昨日夢について書いた。

夢は叶う!
このテーマをもう少し掘り下げてみると、

新一万円札の渋沢栄一氏がおっしゃったように、

夢なき者は理想なし。
理想なき者は信念なし。
信念なき者は計画なし。
計画なき者は実行なし。
実行なき者は成果なし。
成果なき者は幸福なし。
ゆえに幸福を求むる者は夢なかるべからず。

つまり、幸せになりたいなら、夢を持たないとね、という事だ。



でもこの夢ってのが千差万別で、

例えばキング牧師のI have a dream!の夢は、社会の差別を無くしたいという、個人の枠を超えた人種問題の解決という壮大な夢だし、

夢はパティシエ!という子どもの夢は、純粋になりたい職業。

他にもベンツのりたい!とか港区住みたい!みたいな、物欲や見栄も夢だし、

親孝行したい、子供をハワイ旅行連れてってあげたいとか、

でっかいマグロを釣りたい、会社を上場させたい、さまざまな夢がある。

共通するのは、それを成し遂げる事によって、自分が今より幸福になれるって事だ。

幸せのちからというウィルスミスの映画にもあったように、夢を叶える為には困難の中でも常に信じてやり抜く事で、思い描いた未来が現実になる!!※この映画素晴らしい、泣ける。これが実話だと思うと余計に涙が止まらない。

そして夢は叶ったら終わりではない。
その先も人生は続いていく。
夢も次のステージへ進んで行く。

また、一つの夢が叶わなかったからと言って、それで終わりでもない。
その先も人生は続いていく。
次の夢を見つけて進めば良い。

だから『夢が叶わなかった人』なんて、言わせない。そんな烙印を押す必要は全く無い。根性が捻じ曲がっている心無い言葉には、断固として異を唱えたい。

自分で自分の努力を否定するならまだしも、何も知らない他人が、人様が夢に届かなかったのを、『夢が叶わなかった人』とか言うなんて、なんて傲慢なんだろう?
自分が『夢が叶わなかった』事を消化できないからと言って、他者にそれを背負わせようとしているに他ならない。

例えばキングカズは、ブラジル留学へ行き日本でプロになるという夢は叶えた。

でもその後、98年のワールドカップで最後の最後に日本代表から外された。

でもまだ現役で夢を抱き続けて全力でプレイしている、それがキングカズの輝きになっている。
日本代表でワールドカップへ行けなかったからこそ、今のカズがある。

そのカズに向かって、夢が叶わなかった人、とか言えるか?もちろん、否だ。

叶う、叶わないを超えた、夢見る力の前では、そんな事どうでも良いとさえ思える。

夢を見て、その為にベストを尽くす、それだけだ。結果は神のみぞ知る。

「人事を尽くして天命を待つ」だ。
自分で可能な限りの努力をしたら、あとは結果は天の意思に任せるしかない。
 
夢が破れても、人生が続く限り、旅は終わらない。夢は続いていく。叶っても、叶わなくても。

そしてふと、自分はどうなんだろうと考えた。

すると、『自分の夢』より大切な、『願い』がある事に気がつく。

それは、

わが子達が『幸福な人生を歩んでほしい』

それが母の1番の願いだ。できれば世界の子どもたち全員。大人も。

では、その幸福な人生を歩く為にはどうすれば良いのか?

親が子どもにできる最高の教育は、『楽観』だと思う。いつも見守ってくれて、温かい、愛されているという実感があれば、

この世界は敵ばかりではない、優しさに満ちていて、愛し愛されるために、幸福を味わう為に生まれて来たんだ!ということが、子供に伝わるはずだ。

どんな事があっても自分を信じられるし、挫けず諦めず、周りを助け助けられ、良く生きられる。

反対に、決して子どもを太宰治のような人間性にしてはいけない。なぜなら、人生の全ての出来事や人との関わりが、幸福からどんどん遠ざかる回路に進んでしまうから。

その回路の名は、『悲観』だ。悲観は常に世界と自分を否定して、行き着く先は自死という事にもなりかねない。

自分に否定され、自分に殺される。そんな人生、悲しすぎる。

否定的な人は、大体が両親からの愛情不足とか、幼少期の恵まれない環境とか、精神が健全に育つ事が出来なかったという辛い過去や背景を持つ。

昔読んだ『ITと呼ばれた子』という本で、著者が受けた虐待について書かれていたが、その虐待をする親達の実に9割以上が、自分も虐待を受けていたのだ。

(その事と、虐待された9割の人が虐待するというのは根本的に違う。紛らわしいけど、例えば100人虐待された人がいで、その内の10人が自分の子に虐待しているとする、残りの9割の人は負の連鎖を断ち切っているかもしれない。)

つまり、人は自分がされた事を、無意識的に人にもしている。

冷たく否定されて育てば、大人になっても同じように相手を否定する。

よもやま話のグッチさん親子のように、否定されても反骨精神で乗り越えられるのは、その素地の部分の人間性が豊かで、プラス思考があったからだと思う。マイナスさえプラスのエネルギーに出来る。

でも、愛情不足で自己肯定感が低ければ、他人の否定を真に受けて潰されてしまうかも知れん。

悲観的な人は、否定された言葉をいつまでも根に持ち、長い年月が経っても心の棘が抜けず膿んでしまい苦しんでいるので、せめて他者を否定する事で何とか自尊心を保っている。


ありがとうと言われればありがとうと言える
お先にどうぞと言われて育てば、自分も言える
天国で育てば天使が育つのだ。

そして地獄では鬼が育つ。地獄の死者は、常にネガティブな空気を纏い、周囲の人を不快にしたり自分の世界に引っ張り下ろそうとしている。

なぜこの世界にはそういった善と悪、幸不幸のような二つの面があるのだろう。

そこで、北野武氏が暴力映画を撮るのはなぜか?と聞かれた時に言った言葉がとても印象的だった事を思い出した。

愛の反対が暴力だから、その振り幅で愛を認識できる、と言うような内容だった。

つまり、白を知る為に黒が必要なのだ、
おいしさを感じる為には空腹にならないと。
世界はコントラストで出来ている。
朝と夜、男と女、善悪、夏と冬、、、

1人生まれて1人死んでいく孤独な存在だから、人との関わりを求め合うのだし、人の優しさや愛が嬉しいのだ。

人生は愛に生きる事でしか幸福になれない。
この世界は愛でできている事を認めよう。

数学者が言うように、この太陽系の完璧なバランスは、誰かが創造したと考えるしかない、

この奇跡的な環境は、例えるなら、プールに腕時計の部品を全部バラバラにして、かき混ぜてたら偶然腕時計が組み立てられました!というほど、自然に出来たという可能性は低い。

月と太陽、地球の大きさや温度、母なる海、全てが計算し尽くされてできている、と。ここは愛を知る、愛を体験するステージなのだ。

ニーチェの言うように、

過去が現在に影響を与えるように、
未来も現在に影響を与える。
 
だから、希望を持って、夢を描き続けよう。。
そうする事で、この一度きりの人生を、美味しいフルコースで味わえるのだ!

否定的な人は、過去に縛られて苦しんでいる。今を生きられていない。重い荷物はさっさと捨てて、良い人生を送ってほしいものだ。

夢のない人生なんて、味気ない。
回転寿司に行って、寿司を食べずにお腹を空かせて眺めているだけのようなもんだ。

寿司食いね!!🍣!!
せっかく生きとるんだから、味わいましょう。


『未来の良い影響を受けよう!君たちの未来は、全員明るい!!1人残らず、夢は叶うよ!!


お父さん、お母さん、おじいちゃんにおばあちゃんも、良い人も悪い人も、みんな夢叶う!!


懐かしのこの曲、貼っとこう。




明日には夢叶う いい風が吹く


人として生きるため 大切な何か忘れてる

小さな頃描いた夢は 今でも消えず心の奥
夢追う事 忘れたあなたを 

いつまでもやさしく待ってる


現実の海に溺れ 常識に泣くヒマはない
ありのままのあなたの姿で 

好きな事をやるだけさ


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