■解説
「チェンソーマン」で知られる人気漫画家・藤本タツキが、2021年に「ジャンプ+」で発表した読み切り漫画「ルックバック」を劇場アニメ化。「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」や「君たちはどう生きるか」などさまざまな話題のアニメに携わってきた、アニメーション監督でアニメーターの押山清高が、監督・脚本・キャラクターデザインを手がけ、ひたむきに漫画づくりを続ける2人の少女の姿を描く青春ストーリー。
学生新聞で4コマ漫画を連載し、クラスメイトからも称賛されている小学4年生の藤野。そんなある日、先生から、同学年の不登校の生徒・京本の描いた4コマ漫画を新聞に載せたいと告げられる。自分の才能に自信を抱く藤野と、引きこもりで学校にも来られない京本。正反対な2人の少女は、漫画へのひたむきな思いでつながっていく。しかし、ある時、すべてを打ち砕く出来事が起こる。ドラマ「不適切にもほどがある!」や映画「四月になれば彼女は」「ひとりぼっちじゃない」などで活躍する河合優実が藤野役、映画「あつい胸さわぎ」「カムイのうた」などで主演を務めた吉田美月喜が京本役を担当し、それぞれ声優に初挑戦した。
2024年製作/58分/G/日本/配給:エイベックス・ピクチャーズ
/劇場公開日:2024年6月28日
■スタッフ
- 監督 押山清高 原作 藤本タツキ 脚本 押山清高 キャラクターデザイン 押山清高 美術監督 さめしまきよし 美術監督補佐 針﨑義士 大森崇 色彩設計 楠本麻耶 撮影監督 出水田和人 編集 廣瀬清志 音響監督 木村絵理子 音楽 haruka nakamura 主題歌 uraraアニメーション制作 スタジオドリアン
- ■キャスト
■映画レビュー
評価:5.0 「絵は人の心を動かす」杉本穂高さん
2024年6月30日・・・いきなり手描きの背景動画で魅せてくれる。最近は3DCGで背景を動かすことが多いけれど、手で動かす背動をあえてやることが、この作品の映画化には必要だった。手で描くことがこの作品には重要。絵を描く二人の軌跡を手で描くことにこだわることがこの作品には必要だった。それによって、物語には収まらない「絵描き」に対する賛美があふれることになった。
漫画は絵で構成される、アニメも絵で構成される。しかし、絵の上手さとマンガの上手さは異なる。京本は絵が上手い。藤野はマンガが上手い。藤野のマンガの上手さに京本は心を動かされる。京本の絵の上手さに一度心が折れかける藤野は京本との共同作業でマンガへの情熱を取り戻す。絵の上手さとマンガの上手さが共鳴しあって、二人は駆け上っていく。
そういう物語をものすごく上手いアニメーション映像で描くことで、絵の上手さとマンガの上手さにアニメの上手さが重なり共鳴しあう、多層的な作品として完成している。「絵による映像」であることに徹底的に自覚的な作り方をしており、その快楽が全編にみなぎっている。絵は人の心を動かす。
※衝撃的体験だった!!小学校時代に漫画を描いて皆に見せていた経験のある自分には、シンクロ率も120%w いやーー、漫画(アニメ)ってホントにスゲエなぁーーー、と何度も思わせてもらった。
●公開記念PV
※最後の展開がよくわからなかったので、解説サイトを読んで納得。藤野と京本を見間違えていた、、、何たるボンクラ!わしゃ才能の欠片もないんじゃ~~~。笑えよぉーー。
★コチラ、劇場で貰えるポストカード!
※絵コンテ風のデザインがカッコえーんじゃぁあーーー!
・ロケットニュース24 原作を読んでピンと来なかった人ほど観て欲しい映画版『ルックバック』! 心をえぐる唯一無二の作品
表現手法として、漫画にはなく、アニメーションにある要素。たとえば色彩、声、音楽、効果音、時間や速度の表現、コマとコマのあいだを補完する動き……それらは原作をわかりやすく「翻訳」してくれる。原作にはないオープニングのダイナミックな表現は、この広い日本の片隅、どこにでもあるような田舎町の、どこにでもあるような家で、漫画執筆に打ち込む主人公・藤野の孤軍奮闘を際立たせる。
作品終盤まで繰り返し出てくるのが、タイトルにもつながる「背中」だが、貧乏揺すりなどアニメならではの細かい動きが登場人物の性格や心情をダイレクトに伝える。音楽の力を使えば、まったくセリフがない場面でも登場人物の気持ちを代弁できる。
そして生身の人間の声!藤野役の河合優実さんの演技は、藤野のちょっと小生意気な感じや、プライドの高さ、負けん気を見事に表現していた。一方で、そのプライドを裏付ける努力をちゃんとしているから、ただの感じの悪い小学生では終わらない、愛すべき主人公になっていた。「藤野って、こういう子だったんだ!」と解像度が上がった。さらに京本役の吉田美月喜さんの方言!最初はびっくりしたが、これもアニメーションならではの表現手法だろう。時間の経過による言葉遣いの変化にも注目して欲しいという。
・多くのクリエイティブ職の心をえぐった理由
物語の前半は、画力自慢の藤野の挫折と再起が描かれる。ここが多くの職業人、とくにクリエイティブな職業に就く人々の共感を集めた部分だ。人生を捧げるくらい大事にしている領域で、自分より優れた圧倒的な才能に出会ったときの衝撃。そして、どんなに努力してもそれを超えられないと理解する絶望。多くの人は努力する前に「こりゃ無理だわ」と悟って冷めてしまうものだが、藤野は実際に血のにじむような努力をするので胸をつく。
押山清高監督は「絵描きへの賛歌」と表現しているが、絵だけでなく文章や芸能や音楽、囲碁や将棋のような勝負事、果てはスポーツにまで通ずることだと思う。
そして、たった一人に認められただけで(勝負事なら一勝しただけで)土砂降りの中でスキップしたくなる気持ち。わかりすぎるほどわかる。それが原動力なのだ。いつしかそれは「一人じゃ足りない」「社会に認められたい」「もっと売れたい(もっと勝ちたい)」という底なしの苦しみになっていくわけだが、原点はいつだってシンプルだ。
よく芸術の世界は「自分が満足さえすればゴール」と誤解されがちだが、とんでもない。そもそも美大や芸大が倍率何十倍もの受験レースから始まるわけだし、デビュー後は芸や作品が売れなければ食べていけない。「評価されたい」「チャンスが欲しい」という気持ちは人一倍強いはずだ。文筆活動も似ている。最初はたった一人に読んでもらうだけで嬉しかったのに、いつしか他人と自分を比べ、ときに嫉妬し、数字に一喜一憂する。
人気の上下や、批評や、世間の期待や、自分の限界に苦しんで苦しんで、それでも創作を続ける理由が『ルックバック』の終盤で描かれる。いくつにも枝分かれする世界線で、どの道をたどっても最後には同じ場所に収れんする。結局は藤野も京本も「描かずにはいられない」のだ。
筆者が受け取れていなかっただけで、そんな創作活動の本質を漫画『ルックバック』は最初から描いていた。何かに本気で打ち込んだことが一度でもある人なら、共感せずにはいられない。映画版は原作『ルックバック』の深遠なテーマを、誰にでもわかりやすく紐解いてくれた。筆者は不覚にも、劇場で過呼吸を起こしそうなほど号泣してしまったのである。
映画を観終わったいま、原作を読み返すとひとコマ、ひとコマのもつ意味がまったく違って見える。「こういうことだったのか」と開眼した気持ちだ。
映画の冒頭から涙がこぼれたのだが、それはもちろん筆者が原作既読で、結末を知っていたからに他ならない。だからこそワンシーン、ワンシーンの意味がわかり、それがあまりにも美しくて哀しく、感情が揺さぶられた。
原作からのメッセージは、気づいていなかっただけで筆者の心の奥底に確実に存在し続けていた。それが3年越しに姿を現したような心境だ。筆者も文筆業のはしくれとして、もうちょっとだけ、もがきたい。
こんな筆者が言うのもはばかられるが、過去に原作を読んで「別に?」と思った人こそ映画版を観て欲しいと思った。テーマだとかメッセージ性だとか小難しいことを考えなくても、ノスタルジックな田園風景や叙情的な音楽が美しい良作だ。
※「土砂降りスキップ」!名シーンすぐるやろっ!!
◎さっそく漫画喫茶で原作コミックにも挑戦。でビックラポン!だった。ほぼほぼストーリーは原作通りに創ってあったのだったヨー。でラスト付近はやっぱり解かり辛かったw ダメジャン!
☆コミック版“土砂降りスキップ” ♪~ピッチピッチ・チャップチャップ・ランランラ-ン♪
※映画→漫画の順に鑑賞するのが良いかも♪
・RealSound 『ルックバック』チケット料金問題とヒットの理由を紐解く 海外からも熱烈な支持?文=アナイス(ANAIS)
これまで本稿では本作を「映画」と称していたが、厳密に言えば本作は「ODS(Other Digital Stuff/非映画デジタルコンテンツ)作品」と呼ばれる区分である。主に演劇やオペラ、バレエや歌舞伎などの舞台作品や音楽ライブ、イベントやフェスなどの映像作品がこの部類に入るのだが、過去にも『プロメア』や『海獣の子供』などのアニメ作品がODSに分類されてきた事例がある。
「ODS作品」は一律金額であり、サービスデーや学生割・シニア割などの割引が適用されない。映画のチケット代が一般2000円になった今、一律1700円は一見安く感じるかもしれない。しかし、サービスデーを活用すれば1200円で観られるし、何よりも障がい者割引や学生割引が適用されず、彼らが普段よりも多く金額を払わなければいけない状況に批判の声も多い。1時間未満の上映作品がいつもより高いのであれば配信を待つ、という意見もネット上で散見された。『ルックバック』が「ODS」に分類された理由に、その上位時間の短さが挙げられている。今後何か上映形態に変化が生まれるのか気になるが、本作がきっかけとなり、ODS作品の定義の見直しなどが求められる可能性も高い。
◆海外ファンからの支持も熱烈
チケットの問題を抱えながらも現在国内でヒットし続ける『ルックバック』だが、海外からの熱い視線も見逃せない。7月上旬に開催された北米最大のアニメイベント「Anime Expo 2024」では本作のプレミア上映イベントが行われ、映画をひと足先に観ることができる約300席を巡った争奪戦が起こったほど。即満席になったそうだが、そこには本作を観るために5時間も席を狙って待ったファン、前のパネルから席を確保して動かないでいるファンがいたり、入り口に殺到するファンがいたりと、現場は極めて混乱状態だったそうだ。この熱狂の背景に、2023年にTVアニメが放送された『チェンソーマン』の海外人気、それに伴って藤本タツキの認知度の高まりがあることは想像に容易い。
先行上映もあり、映画批評サイト「Rotten Tomatoes」には少ないながらにレビューも上がっている。AwardsWatchのReuben Baronは「藤本氏のアートスタイルは、荒削りでありながら非常に緻密で、アニメーションに適応させるのは難しい。しかし『ルックバック』は映画として高い品質を維持しながら、原作のざらざらした雰囲気を出せていた」とコメント。続いてPaste MagazineのAutumn Wrightは「本作は暴力や不運な状況、順応性によって失われた芸術へのレクイエムであり、創造における議論でもあります」と評を残した。「Anime Expo2024」では本編終了後のエンドロールで拍手喝采になり、エンドロールが終わるとスタンディングオーベーションになったとか。
北米での『ルックバック』の公開日時はまだ決まっていないが、公開されれば全体の興行収入はさらなる口コミで広がりそうな予感。しかし、本作はAmazon MGMスタジオが製作委員会に名を連ねているため、早々にPrime Videoで全世界独占配信が開始されてもおかしくないのだ。劇場のチケットの値段が問題視されている一方で、配信にすぐ移行する可能性も浮上してきた今、改めて劇場で作品を鑑賞することの意義とチケットの値段、公開におけるフォーマットについてなど、いろいろ考えられることがあるかもしれない。
※海外でもっともっと名を轟かせてほしい!むっちゃ応援したくなる作品なのだっ!
★感想:これ、もっかい観に行ってもええなぁー
☆オマケ 月替わり企画「日めくり」カレンダー
8月は【「まいにち、つながろう」 by 松岡修造♪】
★8月4日(日)
『心を折るな 水になれ』
(つらいことがあった。毎日失敗だらけ・・・。
そんな時に「心が折れる」っていうけれど、
心が固くて強いものだなんて誰が決めたんだ?
僕は、心は水のようなものだと思っている。
どんなことがあっても、自分の感じ方ひとつで
何色にも染められるし、どんな形にもなれる。
苦しい時も落ち込む時もあるけれど、心は自分の思うままに変えられる。
今日から君も、水のような心で生きてみないか。)
※シジミも茹で上がるくらい熱い男、修造。今見るとこの動画なんかはウザく感じますねー。同じこと言ってても、駄洒落を挟んでくるとか、比喩を使ってみるとか、修造も進化しておるようです。「シン・松岡修造」ですなw
☆細かすぎて伝わらない「心折れ」の起源
・日本経済新聞 「心が折れる」、起源は女子プロレスの伝説の試合
落ち込んだり、気持ちがくじけたりした際の精神状態を表す「心が折れる」。単なる若者言葉にとどまらず、「苦難や逆境などで、その人を支えていたよりどころがあっという間になくなってしまう」として収録する国語辞典(大辞林第3版=三省堂、2006年)も発行されるなど、今や一種の慣用句のごとく定着している。1990年代から使われ始め、2010年ごろに一気に普及したこの表現。ルーツは26年前のちょうど今ごろ行われた「女子プロレス伝説の試合」にあった。(一部敬称略)
■ルーツは神取忍vsジャッキー佐藤
「対戦相手の心を折ってやりたかった」――。87年7月18日、神奈川・大和車体工業体育館でのジャパン女子プロレス(消滅)の興行。神取しのぶ(当時22、現・神取忍)対ジャッキー佐藤(当時29、99年死去)の一戦だ。後に男性レスラー顔負けの圧倒的な強さで「ミスター女子プロレス」との異名を取ることになる神取。柔道で残した世界選手権3位、全日本選抜体重別選手権3連覇などの実績にたがわぬ活躍で、早くも頭角を現していた。
一方、マキ上田と組んだ「ビューティ・ペア」で70年代後半に一世を風靡し、歌手としても「かけめぐる青春」で大ヒットを飛ばしたジャッキー。人気・実力とも押しも押されもせぬ看板レスラーであり、経営幹部でもあった。
この試合が今も語り草となっている理由は、あまりにも凄惨なケンカマッチとなったためだ。経営難だった団体の運営を巡る対立。直前の興行では神取の負傷箇所を、ジャッキーが悪意をもって攻撃した、と受け取られる出来事もあった。こうした伏線からも、遺恨試合は目に見えていた。生涯唯一となるギブアップ負けを喫したのはジャッキー。プロレス週刊誌には、パンチを受け顔面が腫れ上がって変形した見るも無残な写真が掲載され、「ジャッキーを戦慄KO!」の見出しも躍った。
●漢・神取忍チャンネル 神田明神奉納プロレスでまさかのW神取が
・5月26日に開催する神田明神奉納プロレス! なんとそのリングアナとして、ニセ神取忍がゲスト参戦! 神取忍とのW神取はリング上で実現なるか!? そして、選手たちは笑わずにいられるか!?
※シャツにチョコレートの染みがついて、それを消そうと余計広げてしまう神取さん。もしや、心もこの時点で折れてしまってるとか?
・1993年の「グラップラー刃牙」は「心が折れる」が使われ始めた頃の例((C)板垣恵介/秋田書店)
※いやぁーーーーー、神取忍vsジャッキー佐藤、、、エモいなぁ~。