好評連載中「感情記憶をほどいたら、地上が楽園になった」シリーズ。
前回は、第26回 7つの感情記憶(1) 怒り「怒っちゃ、いけないよね?」でした。
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楽園からうっかり遠ざかってしまう勘違いトラップ「7つの感情記憶」、2つめは「罪悪感」。
怒りを出してみよう! と決心すると、必ずと言っていいほど出てくるのが……
「自分が自由にしたら、誰かが傷つくんじゃないかしら?」
「そんなことをして、迷惑をかけない? 大丈夫?」
「相手に、申し訳ない」
というような気持ち。
これ、超訳すると、
「はい、全部わたしが悪いんです全部わたしのせいなんですごめんなさいごめんなさい」
と言っている。
「自分が悪い」と自分を責める気持ち、これが「罪悪感」。
これ、様々な感情とセットで多発します。
ハンバーガーを買ったら、必ずポテトがセットについてくるくらいの定番セット感。
誰かを傷つけたから、わたしが悪い。
決められたルールどおりに生きられないわたしは、悪い。
望まれた通りにできないわたしは、悪い。
様々なことがうまくできないわたしは、悪い。
もうね、自責の達人はね、あらゆる理由をつけて自分を責めますよ。
自分が悪い理由を並べさせたら、レストランのメニュー表どころか、分厚い本ができあがるくらいの勢いではなかろうか。
しかも、ネガティブな感情だけじゃなくて、ポジティブな感情にすら、罪悪感はセットでついてくるよ。
「わたしひとりだけ、こんなにいい思いをしてしまって申し訳ない」
とかね……!!
でもね、ちょっと冷静に考えてみてよ。
罪悪感をもつということは、
「あれをしちゃだめ」
「これを手に入れちゃだめ」
「わたしが悪いんだ」
とことあるごとに言い続けること。
これじゃあ、人生がんじがらめ、だよね??
そりゃ、怒ることも自由にできなくなるね。
人は、罪悪感を使って、無意識のうちに、人生の選択肢に、制限をかけていたり、人生を前に進まなくさせたりしている。
あと、超根本的な話だけど、「自分が悪い」って自分に続けるって、言われる方は、とっても辛くない?(言う方も言われる方も自分だけど)
罪悪感が行き過ぎて、病気として身体に現れてくるのも、めずらしくないことだったりします。
自分で 自分を 責めているよ
では、一体なぜ、ひとは、そこまでして、罪悪感を覚えたがるのでしょうか?
…………
…………
それはね、罪悪感が、
(特に日本の)社会においては、超、便利な感情だから。
罪悪感をさせるとても大きい理由が、
「自分を責めておけば、周りを責めなくてすむ」
というもの。
「自分を責めることが、周りへの思いやり」
とも言い換えられるかな。
自分を謙遜することが美徳であり、相手や場への思いやりである、という考え方、日本人なら少なからずうなずくところがあるんじゃないかな?
でも、これ、便利なようでいて、とってもリスキーなやり方なの。
まず、先ほども申し上げましたが、当たり前だけど、
自分を責めていたら、自分がつらい。
意識していなくとも、「自分が悪い」と言われた自分は、確実に傷ついているの。
自分を攻撃して、犠牲にして、周りをうまくいかせようとしているって、考えてみたら、やばくない?
更に、このシリーズをご愛読の皆さんはお気づきかと思いますが、そうやって罪悪感を持っていると、実際、「周りから責められる」。
だって、「自分が悪い」っていうプログラムを、ひたすらランし続けているんだもの……!!
自分を悪者にすることで、表面上は上手く行っていても、ちょいちょい、周りから責められる出来事が起こるの。
あいたーーー。
そして、人は思うのよ、
「なんで、わたしが、こんな目に?」
……それはね、自分が自分を悪者にしているから、かもしれないよ。
次回は、罪悪感に潜む、さらに深い「正解と思ってつい発動させちゃうけど、それ、めちゃくちゃアウト」なカラクリをご説明していきますね。
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