2022年2月GMH♂ランキング発表! | ジョニー暴れん坊デップのA部屋

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☆うわぁー、2月のギザ萌えヒーロー編を選ぶの忘れてたっ!遅まきながら、今日明日で2月のヒーロー&ヒロインランキングを発表いたしますーー。悪しからず!!

 

※2021年12月16日~2022年1月15日の間にメディアに露出した有名人、DVDなどで観賞した作品の出演者、もしくは、直接お会いした一般人などなど、とにかく全ての局面でカッチョイイ~♪と感じさせてくれた男性(or男性キャラ)を対象とし、毎月超私的に選出する萌え度ベストテン、ギザ萌えヒーロー(略してGMH♂)ランキングをお送りする。同性さえも萌えさせる、その人間的魅力に満ち溢れた男性のランキング企画です。さて今月は、いったいどういう結果に相成りまするか?どうやらトップ3には、「YouTube Channel」関連の人たちが並んだようですゾ♬

 

◎第10位 平重盛

※アニメ「平家物語」を1話だけ観た。重盛のキャラがなかなかに魅力的に描かれておったで。

 

◎第9位 トム・ホランド

※『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』はかなり燃えさせてくれた!未熟なところが逆にイイ!

 

◎第8位 ベネディクト・カンバーバッチ

※『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』では、一番マヌケな存在だったDr.ストレンジさんw

 

◎第7位 ウィレム・デフォー

※この独特の悪役パワーは、誰よりも強力だ!歳とって余計に貫禄が深まっとる!!

 

◎第6位 高良健吾

※美女に囲まれ、、、羨ましいナァー。『あのこは貴族』で存在感を発揮。

 

◎第5位 若葉竜也

※ごく普通の大学生役がハマってた!!『街の上で』はメッケモンの良作だった♬

 

◎第4位 水島新司

※ご逝去されたことがまだ信じられない・・・。つくづく思い返してみると、野球ファンになったのって、この人のおかげだったかもしんない。

 

◎第3位 森田哲矢 

 

※ゴシップの伝道師から、AV監督まで、芸の幅、目下広がリング中~~~!

 

●中田敦彦 - NAKATA ATSUHIKO 事務所をやめても生き残れたのはなぜ?【さらば青春の光 森田哲矢】

※森田氏は、自分のチャンネルというよりは、他人のチャンネル出演で爪痕残してるよナァー。

 

●【ひろゆきvsさらば森田】芸能界を目指す人に楽して稼ごうの気持ちはある?ない?

 

※ひろゆきトークがどっちかと言うと嫌いなので、「森田頑張れ!」って肩持っちゃう。

 

●ネタ 「爆弾魔の父」

※こういうショートコントをいっぱいアゲて欲しいな~~。

 

◎第2位 水道橋博士

 

●水道橋博士の異常な対談 【前田日明Part1】自称・前田の応援団長!水道橋博士が味わう選ばれし者の恍惚と不安!

※前田さんの闇を、どんどん発掘してほしいですわ、博士には!

 

・東スポweb 水道橋博士と松井一郎大阪市長がツイッター上で〝場外乱闘〟 法廷措置も

 お笑いタレントの水道橋博士(59)と、松井一郎大阪市長(58)がツイッター上でバトルを繰り広げている。/事の発端は、水道橋博士の13日のツイート。そこに投稿されたのは、「【維新の闇!】大阪市長・松井一郎の経歴を調べたらヤバかった!」と題したユーチューブ動画だった。水道橋博士は「これは下調べが凄いですね。知らなかったことが多いです。維新の人たち&支持者は事実でないなら今すぐ訴えるべきだと思いますよ(笑)」とツイート。

 すると、これに反応したのが松井市長だ。「水道橋さん、これらの誹謗中傷デマは名誉毀損の判決が出ています。言い訳理屈つけてのツイートもダメ、法的手続きします」と警告。さらに「水道橋さんは有名人で影響力があるのでリツイートされた方も同様に対応致します」と容赦ない姿勢を示した。だが、水道橋博士にひるむ様子はない。元大阪府知事で、松井氏と日本維新の会を立ち上げた橋下徹弁護士に「『公人』は訴訟をやるべきではないって橋下さんはおっしゃっているのですが、松井知事に昨日、『訴える!』って言われたのですが、橋下さん弁護をお願いできますか?」とまさかの〝オファー〟。これら2人の〝場外乱闘〟がツイッターで大きな話題となっている。

※橋下徹弁護士がらみで、相変わらず博士は何かと揉め事が多いようでー真顔汗

 

 

●水道橋博士の異常な対談 【角川春樹Part1】水道橋博士と13年ぶりの再会!

※「会議の時に、地震を止めた!と言い放ったエピソード」とかを、かつては面白おかしくイジっていたけど、、、いつの間にか懐に潜り込んでいるのネン~(^^♪

 

★前田日明に角川春樹、町山さん、、、と対談相手のセンスにゾックゾクすらぁー。

 

◎第1位 江川卓

 

 

●【巨人三本柱】槙原寛己・斎藤雅樹・桑田真澄のエピソード!

 

※こういう話が聴けるのは、ユーチューブさまさまやなぁ~~。

 

・スポニチアネックス 江川卓氏 警察官にピストル向けられて「ゾッとしました」 アメリカの野球留学時代を振り返る

  野球評論家の江川卓氏(66)が23日、自身のYouTubeチャンネル「江川卓のたかされ」で1年間のアメリカ留学時代を振り返った。  法政大学の4年生だった1977年のドラフトでクラウンライターライオンズ(現西武)から1位指名を受けた江川氏。しかし巨人入りを熱望していた江川氏は入団を拒否。法政大学卒業後の進路は「社会人野球」「ハワイで1年間練習」「アメリカに1年間の野球留学」の3つがあり、「アメリカ留学」を選んだ。  「社会人野球」を選択した場合は東京芝浦電気(現東芝)に進むことが決まっていた。しかし「2年間社会人野球をしなければいけない。社会人野球が終わってから、またドラフトされてプロに入ると24、25歳になるので寿命的に難しいのではないか」と断念。「ハワイで1年間練習」についても「元木さんが1回やりましたけど、これは調べたら練習する人数がいない。ピッチャーってのはいろいろボールを投げないといけないので、行っても練習として不足するんじゃないかなと思って」と諦めた。  

  江川氏は大学時代に日本代表としてアメリカの大学生と対戦した経験もあり、「向こうの大学ですね。大学を卒業してから行きますので練習生としてUSC(University of Southern California)が受け入れてくれるということになったので、そこにしようか」とアメリカ行きを決めた経緯を明かした。  アメリカでは日米野球で対戦したことがある選手と4月から6月の3カ月間ルームシェア。練習では打撃投手や、チーム内だけの練習試合で投げていた。そして7月から9月の3カ月間はアラスカに場所を移して「アラスカサマーリーグ」に参加し、メジャーリーグの卵たちと対戦して腕を磨いていたことを振り返った。  カリフォルニアでの思い出を聞かれた江川氏は「車の免許を取ったこと」。初めて買った車は「BMW」。その車で「ラスベガスに何回か行きましたけど」とし「ラスベガスの帰りにパトカーに捕まって。後ろから何て言われたんだろ。英語忘れたな。『そこに車を停めろ』みたいな」と指示されたという。  車から出てくるように言われて慌てた江川氏は「(ジャケットの)内ポケットにパスポートが入ってましたから、手を入れたんですよ。パスポートを出そうと思って」と動いた。すると、この行動を見た警察官は「Hands up!!」と言いながらピストルを向けた。江川氏は「撃たれると思って。その瞬間(ピストルを)構えられた時はゾッとしました」と恐怖体験を振り返った。

 

 その後、警察官から「今、スピード出したよな」と言われて「英語を間違った。本当はI didn't knowと言わなきゃいけないやつを、『I don't know(知らねえ)って言っちゃったんですよ』」と痛恨の言い間違い。それでも誤解は解けて無事に解放された。江川氏は「過去形の大事さというのを学んだ」と笑いながら「怖かったですね。でもいい思い出ですよ」と懐かしんだ。

※「I don' know たゆまずに!!」by エレカシw

 

※永遠のライバル、西本とガチの口喧嘩とかしてほしいな。で、おぼんこぼん以上の確執を強調して、その後電撃和解、と。うわー、なんだその茶番劇!www

 

●【球界改革】セ・パの実力の違いはどこにあるのか!?

 

※これは意外~~!江川さんは、クライマックス・シリーズには反対してくれるものと思ってたが。それとも遠回しに言っているのかな?これは・・・。

 

※「それが僕の提言なんです・・・」→哲学とか信条、って言いたかったのかな?

 

◎オマケコーナー 広告&音楽

★書籍&サイトの情報は、1月1日の記述を参照あれ。

 

◇今日2月27日のコピー

「何度も読みたい」広告コピーより

“人生は、冬ではなく、春で終わりたい。”

(ボディコピー)

老後とはさびしいものだとあきらめている人が、まだ、日本には大勢います。
でも、ちょっと待ってください。長い年月をまじめに働き、子どもを育て、
社会への責任を果たしてきた、そんな人々の老後がさびしいものであって

いいわけがない。そう思いませんか。生きている限り幸せでいよう。
まず、そう願ってください。そして、そうなるためにはどうすればいいか、
一生けんめい考えてください。

ヒルデモアは、その答えのひとつになるために生まれました。
デンマーク・コペンハーゲンで出会った理想の介護住宅をモデルに、
日本にはなかった考え方やシステムのあり方を徹底的に学び、実践に移しました。
その成果が「ヒルデモアたまプラーザ」や京都の「ヒルデモア東山」であり、
いよいよオープンの日が来た「ヒルデモア こどもの国」なのです。

人が高齢になり、たとえ介護が必要になった時も、若い頃と同じように、
自然に笑い、泣き、語り、遊び、感動できること。
新しい思い出を生み出せる、みずみずしい暮らしができること。
歳をとるのは悪くない。そう思える人が、この国にひとりでもふえるために、
私たちの長い歩みが、もう始まっています。

介護付有料老人ホーム ヒルデモア

 

(コピーライター&クライアント&媒体)

岩崎俊一 サミュエル 新聞

 

◇関連画像&サイト&書籍など(細かすぎて伝わらないものも含まれる)

 

 

◇大人のミュージックカレンダー

2018年02月27日

1978年の本日、デュエットソングの定番、平尾昌晃/畑中葉子「カナダからの手紙」がオリコンチャートの1位を獲得

執筆者:鈴木啓之

・・・ロカビリー歌手から作曲家へと転向して次々とヒット曲を世に送り出していた平尾昌晃が、主宰していたミュージックスクールの生徒・畑中葉子と一緒に自ら歌った「カナダからの手紙」は、1978年の初頭に発売されると徐々に人気を上げ、ピンク・レディーや沢田研二ら並み居る強敵を抑えて遂にオリコン1位を獲得。70万枚を売り上げる大ヒットを記録してデュエットソングの定番となる。栄えある首位に輝いたのは、レコード発売から1ヶ月半後の2月27日のことであった。平尾亡き今、改めて評価されている屈指の傑作ナンバーは、数ある平尾作品の中でも欠かせない一曲といえる。新人・畑中葉子にとってはこれが記念すべきデビュー曲となった。

 平尾が“平尾昌章”として「リトル・ダーリン」でデビューしたのは1958年のこと。同じ年にはオリジナル・ナンバー「星はなんでも知っている」をヒットさせるなど歌謡曲とカヴァーを並行して歌っており、60年には自作曲「ミヨチャン」をヒットさせている。加山雄三や荒木一郎よりさらに早い、極めて初期のシンガーソングライターのひとりということになる。山下敬二郎、ミッキー・カーティスと共に“ロカビリー三人男”として活躍したが、その後は病気療養を余儀なくされる時期があり、しばらく歌手活動を休んでいたところ、以前発表した「おもいで」という曲に北海道から火がついてリバイバルヒットに至る。快気へ向かいつつあった平尾への渡辺プロからの要請は、歌手復帰ではなく、「おもいで」を新人の布施明に歌わせたいというものだった。しかし布施版「おもいで」がヒットしたことで、平尾に作曲家としての道が拓ける。「銀の涙」をスマッシュヒットさせた後、名前を“昌章”から“昌晃”に替えての「霧の摩周湖」「恋」が続けて大きなヒットとなり、梓みちよ「渚のセニョリーナ」、伊東ゆかり「恋のしずく」などを次々にヒットさせた。

 70年代に入り、五木ひろしが苦節の時期を経て遂にブレイクした「よこはま・たそがれ」や、小柳ルミ子「わたしの城下町」などの大ヒットに及んで、平尾は押しも押されもせぬ人気作曲家として活躍を続ける。平尾昌晃歌謡教室(現・平尾昌晃ミュージックスクール)を創設したのは、中条きよしに書いた「うそ」や梓みちよ「二人でお酒を」が大ヒットした74年のこと。狩人、川島なお美、石野真子、松田聖子、川崎麻世、森口博子、倖田來未らを輩出することになるスクールの生徒から見出されたのが、まだ高校在学中だった畑中葉子である。抜群の歌唱センスを持つ彼女は、平尾が自ら歌う「カナダからの手紙」のデュエットの相手役に抜擢され、見事期待に応えた。ふたまわり近く年の差のあるふたりだったが、その佇まいに違和感はない。第3回「空の音楽祭」でグランプリを受賞した軽やかなデュエットナンバーは78年1月10日に発売された。カップリングはやはりデュエットによる「揺れる二人」であった。いずれも作詞は橋本淳、編曲は森岡賢一郎というヒットメーカーたちが顔を並べた最高の仕事で、生まれるべくして生まれたヒットだったといえるだろう。

 続けて出された「エーゲ海の旅」「サンフランシスコ行き」、そして「ヨーロッパでさよなら」と歌の世界旅行が展開され、アルバム『カナダからの手紙』には、畑中のソロ曲「ひとり歩き」も収められた。タイトルからして愛弟子への激励に満ちたナンバーであることが窺える。さすがに「カナダからの手紙」を上回るヒットは出なかったものの、2枚目のアルバム『サンフランシスコ物語』も作られ、旅情豊かなナンバーが数多く生み出されることとなった。折しもカラオケが流行りだした時期であったことから、平尾と畑中、それぞれのヴォーカルだけが収められた「女性用」「男性用」のカラオケ・レコードも作られているのがユニークである。ジャケットには“あなたもスターと夢のデュエットが出来るカラオケ・レコード”と書かれていた。/平尾はその後も秋篠美帆との「恋人たちの港」、水谷ジュンとの「ふたりの有楽町」、土家里織との「霧のレイクサイド」などのデュエットソングを出したがいずれも残念ながらヒットには至らなかった。平成になってからもヴェテランのアグネス・チャンや木の実ナナと一緒に歌ったデュエットナンバーがあるがあまり知られていないことと思う。平尾のデュエットの相手役として、畑中葉子がいかに相性抜群で抜きんでていたかがわかる。平尾は2017年に惜しくも世を去ってしまったが、屈指のナンバー「カナダからの手紙」は、今後いろんな形で畑中葉子が歌い続けてくれることだろう。歌謡ポップスの世界でこれほどまでにパワーを持った華やかなデュエットソングはなかなかないのだから。

 

◇関連画像&動画その他

 

●カナダからの手紙 ワチクシが最初に買ったレコードですた!!

※畑中葉子さん、歌ウマイっすわーー、改めて。

 

●夜のヒットスタジオ78年5月1日放送 「エーゲ海の旅」

※この曲も良かったのにね~。「カナダからの手紙」が良くも悪くも売れすぎた弊害やねーー。