。

成長していくことも大きな役割です。

元気で誕生日を寿命まで毎年迎えられることが喜びであり、

あなたの役割と言えるかもしれません。

 

 

特別な事情があり、、「家族」という単位にすら恵まれなかった方もいるでしょう。

 

幼い時から厳しい現実と向き合ってこられたでしょう。

 

では、あなたは一人で生きてきましたか?

小さい時からすべて一人で何でもできたのでしょうか?

 

生きているという事は、誰かのお世話になり育ててもらったということですね。

 

しかし、その事を理解するには、心の成長が伴わなければ理解しがたいと思います。

よって自暴自棄にもなりやすく、自分の存在など・・・と考えがちになってしまいますよね。

 

でも、そのような方には、同じような境遇の方の気持ちは痛いほどわかると思います。

過去の自分も考えたようなことを、同じように現在考えている人はたくさんいると思います。

 

そのような方の助けになるのは、やはり同じ経験者であることは大きいのです。

 

目に見えるものだけが役割ではなく、あなた自身の思いやりや優しさ、

気遣いなど、目に見えないもので貢献することは何よりも大きいのではないでしょうか。

 

自分の周囲にすらそれができない人は、大きな社会の役割など担えるでしょうか?

 

そう考えるとあなたの役割は自ずとわかり、やがて大きな役割を担える人になるかもしれません。

 

日々の周囲への細かい役割を果たすことで、あなたの役割を周囲から教えられることになると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

先日後輩のパパ友Nさんと初めてゆっくり話す機会がありました。

 

いろいろ話していく内に、Nさんもパニックの症状を経験した事があったらしい。

 

幸い発作とまではいかなかったようですが、未だに不安はあるようです。

 

一度はクリニックにいったようですが、深く考えないようにして、

 

単に「特定の状況が苦手」という所でとどまっています。

 

踏み込んだ話にならない限り、誰しも自分から話すような機会はないですよね。

 

しかし、自分からオープンにしてみると、意外と軽い発作を経験した方は多いようです。

 

あらためて誰でもいつパニックになるかわからないと思いましたね。

 

そこでツボにはまってしまうか、軽く流せるかでその後が大きく違う。

 

パニックに限らず、自分をオープンにする事は自然体にも繋がり、

 

心を軽く持てる秘訣ではないかと思います。