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心のパズル

パニック障害により人生がガラリと変わり、一度壊れてしまった心のパズルを作り直す日々。
経験者だからわかる体験記や、考え方、人生への向き合い方など。
自身の思うがままに綴ります。

兄は高校退学後に就職を数回するも続かず退職。

 

母に金をせびり、母は自分の稼ぎもあり、

兄に対する負い目もありで、仕方なく金を渡していたようだった。

 

父はそんな母を責め、兄を責め、酒を呑んでは夜な夜な荒れていた。

 

でも、唯一の救いは、父は仕事は休むことなく続けていたことだった。

 

 

そのころ私は中学に入学したのだが、父の母への精神的虐待がひどくなり、

母は体調を崩していく。

 

夜遅くに父が帰ってくると、寝ている母や兄を起こし暴言をはき、

イライラのはけ口にしている光景にびくびくしながら過ごしていた。

 

そして母は決心し、近くに住む祖母のところへ私を連れて避難した。

 

しかし、父は祖母宅へ夜な夜な来ては玄関を叩き、

帰ってくるように訴える。

 

その頃は世間体もあり、母が自宅で自営業もあるため出ていくことも難しく、

今ほど簡単に離婚を決心できる状況ではなかった。

その上、父は絶対子供を手放さないのと、母は意地でも子供を置いて出ていく

事など考えることは毛頭なかった。

 

まさに辛抱するしか道はなかったのである。

 

とにかく一旦は母と自宅に戻り、父もしばらくはおとなしくなった。

 

兄は今でいうニートのような状態で、働く意思も全くなく、

毎日パチンコ三昧だった。

 

私は父に怯えながらも、自我が成長するに伴い、

母を助けなければ、守らなければという思いが沸き起こっていた。

しかし、まだまだ父に歯向かっても体力ではかなうわけでもなく、

金を稼いで家を出られるわけもなく、

私と父との言い争いは徐々に増えていきながらも、

歯がゆく、希望の持てない日々を過ごすことになる。

 

そしてこの家庭環境を恨むようになっていく。

 

つづく

 

パニック障害の人で家庭環境の影響を受けている人も多いと思います。

「毒親」とよく言われていますが、やはり親の影響は大きいですね。

 

今回は私の家庭環境のお話を少し。

 

育った家庭は、父、母、兄(7歳上)と私の4人家族。

 

父はサラリーマン、母は自宅で自営業。

 

母は自宅で自営業といっても、毎日かなり忙しかったので、

私は近くに住んでいた母方の祖母に面倒を見てもらっていた。

俗にいう「おばあちゃん子」

 

 

父は男尊女卑の思考をもつ昔人間。

普段は無口で人付き合いも不器用。

ところが酒を呑むと気が大きくなり、機嫌が悪いと暴力を振るう人間。

父が若い時は、母と兄がその被害を度々受けていた。

 

母は負けず嫌いで完璧主義。

聡明で仕事人間で多趣味。

もちろん家事も一切手を抜かない。

子供の頃は、母がゆっくり座っている姿を見た事がなく、

休みの日は仕事の技術の講習に行き、三味線、俳句、短歌、

詩吟、大正琴など、常に何かの習い事をしていたような人。

 

 

こんな対照的な二人は、私が小学生の頃の記憶では、

仲の良い光景を見た事がない。

私には上記以降の断片的な記憶しかなく、

それ以前の家族の記憶は一切無い。

 

よって、家庭のイメージはろくなものがない。

 

母が私の小さい頃の話をすると、もちろん微笑ましい事もあったのだが、

中学、高校ともなると、私の家庭のイメージは

「家族という名の4人の同居生活」のようだった。

 

一般的にいう、家族4人力合わせてとか、親子の想い出とか、

家庭の温かみとか、食卓を囲んだ会話とかは一切ない。

 

思い出される家の中の光景は、母が泣いている、

父が酒に酔って怒鳴っている、兄が父に殴られている、

私はびくびく怯えている。

 

それでも、私たちの世代は子供が多かったので、

外で近所の友達と遊ぶことは楽しく、

家でじっとしていることはほとんどなく、

外で悪さばかりしていた。

 

近所の友達連中も、当時としては家庭環境に恵まれない子供が多く、

大人びた悪さをして毎日楽しんでいた。

その点は恵まれていたかもしれない。

 

 

7歳離れた兄は、父が機嫌の悪い時に言いつけを守らなかったりすると

度々暴力を受け、中学に入るころには食事中にも殴られていた。

また、タイミングの悪いことに、兄が中学二年生の時に母が短期間の入院をし、

そこからは父の酒癖もひどくなり、おとなしかった兄もグレてしまった。

 

兄は本当に父の被害者で、母も守れなかった事を今でも悔やんでいる。

「兄の人生を棒に振ってしまった」と。。。

 

兄はその後はすっかり無気力人間になってしまい、

高校に入学するも中退。

 

仕事もせずふらふらする人生を送っていた。

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

先日の土曜日は、母の通院と買い物への介助。

 

かかりつけの駅前の○○医院へ行き、終わってから処方箋を持って車で移動し薬局へ。

 

いつものコインパーキングへ車を停め、母が寒くないようにエンジンをかけたまま、

僕は歩いて1分ほどの薬局へ行き、受け取るまで15分ほど。

 

そして薬を持って車に戻ると、母が少ししんどそうな表情に。

 

すると第一声。

 

「あんたが行ってすぐにおなかが痛くなって、電話しようかどうしようかと思ってんけど・・・」

 

というので、

 

「どうしたん?」

 

と聞き返すと、

 

 

 

「う〇こしてもてん・・・・」

 

と恥ずかしそうに呟いた。

 

 

「え?」

 

と反応すると同時に、すぐに家に連れて帰ってキレイにしてから、

下着を穿き替えないと思って焦っていると、

 

 

母は、

 

「ゴミ箱にナイロン袋があったから、それを取って助手席の前に屈んでした」

 

と説明してきた。

 

 

「は?」

 

とびっくりしたが、

 

「よくそんな狭いとこでできたな」

 

と、感心してしまったw

 

 

 

すると今度は開き直ったように

 

「誰も見てないからエエか、と思って」

 

と笑い出した。

 

 

つられて僕も笑ってしまった。

 

 

「パンツの中でしてもたら、着替えにかえらなあかんしどうしようかと思ったけど、

 いざとなったら何とかなるもんやな」

 

だと。

 

 

元々小柄な母だが、、腰が曲がってさらに小型化してちょうどよかったみたい。

 

 

それからナイロン袋に詰めたブツを持って、急いで買い物をするスーパーのトイレに急いでいき、

とりあえず事なきを得ました。

 

 

こんな経験をして学習しました。

 

 

「簡易トイレを車に積んでおくこと」

 

 

これで次回からは大丈夫。

 

 

 

 

 

あけましておめでとうございます。

 

今年も気負わず焦らずゆっくりと過ごしていきたいと思います。

 

でも、昨年に体力の衰えを痛感し、毎日が本当に怠くて辛かったので、

今年は少しづつ負荷をかけながら体力づくりをしていきたいと思います。

 

やはり、身体を動かすと気分も変わりますし、気分が変わると少しはやる気も出ます。

そうすると前向きな気持ちにもなれ、不安も和らぐのでないかと考えます。

 

何かに求める、誰かに求めるのが悪いわけではありません。

そんな時ももちろんあります。

 

でも、基本はやはり自分から。

 

これだけは忘れてはいけません。

 

そのためには、出来るときには身体を積極的に動かし、

身体的な不調も並行して整える努力をしなければ、

この年齢になると辛すぎる。。。。

 

パニックのせいなのか、衰えなのか、身体的にどこか悪いのか、

さっぱりわからなくなるんです。

 

そうすると、また余計な不安がムクムクと。。。

 

結局は、これが心の負担となって調子を崩す悪循環。

 

この循環を断ち切り、それぞれを区別して考えられるようになると、

好循環に切り替えられるんです。

 

一度は出来たんですけどね~。

 

その時は、今より体力はあったので、身体的不安がなかった分、

楽だったのかもしれません。

 

本当に気が向いた時にしか更新しないブログでしたので、

今までは特にリンクを張っていませんでしたが、

今年からはツイッターと連携して、今までより更新していこうかなと思います。

 

パニック以外のくだらないこともたくさん書くとは思いますが、

お付き合いいただけると幸いです。

 

また、個人的な御相談があれば、可能な限りお応えしていければと思いますので、

メッセージをお寄せください。

 

あ、「どうすれば治りますか?」とかは、答えがありませんので悪しからず。

 

では、2019年が皆さんにとって良い年でありますように。

誰もわかってくれない。

少しは理解してよ。

どうしてわかってくれないの。

 

パニックに囚われて苦しんでいる人からよく聞こえてくる言葉。

 

気持ちもわかるし、そのような思いが伝わるとどれだけ良いだろう。

 

しかし、現実はそうはいかない。

 

理解を示してくれる人でも、そのような思考で長く付き合っていると、

大抵は相手が疲れてしまう。

 

また、ありがちなのが「必ず治ります」との言葉に躍らされ囚われ過ぎる事。

 

確かに完治した人も大勢いるだろう。

 

しかし、まったく同じ人間がいない事を考えると、

目に見えない病への対処法、解決法は、人間の数だけあると言ってもよいかもしれない。

 

これだけ頑張っているのに。

完治した人と同じように取り組んだのに。

 

正解が一つであれば誰も苦労はしないし、

もっと多くの人が明るい日々を過ごしているだろう。

 

しかし、多くの人は何年も何年も苦しんでいるし、

先の見えないトンネルの中でもがいている。

 

それは「完治」に囚われ過ぎているからかもしれない。

 

完治=元の自分

 

こう考える人も多いだろう。

 

しかし、私は頭の中で何かが音を立てて崩れた時に、

おそらく元には戻らない気がした。

粉々に割れてしまったガラスのように。。。

 

でも、多くの人と同じように、一所懸命ガラスの破片をかき集めて、

元に戻そうともがいたこともあった。

 

でも戻らない。

 

必死で自分と向き合い、心底壊れるほど考えぬいた結果、

病気の中で囚われている自分を解放し、

うまく付き合っていこうと決心した。

 

簡単にいうと「開き直れた」とでも言おうか。

 

自分は自分。

 

確かに今までと全く同じことは出来ないし、苦しいこともある。

 

でも、新たな自分にしかできない事もきっとあるはず。

 

そこからまたひとつづつ積み上げていくしかない。

 

他人との比較はやめよう。

 

そう、元の自分の中で囚われていたものも一緒に解放しよう。

 

そのような思考に切り替えていく努力をした結果、少しだけ心が軽くなった。

 

不自由なこともあるが、何もできないわけではない。

 

だったら、出来ることをやるしかないし、出来ることをできるだけ楽しもう。

 

そのような思考を自分の中に巡らせながら、病気とうまく付き合っていく。

 

その先に「完治」があれば良いと思っている。