丘 奈凰妃(おか なおひ)が、
「見えないものを見る人」
「ほんとうのこころの声を通訳する人」
「あなたのこころをぽんと押す、ヒーラー兼石屋」
にころがるまでのストーリー。
前回の記事は 14. 中学生ではじめて「かなわないな」を知るでした。
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さて、何をやらせても優秀な人たちが集っていた中学校ですが、致命的な弱点がありました。
それは、「部活が弱い」。
いや、すべての部が弱いわけではなかったのですが……。
多くの生徒が習い事を色々とやっており、個人技能に秀でていたので、水泳やテニス、楽器演奏などの分野ではとても優秀な成績を収めていました。
あと、文化部も出来が良かったと思うよ、科学部とかさ、すごくマニアックでPCとか得意な子が集まっていた気がするもんね。
さて、問題はチーム競技の運動部。
中学生になった丘さん、小学校の時に慣れ親しんでいた球技の延長で、バレー部に入部しました。
背が高かったこともあり、副キャプテン、裏エースというポジションに。
何が問題って、部活動の時間。
15:30くらいに授業が終わって、16時くらいに体育館に集まって、普通の学校だと18時過ぎくらいまで部活をやるんじゃないかと思うのです。
が、我が校は福井県中から生徒が集まっており、下校に時間がかかる生徒も多かったことから、部活の終了時間が確か17時くらいだったのですよ。
16時からネットを立てて、準備運動をして、一時間で一体何ができるというのだよ……片付けもしなきゃいけないし。
一学年に3クラスしかなかったので、部員自体も少ないでしょ、だから選手層も薄いですよね。
はい、弱小チームの構図が見えてきましたね。
ただ、新人戦だけは強かったです。
部の人数が少なく、1年の頃から数人がレギュラー入りする為に、そのメンバーが2年に上がって初めての新人戦は、試合慣れしていて結構いけるという寸法です。
でもそこからどんどんと他校と差がつき始め、終盤の大会になるほど無残な成績に。
近所の中学校と練習試合をしても、まあ、勝てない勝てない、勝てるわけがないよー、練習量が違うもん。
決して頑張っていないわけではないけれど、かと言ってどうすることもできない、ちっとも勝てないバレー部でした。
でも、何年か前の世代の男子バレー部はかなーり強かったようでして、決して部活時間だけの問題ではなかったのかもしれませんが……。
当然、わたし自身の能力の限界もあったろうと思います。
生まれつき背が高く、両親はスポーツの成績が良く、だと、小さな頃はスポーツが割と得意だよね。
小学生の時はスポーツ少年団に入っていて圧倒的な運動量だったし、強いチームだったからスキルもあり、で球技はとても得意でした。
でも、中学校くらいになると、皆身体が成長してきて、練習に伴って能力の差がついてくるよね。
練習量も少なかったので何とも言えませんが、わたし自身にそこまでの身体能力はなかった、という説もある気がします。
話は小学生の頃に戻るけれど、5年生の時、市や県の連合体育大会に向けて、学年で一番早い4名のリレーのチームに選抜されていたくらいだったの。
けれど、小学校6年になって、なんでかわからないのだけど、急に走れなくなった。
今思えば、体の成長にともないバランスが崩れたとか、そんな感じだったのかもしれないけれど、必死に走ってもタイムが伸びず、4人リレーはもちろんのこと、次に早い人たちで構成される、20人のリレーチームにすら選ばれなかった。
だがしかし、昨年の実績で大会の候補メンバーに招集はされてしまい、その結果、やったこともなければ特にやれる気もしない幅跳びの選手になるという謎現象が……。
ええ、たしか記録は散々でした。
前回の記事で、中学校で初めて挫折を知ったように書いたけれど、それ以前にも「できない」「かなわない」を感じていた経験が、いくつかあったんだね。
ただ、それらが、圧倒的な差として見えてきたのが中学校時代だった、ということだと思います。
やってもできない、結果を出せない、という感じね。
この中学時代の部活を始まりとして、丘のその後のスポーツ人生は、何をやっても「できない」「へたくそ」寄りに傾いてゆくのでした。
ただ、バレー自体は楽しかったし、お揃いのジャージを発注したりして、うれしかったな!というのは覚えているよ。
思春期にはいり、もともとの天パがくるっくるに跳ね始め、髪の毛はくっちゃくちゃだし、体操着はブルマだったしで、ださすぎてとても写真はUPできないけれども……ザ・田舎の中学生(笑)
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また突然の余談になりますが、思い出したので書いておこうと思います。
時系列があっちこっちでごめんなさい。
小学校6年生の時に、「わたし、なんでもできる!なんでもやれる!」って、空がどこまでも高く伸びて行くような、そういう万能感を感じた日がありました。
学年全員のクラスとフルネームを普通に記憶していたりとか、都道府県の名前と県庁所在地をぺろっと覚えたりとか、そういうのが当たり前にできていた頃で、その延長上で、うまく説明はできないのですが、どこまでもこの世界を知っていける、っていう、抜けるような感覚があったんですね。
なんだろうね、あれ。
わたしの中では万能感の第一次ピークでしたね……。
第1話でも書いたけれど、わたし、ヒーラーではありますが、小さい頃に霊感があったとか、不思議な体験をしたとか、アストラルトラベルしていたとか、そういう非凡な経験は全然なくて。
でも、よくよく考えると、あの日は根拠のない不思議な感覚を感じた印象的な一日だったなあ。
そういう経験や感覚がある方、他にもいらっしゃるかしら。
さて次回、
の予定です(20時に更新しています。更新したらリンクを貼りますね)。
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