・Tver 孤独のグルメ Season10第3話 神奈川県横浜市桜木町の真鯛のソテーオーロラソースとまぐろのユッケどんぶり
・テレビ東京 10月21日(金)放送分 10月29日(土)0:51 終了予定
※五郎さんの独食日記もとうとう10作目に到達!いやぁー、見ていて飽きませんね~。ただオッサンがブツブツ呟きながら食事してるだけなのにねー。
・日刊SPA! 『孤独のグルメ』名ゼリフ誕生秘話を原作者が語る「見た目どおり原寸大にウマイ」
食マンガの金字塔として長く愛され続け、ドラマシリーズも人気の『孤独のグルメ』。その名シーンを、主人公・井之頭五郎の自由気ままで、時に奥深い「独り飯名ゼリフ」とともに紹介していく!
『孤独のグルメ』(原作・久住昌之 作画・谷口ジロー)は、輸入雑貨商を営む男・井之頭五郎が、仕事で訪れたさまざまな街でひたすら腹をすかせ、飯を食う。食うのは、いわゆる「グルメ」とは程遠い、街場の普通の飯だ。ただそれだけの物語にもかかわらず、’96年の初版刊行以来多くの人に愛され続け、最近では作画・谷口ジロー氏の全集『谷口ジローコレクション』の一部としてB5のビッグサイズ(全2巻)も刊行された。 独りで飯を食うことの豊かさと救い、そしてそこから生まれる小さなドラマが、緻密で静謐な谷口ジロー氏の作画と、自由気ままでどこかトボけた、それでいて奥深い五郎のセリフに凝縮されているからこそ、多くの人に共感されているのだろう。今回は『孤独のグルメ』の名シーンを五郎のセリフとともに振り返り、その誕生秘話を原作の久住昌之氏に語ってもらった。
「モノを食べる時はね 誰にも邪魔されず自由で なんというか 救われてなきゃあダメなんだ 独りで静かで 豊かで……」
従業員を怒り続ける店主に五郎爆発!? 五郎の武闘派な一面が見られる人気回だ。 「『独り飯の美学』みたいに引用されることも多いセリフなんですが、自分としては『五郎も何言ってんだか』くらいの気持ちで書いたんです(笑)。食べている目の前で、人が怒られているのが苦手なのは本当です。店主が従業員に『おまえ、なんなの?』と怒っている場に居合わせたりすると、つらくなりますよね」 この後、五郎は「見てください! これしか喉を通らなかった!!」とも発言している。 「店主からしたら『知らないよ』と思いますよね。そこは、五郎もやっぱり変だけどねって部分を出したかったのかな」
「うわあ なんだか凄いことになっちゃったぞ」
残業中、「腹もペコちゃんだし」と、深夜のコンビニで買い込んでしまった回もある。 「お腹がすいているから、調子に乗って買っちゃったんだけど、やりすぎだよね。でも、楽しかったなぁ。これも買っちゃおう、あ、あれもって感じで実際に買って、資料写真を撮って。『凄いことになっちゃったぞ』って普通の言葉なんだけど、食べ物が並んだコマと合わせると生きてくる。谷口さん、一コマ描くのに一日かかったんじゃないかなあ。凄いことです(笑)」
「こういうの好きだなシンプルでソースの味って男のコだよな」
「人ってふとしたときにこういう隙のある顔をする」と久住さんが語るのは、カツサンドを頬張る五郎の表情がちょっとマヌケで印象的な回。 「うどんを生醤油で食べるとか、お刺し身とか、醤油って素材を生かす引き算の調味料で、日本的ですよね。一方西洋料理は、グリルして、ソースをかけてって、どんどん味の足し算をする。それが、防具をつけたり、武器を持ったりって感じがして、男のコっぽいなと思って書いたセリフです」
「見た目どおり原寸大にウマイ」
駒沢公園近くの店で食べた煮込みの味は、今でも思い出せる味だという久住さん。 「あー、この感じかと、想像していたとおりの『原寸大にウマイ』味だったんです。それがよかった。『一口目からとろける!』とか『想像以上!』とかじゃなくていいんですよ。そういえば、前の仕事場の近所にカレーを出す喫茶店があって。スパイシーでもなく、むしろちょっと物足りない。だけど、たまに無性に食べたくなる。それが20年以上続いてるんです。凄くおいしいと大騒ぎしたものを、二度と食べに行かなかったりするのに。おいしいって、つくづく不思議なものですね」
【マンガ家・音楽家 久住昌之】 ’58年生まれ。『孤独のグルメ』のほか、『花のズボラ飯』(作画・水沢悦子)、『食の軍師』(泉昌之名義、作画・和泉晴紀)など代表作多数 <取材・文/週刊SPA!編集部 マンガ彩色/廣木陽一郎>
※今回観た第3話の名言はコレだな↓
「何もかもウマイ。つながっている。小鉢も味噌汁もメインと一丸となっての全員野球だ!」
※「全員で勝つ!」これはオリックスのスローガン。さあ日本シリーズはどうなりますことやら。
※「ふぞろいの湯飲みたち」・・・ 往年の名作ドラマの小ネタも忘れないw
※お店の女主人役に真矢みきさん。モノマネで「ためる」演技を強調されているせいか、今回の演技は自然でめっちゃ良かった。こんな美人で気さくな女将がいたら、絶対繁盛するでしょ。
☆松重さんのコメント変遷(2ちゃんねる情報より)
「最初にこのドラマの話をいただいた時は、『誰が見るの?』という感じだった」 (2014)
「自分の俳優人生に傷がつくと思った」 (2015)
「この間【オワコン】という言葉を聞いて、この番組にぴったりだと思った。マンネリもマンネリ」 (2016)
「おっさんがただ飯食ってるだけ。視聴者がどう楽しむのか、シーズン6をやった今も分からない」 (2017)
「大晦日にスペシャルをやると聞いてテレ東は大晦日を捨てたなと思った」 (2017)
「今回をファイナルシリーズにしましょうと提案したが却下された」 (2018)
「こんな仕事で寿命縮めたくねぇなと、最近強く思うようになりました」 (2018)
「この間プロデューサーにいつまで続ける気ですか?と聞いたら、人気が無くなるまでと言われて絶望した」(2019)
「演者が飽き飽きしているのに、まだこの番組を見たがる視聴者がいることが不思議だ」(2020)
「老けました。もう痛々しいから辞めろという声が聞こえてきたら、辞める覚悟はできています」(2021)
※松重さん、パート10直前スペシャルで言ってたけど、前日は絶食してるっぽい。だからこそ、最初の一口の「ンマイ!」の演技が自然なんだなぁーーー。大変なご苦労だよ、全く。
・女性自身 松重豊『孤独のグルメ』彷彿させるドライブ姿を目撃撮“愛車は中古のアウディ”
「それにしても腹が減った」
あの深夜ドラマのお決まりのセリフが聞こえてきそうなアンニュイな表情で、真っ赤な愛車を運転していたのは松重豊(59)。10月中旬のある日、松重は都内で行われた新CMの発表記者会見に出席。
「ドラマ初主演ながらハマリ役となった『孤独のグルメ』(テレビ東京系)はシーズン10に突入しました。放送開始からすでに11年めです。オジサンが食事をするだけの深夜番組が『科捜研の女』や『相棒』に続く長寿ドラマになるとは誰も予測できなかったでしょう。松重さんは今やCM契約も多数抱える“遅咲きの売れっ子”です」(広告代理店関係者)
人気芸能人ともなれば運転手付きの送迎車が与えられるものだが、この日の松重は愛車のハンドルを自ら握って一人で記者会見の会場に駆けつけた。「松重さんの愛車はアウディで最も小さいタイプのもの。長身の松重さんでは天井に頭が届きそうなのも無理はないですね。小さくとも中身はパワフルなスポーツモデルで、今時珍しくマニュアル車のみの販売。松重さんらしい粋なチョイスですね」(中古車販売店営業マン)
新車価格は430万円前後だが、実は松重はこの車を中古で購入したという。一度は俳優を休業したほどの苦労人は、今でも庶民派の暮らしを貫いているようだ。
一仕事を終えた松重が車で出てきたのは正午前。愛車に乗ってこの日はどんなお店に空腹を満たしに行ったのだろうか?
※昔は「えー、お酒飲めないんですか?」とビックリされることの多かった井之頭五郎さん(実際の松重さんはお酒大好き♪)が、最近は「まだ食べるんですか?」と大食を驚かれるシーンが増えた。「愛車は中古のアウディですか?」と、これまた人をビックリさせるのがお好きな井之頭さんである・・・。
・デイリー新潮 テレ東“最強コンテンツ”なのになぜゴールデンに昇格しない?
「照明を当てすぎたり、湯気を出しすぎたりといった、わざとらしさがないところも好感が持てます。すべて自然に流れてゆく、ゆったりとした心地よさこそ、『孤独のグルメ』が人気の理由だと思います」
そこまで人気なら、ゴールデンに昇格してもおかしくないはずだが。
「テレ東の深夜ドラマは製作委員会方式が多いのですが、『孤独のグルメ』だけは《製作著作・テレビ東京》です。つまり、オールライツを握っているわけです。この番組は主題歌(久住がギターを務めるバンド・The Screen Tonesが担当)などのサントラ、ネット配信、DVD、ムック本など、“金のなる木”になっています。ですからテレ東としては、番組を長く続けて欲しいのです。そのためには、ゴールデン昇格などして早く飽きさせるようなことはしたくない。細く長く儲けたいというのが本音でしょう。とはいえ、キラーコンテンツであることはよく分かっていますから、大晦日には『NHK紅白歌合戦』のウラで活躍してもらうわけです」
大晦日の22時から23時半まで、「孤独のグルメ」大晦日SPが放送されるようになったのは2017年からだから、今や定番化しつつある。「昨年は紅白のウラで、視聴率6・6%を獲得。近い時間帯で見ると、日テレの『笑う大晦日』が5・6%、テレ朝の『あざとくて何が悪いの?SP』が4・4%、TBSの『THE鬼タイジ』が3・6%、フジテレビの『RIZIN』が4・3%と、いずれにも勝利しています」同時間帯では民放首位と言っていい。「それもあって、大晦日SPのみならず、最近は元日にも放送するようになりました」
21年の元日には「孤独のグルメイッキ見SP」が朝9時から15時半まで放送された。さらに、この年の大晦日には「孤独のグルメイッキ見 大晦日SP」が朝7時45分から13時半まで放送され、夜には「大晦日SP」。そして翌日となる今年の元日には、朝9時から夕方17時55分まで「イッキ見SP」が放送された。年をまたいで2日間、実に16時間以上が「孤独のグルメ」だった。「昨年大晦日の『イッキ見』(11:40~13:30)の視聴率は7・7%、今年元日の『イッキ見』(14:00~17:55)は7・9%も取りました。還暦を迎える松重さんですが、当分は放してもらえないでしょう。テレ東はまだ公表していないものの、今年の大晦日と来年の元日も放送するとみています」
※「細く長く儲けたい」というのが理由なら、その目的は十分果たせているんじゃないの?
たまに観られる喜びというのも確かにあるしなーー。
◎今回登場したオーロラソースは、、、
《〈フランス〉sauce auroreから》ケチャップとマヨネーズを合わせて作ったソース。
[補説]本来は、ベシャメルソースにトマトやバターなどを入れたものをいう。
出典:デジタル大辞泉
だそうな。
●次週予告 「孤独のグルメ Season10」第4話
※来週はゲストが豪華そうだぞ。
※では、また来週。滅びの呪文、「バル」!いや、あれは「バルス」か。
◎オマケコーナー 広告&音楽
◇今日10月20日のコピー
「広告コピーと100の物語」より “生き方”編
“降参したら、楽になりました。”
(エッセイ)
“青写真の現像ミス”は、一度や二度、誰にでもある。その時の試合では自分の弱さを知ったから、白旗を上げた。でも、降参は永遠にするものではない。時を経て、何度でも勝負を挑めばよい。一時の降参で流した涙は、人生に降参するまで消えずに光り続ける。
(コピーライター&クライアント&媒体)
仲畑貴志 岩田屋 ポスター?
◇関連画像&サイト&書籍など(細かすぎて伝わらないものも含まれる)
・りっすん 無意味な時間を過ごしたっていい。髭男爵・山田ルイ53世さんの「つまらない暮らし方」
Q:外出自粛期間中は、どのように過ごしていましたか?
山田ルイ53世さん(以下、山田) こないだ「ボクらの時代」(フジテレビ)という番組で、コウメさん(コウメ太夫さん)、スギさん(スギちゃん)と話したんですよ。我々の場合は、外出自粛要請が出る前からすでに自粛していたようなものだから、へっちゃらだよねと。まあ本当は皆さん結構忙しくしてらっしゃるんですが(笑)。とにかく、このご時世だからといって家庭菜園を始めたり、動画をアップしたりすることもなく、ただ家にいることも多かったですね。
「ステイホーム」の掛け声とともに、メディアは自宅でポジティブに過ごそう! というメッセージを盛んに伝えていました。でも、山田さんは普段の日常となんら変わらず過ごしていたわけですね。
山田 変わらないですね。最近しきりに「こんな時こそ前向きに」みたいなフレーズを耳にしますが、こんなに暴力的な「こそ」はないと思ってしまいます(笑)。「こそ」という言葉の銃を後頭部に突きつけられて、「いかなる時でも前を向きなさい!」と言われているような、そんな圧を感じる。「こそ」ひとつで、全ての状況をひっくり返せると思うなよ? いつからそんな権限を「こそ」に与えたんや! と。
確かに。逆に「こんな時だから“こそ”、何もしないでのんびりダラダラ過ごそうよ」だっていいわけですからね。
山田 僕はそっちの方がしっくりくる人です。だから、SNSで順番にお題について投稿するリレーとかオンライン飲み会なんかも、「来るなよ来るなよー……」とヒヤヒヤしてました。来ませんでしたが(笑)。もちろん、楽しんでいる方もたくさんいて、それはとてもいいことだと思ってます。ただ、リレーをスルーした時に、こちらが受ける社会的ダメージはありそうだなと。先方も、なんで返さないの? 変な人? となるでしょうし、スルーした言い訳をしないといけないのもしんどそうです。
これも、こんな時だからこそ「つながろう」という、ある種のムーブメントになっていました。
山田 そう。それを否定するわけでは全くないですよ? でも、つながろうとし過ぎるのが気になってしまう。やむにやまれぬ事情でもあれば別ですが、コロナで外に出られない緊急事態にまで、まだつながりたいかとちょっと思ってしまう。
まあ、僕はもともと芸能界での交友関係も何もない人間ですから、そもそもリレーもオンライン飲み会も全く誘われなかったわけですが(笑)。ただ、正直ほっとした部分もありました。
「おひたし」みたいに“しんなり”生きる
そもそも、山田さんは常々、世間にはびこる「プライベートを謳歌しなければいけない空気感」が苦手だとおっしゃっています。誰もがキラキラした素敵な週末を過ごさなくたっていい、もっと無意味にぼーっと過ごしてもいいのではないかと。
山田 そうですね。理由としては、自分に趣味が一つもないからなんですが。特に芸能界って趣味を持ってプライベートを謳歌している人間の方が重宝される。番組の打ち合わせとかでも、趣味と交友録を聞かれることは多い。プライベートで何をしてますか? どんな人と遊んでいますか? って。僕は常にゼロ回答なんですね。お役に立てない。そこにコンプレックスというか、罪悪感に似た感情を抱いてしまう。そういうしんどさは、この業界に入ってからすごく感じるようになりましたね。
タレントさんでなくても、週末何もせず、無駄な時間を過ごしてしまった……と罪悪感を覚えてしまうという人は少なくないと思います。
山田 正直、毎週のように外へ出て趣味を謳歌している人をうらやましく思う時も、たまにあります。でも、やはり自分は、しんなりと時間を過ごす方が性にあってるかなと。シャキシャキの野菜スティックではなく、しんなりした「おひたし」みたいに暮らしたい。
もうね、最近は常々「つまらなく暮らそう」と心がけているんですよ。できるだけ安静にしときたい。イェーイとかワーイとか言いたくない。もともと言うタイプでもないですけど。そういう人がいてもいいじゃないかと思ってます。
「つまらなく暮らす」。一見とても後ろ向きに聞こえますが、それはあくまで心穏やかに生きるための手段であると。
山田 そうそう。決して自分を卑下しているわけじゃなくて、つまらない気持ちのまま過ごすことを受け入れるというか。今回のコロナでもそうですけど、人ってどんな状況でも光明を見出したがるじゃないですか。いつでも前を向いて何かをしていないと、なんかダメな感じがしてしまう。でも、それってしんどくないですかね。
向いていないから「社交」を削った
山田さんは、普段から芸人仲間やスタッフさんと飲みに行くことも、ほとんどないそうですね。
山田 いや、あくまで誘われないだけですが(笑)。若い頃は行ってましたけどね。ややこしいことに、表面上は人一倍気さくに振舞えるんですが、本質的に向いてないんです。人間関係が強化されることが重荷になるというか。この人は楽しんでらっしゃるんだろうかと気を使ってしまう。
ただ、参加した方が人脈も広がるし、仕事の面で得な部分もあるのでは?
山田 もちろんそういうこともあるでしょうし、単純に楽しかったりもするのでしょう。ただ自分の場合は向いてないので、なるべく機嫌よく暮らすことを優先し、ここ何年かは特に社交を削りました。
芸人さんのなかだと山田さんのようなタイプは珍しいんでしょうか?
山田 どうでしょうか。それも社交が無いので分かりませんが(笑)。そもそも芸能界に向いていないんですよね。勿論お笑いは好きだし、ネタを考えたり舞台に立つのは楽しいんですけど、ザ・芸能界の雰囲気が苦手だという。致命的ですね(笑)。もしかしたら、中学2年の夏から6年間ひきこもりだったことも影響しているかもしれません。20歳で上京してからも仕事がなくてずっと家にいた期間もあるし、『進ぬ!電波少年』(日本テレビ)という番組で1年間くらい部屋に監禁されていたこともあるし、基本的にずっとステイホームなんですよ。だから、今も根っこのところではずっとひきこもっているような感覚もあって、どうもアクティブになれない。無理にアクティブになろうとしても、疲弊してしまいますもんね。
山田 いや、もちろん、僕も昔は飲み会で、「ちょっと、勘弁して下さいよー!」とか言ってそれなりに「らしく」振舞ってましたよ? ただ、何度も言いますが、向いてない、としか言いようがない。だから、早々と諦めました。
自分には向いてないなって飲み込んで降参してからは、精神的に楽になりましたよ。なるべく自分にできることだけを誠意を持ってやろうと考えるようになりました。
大部分の人は何の取り柄もない
山田さんは先ほど「いつでも前を向いて何かをしていないといけないと、ダメな感じがしてしまう」とおっしゃいました。そういった感覚は、どこから来るものなのでしょうか?
山田 全ての時間を「糧」にしなければいけないと、思い込まされているような気がします。今の社会では、子供の頃から「何者かにならないとダメだ」ということを周りに言われることも無関係じゃないでしょう。例えば、うちには娘が2人いて、自宅によく塾や通信教育のチラシが入ってくる。それを見ていても、何者かであろう! というキラキラしたメッセージが強過ぎるように感じてしまうんです。「輝度」が強過ぎるというか。もちろん、まだ小学生の娘に今の段階で全ての可能性を断捨離せい、というつもりなど毛頭ありませんが、今は子供だけでなく大人になってからもそれを言われ続ける雰囲気がある気がしてます。40代50代向けの転職サイトでさえ、あなたには無限の可能性がある! みたいなテンションだったりして、びっくりします。
各々が精進して可能性を切り開いたり、高みを目指すのは素晴らしいことですが、それが「模範的な価値観」になってしまうと……確かに息が詰まります。
山田 そう。酷な言い方ですけど、自分も含めて大部分の人は何の取り柄もない。それなのに、「選択肢はいくらでもある。自分に向いていることを探そう」みたいなことを言い過ぎている。現実には、“何にも向いていない人”だっているかもしれないのに。それを無視して、あたかも誰しもが何かしらの才能があるような言い方をし続けるのは、ちょっとよろしくないんじゃないかと思うわけですよ。実際、僕は芸人に向いてませんからね。「一発」当てるくらいのネタとキャラを編み出したという自負は勿論ありますが、芸能界をすいすい泳いで楽しく暮らしていくことには全く向いてない。
それで、山田さんは器用に芸能界に渡っていくことを諦めたわけですもんね。
山田 諦めなければ必ず成功するんだ、勝てるんだって言う人もいますが、それはたまたま諦める前に勝ちが来ただけじゃないかと。凡人に出来るのは、せいぜい選択肢をプチプチ潰していくことだけ。特に若い内は、テンポよく「負けていく」ことは大事かもしれない。負けて負けて、できないことを削ぎ落としていかないと、それこそ「向いていること」なんていつまでも見つからないんじゃないかなと思いますね。
冷蔵庫の有り合わせで生きる
先ほど「つまらなく暮らす」ことを心がけているとおっしゃっていましたが、そんな日々のなかでも、ささやかな楽しみのようなものはありますか?
山田 何やろう……。好感度を上げたいわけじゃないですけど、子育てくらいですかね(笑)。子供の観察をしている時は楽しい。次女がこないだ1歳になったばかりなんですよ。子育てしているなかで、おもしろいことがあったらエッセイにしたりして、仕事にもつながっています。もともと好きなことが仕事になった、唯一のケースかもしれない。
そうなると、エッセイのためにネタを探してしまい、純粋に子育てを楽しめなくなりませんか?
山田 そう、何度かあったんですよ。ネタにするために、おもしろいことを「迎えに」いってしまったことが。でもその瞬間、しんどくなってしまったんですよね。
例えば、子供の方から「積木で遊んで」とせがまれて、結果的におもしろい形ができあがったりするのはいいんです。それは楽しいんですよ。でも、「一緒に積木やったら、なんかハプニングが起きるかも」という邪念がよぎった瞬間、一気にイヤになる。自分を俯瞰して、「なんておぞましいことをしてるんや」って思ってしまいます。
ただ、エッセイ以外にラジオやテレビのお仕事もありますし、ある程度はそうやってネタを自ら迎えにいかないと話すことがなくなってしまうことはないですか。
山田 昔、ラジオのディレクターさんに同じことを言われました。「プライベートでいろんなことにチャレンジしたり、遊びに行ったりしないと、すぐ話すネタがなくなるよ」と。これって結構業界の鉄則で。実践しかけた時期もあったんですけど、根がつまらなく生きている人間ですから、ストレスになる。それを心から楽しめる人ならいいんですけど、僕の場合はそうではない。だから、それはヤラセですよね。ヤラセって心理的負担がかかるから、よくないんですよ。
それに僕の場合は、普通に暮らすサイクルのなかで自然と起きた出来事について書いたり話したりする方が楽しいんですよ。だから、僕は基本的に「待ち」の姿勢ですね。文化放送の「髭男爵 山田ルイ53世のルネッサンスラジオ」は2008年から12年続いています。
待ちの姿勢でも、話せることはあると。
山田 番組開始当初は売れていたのもあって、「このまえ日テレに行ったら〜」みたいな、テレビ局で会ったタレントのこと、番組の裏話みたいなことを恰好つけて喋ってたんです。でも、テレビの仕事が減り、地方営業が主になると、そういう派手なネタがなくなる。
ただ、そういう一見地味に思えてしまうような仕事でも、おもしろいことって起こるんですよ。例えば、お寺で漫才してたら「○○やないかーい!」って乾杯してチーンと鳴るタイミングで、鐘楼の鐘が「ボーン」と偶然鳴ったりね。
絶妙過ぎるタイミング(笑)!
山田 ドサ回り、それもドサ中のドサの話ばっかりのラジオ。でも、それはそれで面白がってくれる人がいたんです。
キラキラした日常でなくても、ささやかな出来事に楽しさを見出すことはできると。
山田 そう思います。残念ながらこの人生は、成城石井でオシャレな野菜や高い肉を買ってきてご飯を作るようなものではなかった。冷蔵庫にあるものだけで毎日よく分からないおかずを作っている感じ。そんなふうに、有り合わせで生きてもいいじゃないかって思います。
取材・文:榎並紀行(やじろべえ)
編集:はてな編集部
※岩田屋広告。上記コピーの使われてる宣伝媒体は見つけられじまいでしたー。無念!
◇大人のミュージックカレンダー
2016年10月20日
今から54年前の今日、1962年10月20日は、のちに昭和歌謡史に残る名曲に生まれ変わる「手編みの靴下」がリリースされた日。
執筆者:中村俊夫
・・・尾崎紀世彦「また逢う日まで」(71年)と園まり「逢いたくて逢いたくて」(66年)の共通点は何か? 両曲共タイトルに「逢」という文字が使われているということ以外に、過去に別のタイトルでリリースされたものの不発に終わり、その後タイトルと歌詞を変えて別のアーティストがリメイクしたら大ヒットという共通項がある。1966年に青山ミチの通算25作目のシングルとしてリリースされた「風吹く丘で」が、歌手本人のトラブルで 店頭回収の憂き目に遭いながら、68年にヴィレッジ・シンガーズが「亜麻色の髪の乙女」のタイトルでリメイクして大ヒットしたのも、このパターン(歌詞は同じだが)。筆者はこうした作品を「出世魚楽曲」と呼んでいる。
「また逢う日まで」の“出世前”はズー・ニー・ヴーの「ひとりの悲しみ」(70年)で、作詞を手がけたのは阿久悠。「ひとりの悲しみ」というタイトルどおり孤独な都会生活の寂しさを描いていた歌詞が、「また逢う日まで」では同棲生活(と思われる)の解消によってカップルが再び孤独に戻るという描写に変わっている。翌72年に話題を呼ぶ上村一夫の人気劇画『同棲時代』を予見したような時代性を盛り込んだ歌詞も出世魚に化けるカギだったのかも知れない。
一方の「逢いたくて逢いたくて」の出世前は、ザ・ピーナッツの通算31作目のシングル曲となった「手編みの靴下」で、今から54年前の今日、1962年10月20日にリリースされた。作曲は宮川泰、作詞を竹内伸光と岩谷時子が手がけている。元々、62年夏に大阪の梅田コマ劇場で上演されたザ・ピーナッツ主演ミュージカル『私と私』の挿入歌として、演出担当の竹内が書いたオリジナル詞に岩谷が手を加えて誕生した作品だった。
現在では乳児用でしか見かけなくなった過去の遺物であり、昭和3O年代末期においても決してトレンディとは言えない“手編みの靴下”をテーマに、寒い雪の夜に女性がひとり意中の男性を想いながら、部屋でせっせと靴下を編んでるという、なんとも地味で重い情景が歌われているのが災いしてか、当時「ふりむかないで」のヒットや、前年の映画『モスラ』での小美人役で脚光を浴びていたザ・ピーナッツ期待の新曲にも拘わらず、残念ながら「手編みの靴下」は不発に終わっている。
それから3年の歳月が流れた1965年末、「手編みの靴下」は岩谷時子によって全面的に歌詞が書き換えられ「逢いたくて逢いたくて」に生まれ変わる。ザ・ピーナッツの所属事務所(渡辺プロダクション)の後輩であり、「手編みの靴下」がリリースされた62年に「鍛冶屋のルンバ」でレコード・デビューした園まりによってレコーディングされ、彼女の21作目のシングル曲として、翌66年1月5日にリリースされた。中尾ミエ、伊東ゆかりと共に渡辺プロダクションの女性アイドル「スパーク三人娘」として売り出されていたものの、そのどことなく漂うキュートな“色気”故か、他の二人よりいち早く路線変更を遂げ、63年頃から徐々にアダルトなムードのオリジナル楽曲を歌っていた彼女にとって、「何も云わないで」(64年)に続く決定打となる空前の大ヒットを記録。同年6月には同名の主演映画(日活)も製作されるという、見事な出世魚楽曲に成り上がったのである。
◇関連画像&動画その他
●ザ • ピーナッツ, 手編みの靴下
・歌:ザ・ピーナッツ 作詞:岩谷 時子 作曲:宮川泰
※ザ・ピーナツ、ずっと聴いてられるなー。ようつべの3時間の動画も重宝す。