ヒロキン日本神話の世界 -79ページ目

ヒロキン日本神話の世界

古神道!古文書!御朱印!古き良き日本をもう一度‼
Twitter @johnny310h1
勧誘系のコメントは、削除させてもらっています。

「私はキム・ジョンジャ(仮名)です。 今年で64歳です。 
私は米軍向けの慰安婦でした。 基地村に人身売買されて、一生を米軍にあてがわれて無念に生きてきましたが、
誰も私や私の同僚たちの話を聞こうとはしませんでした。 

私たちが米軍から稼いだドルで、韓国をこのように立てなおしたのに、その時は私たちに‘愛国者’だと言っていましたが、
今国家は私たちを見て見ぬフリをしています。 私の先輩姉さん(基地村の同僚)が
だんだん亡くなってくのをこれ以上黙って見てはいられません。 それで勇気を出すことにしました。
私たちは国家を相手に損害賠償請求訴訟を始めました。
私たちがなぜ国家にこのような戦いを挑むのか、私の人生を通じて説明したいと思います。」

 「私は1950年1月に生まれました。 
実の父は軍人でしたが、戦争の渦中に私を見に帰って来て脱走兵になって憲兵に捕まりました。 
それっきり殴られて死んだという話だけを聞きました。 母は後に再婚しました。

私が12才ぐらいからか、私の義父は母の居ない時を狙って私を強奪しました。 義理の兄たちも私に手を出しました。 
それを母に話すこともできずに、じっと我慢していましたが、16歳の時(1965年頃)家を出てしまいました。 
私の小学校の時の友人がいました。 金を稼げる所があると言いました。 

紡織工場だと言いました。 その子についてソウル駅まで汽車に乗って来ました。
ある家に入ると、家毎に‘ナムバー’が付いていました。 1号室、2号室、3号室、こんなふうに。 
私は旅館だと思って眠りました。 私の友達は、翌日ちょっと行って来ると言って出て行ったきり帰って来ませんでした。

(50代くらいの)おばさんが現れました。 私について来いと言いました。 工場に連れて行くのかと思って、ついて行きました。 
ところが私に‘お前の友達が借金を返さずに逃げたので、代わりにお前が返せ’と言いました。 
いくらなのかは言いませんでした。友達の代わりにお金を返せば私が出て行くことができると言いました。 
どのように金を稼げばいいのか尋ねました。 夜になって姉さんについて行けば分かると言いました。

後で知ったのですが、私が行ったところは坡州(パジュ)ヨンジュッコルという所でした。 
米軍基地の周辺で女たちが身を売る所でした。 私の友達が借金を返せずに、私を売り払ったということでした。」

「おばさん(抱え主)は私に、クラブに出て行ってお客さん(米兵)を連れて来るように言いました。 
私は3日くらいして、その抱え主の家から逃げ出しました。 ところが路地で捕ってしまいました。 
‘死ぬほど’殴られました。 もう一回逃げたら島に連れて行って殺してしまうと言いました。

(抱え主が)パスを貼ってくれセコナール(鎮静剤)をくれました。 気持ち良くからと言ってくれました。 
一回飲めば(中毒になり)二回飲むことになり、三回飲めば四回飲むことになります。
客を連れてこいと送り出されると、私は恐くて何も言えませんでした。 正気では恥ずかしくて客を引っ張ることなどできません。 
私はその薬が何なのかも知らず、飲み続けました。」
キム氏は後になってこれが麻薬であることを知るようになるが、すでに手遅れだった。 薬を飲んでこそヒッパリ(客引き行為)に出かけられた。

キム・ジョンジャさんの人生は地獄のようだった。 普通、基地村女性たちは一晩に米軍兵を三,四人ずつ受け入れなければならないケースが普通だった。

「そうすれば、そこ(陰部)がどれほど痛むかわかりません。 ロング・ショート(性売買時間の単位)いくらしてもキリがありません。
ロングは自分の部屋で夜を明かして朝早くに出て行くもので10ドル受け取ります。 
ショートは自分の部屋で30分から1時間で出て行きます。 お金は全部おばさんが持って行ってしまいます。 私は直接受け取れません。 
おばさんは一ヶ月毎に計算すると言っておいて全て奪い取りました。 1~2ヶ月で借金を全て返せると思っていましたがそうは行きません。」

http://japan.hani.co.kr/arti/politics/17752.html

劉容疑者は上海に住む両親の家に戻った。上海市当局は「日本および韓国における行為」について、事情聴取を行った。両親は次第に劉容疑者を「つらよごし」、「面倒をおこして」とののしるようになった。

劉容疑者は韓国での取り調べの際、病院に1カ月入院し精神鑑定を受けたという。「軽度の躁鬱症」とされが、劉容疑者は犯行についての精神状態の影響を否定した。劉容疑者は両親との折り合いが悪くなったため、広東省広州市に移り住んだ。

帰国語は外国語教師、通訳、心理セラピストなどの仕事をしたが、劉容疑者の「個性が強すぎる」ため、働き先は次々に、劉容疑者との関係を絶った。そのため、過去半年は無収入という。

広州市には、革命前の共産軍の理念を高揚する目的をもつ「新四軍後代合唱団」(新四軍は日中戦争時の共産軍部隊のひとつ。『後代』』は『子孫』の意)がある。
劉容疑者は同合唱団に加わった。同合唱団は当初、「韓国帰りの英雄」として劉容疑者を歓迎し、芸術総監督の地位につけた。

しかし劉容疑者が「奇矯な行動」を繰り返すので、合唱団団長や副団長と「ケンカ」をするようになり、顔を出せなくなった。結局は行き場所がなくなった。それでも単独で、「反日パフォーマンス」を続けている。

背中に「精忠報国」と筆で大書きする。どのような方法かは不明だが、自分で書くので4時間はかかる。
広州戦士歌舞団の特製で、新四軍後代合唱団の出演用衣装でもある07式軍礼服を身にまとう。
日本領事館が入居するホテル前で、自らが書いた「日本謝罪」、「中華崛起」などの文字を広げて見せ、大声で歌を歌う。軍礼服を脱ぎ、背中の文字を披露する。

その後、ホテル内に「突入」しようとするが、阻止される。警備員らともみ合いになる。
そして、やってきた警察官に引き渡される。警察は簡単な調書を作成するが、すぐに釈放する。
毎度のことで警備員や警察官らとは「顔なじみになった」という。
劉容疑者は、「この行動を通じて、民衆の愛国の熱情と自信を奮い起したい」と説明した。

ホテル従業員は「私どもも、デモンストレーションには反対しませんがね。
彼の行為はいつも、ちょっと過激ですからね」と、眉をひそめた。

http://news.searchina.net/id/1536986
■「日本の侵略戦争に奮起」李克強首相、ドイツとの共同会見でも日本批判 

北京市郊外の盧溝橋近くで警戒する警察官=7日(共同)  

中国の李克強首相は7日、訪中したドイツのメルケル首相と北京で会談した後の共同記者会見で盧溝橋事件に言及し、「歴史の教訓を記憶してこそ未来が開ける」などと日本を批判した。 

中国の指導者が第三国の首脳との共同記者会見の場で対日批判を展開するのは異例。 

李首相は会見の冒頭、自ら盧溝橋事件について発言し、「77年前の今日、日本の軍国主義者が発動した全面的な侵略戦争に対し、中国人民は奮起し、最終的な勝利を得るまで、8年間抗戦した」などと述べた。 

ソース 産経新聞 
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140707/chn14070719320004-n1.htm