丘 奈凰妃(おか なおひ)が、

「見えないものを見る人」
「ほんとうのこころの声を通訳する人」
「あなたのこころをぽんと押す、ヒーラー兼石屋」
にころがるまでのストーリー。

前回の記事は 15. あっという間にボッコボコに……! 弱すぎた部活動 でした。

 

 

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中学校で楽しい日々を過ごしていた丘ですが、教育学部附属校は幼稚園から中学までで、高校は存在しませんでした。

 

ですので、市立の小学校、国立中学校ときて、今度は県立高校を受験することになります。

 

当時、福井県のトップ進学校には「学校群制度」というものが採用されており、受験したのち、合格すると2つの高校に自動的に振り分けられるシステムでした。

 

今、ウィキペディアを見たら、「特に東京都、千葉県、愛知県、岐阜県、三重県、福井県において高校入試で学校間の格差をなくすために用いられた」って書いてあった……全国区じゃなかったんだね、この制度。

 

「原則として本人の希望にかかわりなく合格者を学校群内各校に振り分ける仕組みであるため、受験生の選択の自由は大きく制約され、この観点からの否定的な評価が多い。2004年までにすべて廃止された。」

 

ほほー。

 

そう、福井県でも、今は学校群じゃなく、それぞれの高校を希望して受験できるようになっているんだよね。

 

 

さて、わたしが受験した学校群は、2校それぞれが両親の母校でした。

 

ひとつは、父の母校である、藤島高校。

 

もうひとつは、母の母校である、高志高校。

 

 

そして、わたしが振り分けられたのは高志高校の方でした。

 

藤島にくらべて高志の方が、制服がちょっと可愛かった(とわたしは思っていた)のと、全体的に生徒の雰囲気が垢抜けているというか、すこし自由な感じが漂っていたんだよね。

 

だから、高志高校はうれしかったです。

 

制服は、冬は紺、夏は白の長袖セーラーで、そのほかに盛夏服として半袖のブラウスがあったのだけど、丸襟ブラウスに黒リボンが可愛くて、それも気に入っていました。

 

ちなみに、通学にあたっては、藤島の方がかなり近くて、わたしの家から自転車で10分ちょいだったんだけど、高志は自転車で30分弱かかるのね。

 

でもその分、福井駅前を経由して通学するわけさ。

 

駅前といえば当時、田舎においての唯一の繁華街ですよ。

 

当時はミスドもまだあったし、モスバーガーもあったし(当時のわたしにはモスバーガーがとてもおしゃれスポットに見えていた、それくらいの田舎なのであることよ)、福井県唯一のデパートも駅前には建っているわけですよ。

 

中学校は徒歩通学5分だったのが、駅前を経由しての自転車通学。

 

雨の日は、バスや電車通学も併用。

 

行動範囲が広がって、一気に高校生らしい感じ! と楽しみにしていたのはないでしょうか。

 

 

 

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次回、

17. 中学生時代に感じていたのは、自由の色

 

の予定です(20時に更新しています。更新したらリンクを貼りますね)。

 

 

超余談ですが、高志高校の制服は母の時代から変わっておらず、アルバムで見せてもらった母の高校時代の写真と、高校生になったわたしがまるで生き写しで、「親娘よ……」と思った記憶があります。

 

ちなみに3年後、妹も高志に振り分けられ、母娘3人で同じ制服を着たわけですが、妹は父似だったので、きっと母の生き写し度はわたしの方が高かったと思います。

 

 

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