最近行ったお店あれこれ(姫路・三宮) | ジョニー暴れん坊デップのA部屋

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マニアックな話題に特化してます・・・

・まずは元町映画館へ寄った際に行ったお店~。

 

◎うどん 倭(ヤマト)

 

※月見うどん+おにぎり2個、いただきましたっ!おにぎり

「宇宙戦艦ヤマト~♪のノリで、うど~んはんてん、や~まぁ~とぉ~♪」などと歌いたくなる。

 

●神戸 元町 手打ちうどん 倭

 

◎続いては、餃子の「ふくろ」 (店のマスコットキャラ?はフクロウっぽいのに、なぜ店名はふくろ?)

 

・食べログ ふくろ

■北摂 麺次郎(346)さんの口コミ

・・・☆3.0 餃子のレビューの時は魯師匠から頂いた「餃太郎」という名前を忘れてました(>_<) /北摂麺次郎、改め「神戸餃太郎(かんべ ぎょうたろう)」です<^!^> 餃子もらーめん同様に「美味い! 不味い?」ではなく、美味いのは、自分の好みの味だった!です(^^) う~~ん....は、好きな味じゃなかった......でないでしょうか?!好み・☆評価は千差万別ですね(^^)



一軒目のぎょうざ大学からの二軒目です。元町のウィンズの近くにあります。商店街の大きな通りではなく、裏の通りになります。非常に情報が少なく、またお店の雰囲気も分からず......とりあえず訪問してみる事にしました。時間は正午過ぎ。 先客さまゼロ。ちょっとやっちまった感あり........気を取り直して、とりあえず餃子!!*オーダー品*餃子 二人前*ニラ餃子 二人前*瓶ビール/まずはノーマル餃子が登場!タレはお皿の中で調合されたのが提供されます。*味噌タレではありませんm(__)m 醤油・酢・ラー油ですね。焼き目はパリッとしてます、餡はやや甘味を感じます。たぶんゴマ油で焼いておられると思います・全体にゴマ油で~~す(^_^;) 続いてニラ餃子登場!こちらは......ニラ!ニラ~って感じで家で作った餃子に似てました。そういえば神戸の餃子ってニラが入ってないねんなぁ~と気づく....(^_^;) /店内を見渡してましたら、JRAのポスターやカレンダーが多いです。きっと馬券を買いに来た人達が集まるお店なんでしょうね?ご馳走さまでした(^O^)/

 

※メニュー。この日は「ご飯モノ」は全部売り切れてしまってました!

 

※ジャージャー麺定食というのを頼みたかったんだが、、、それはまたの機会に!

 

※にら餃子&チーズ餃子。ミックス。「ビジュアルバム」思い出すわw

 

※茄子の御浸しを戴きまんた!!

 

 

◎今月20日で閉店される、御立飯店さんへ行ってみた・・・。

 

※ブドウの種サイトで知った情報。

 

※八宝菜定食を賞味。餃子は食べられず。また来れるかな~?

 

※店内こんな感じ。

 

●御立の「御立飯店」が、、、【姫路の種探偵団】

 

◎加古川 まいど屋食堂でカラアゲなどを食する。

 

 

※肉吸い&カレーライス。ウマウマ♬

 

・ゆとりはりま まいど屋食堂 加古川

からあげ食べ放題の店「から屋」が無くなり、残念と思っていたら、居抜きで定食屋さんがそのあとすぐにオープン。セルフサービスなので入るとまずレジにて商品を注文、会計後、席に着くと料理を持ってきてくれます。席はテーブルとカウンターがあります 好きなところに座りました。メニューはこちら、種類豊富で値段もリーズナブルでいいですね。

定食はからあげ、ご飯、味噌汁、マカロニサラダがついてきました。からあげは揚げたてサクサクで美味しい!自分はもう少し、塩気が欲しかったので、テーブルにおいてある塩を少しかけました。

テーブルにはサービスの生卵がおいてあって、卵かけご飯やカレーにかける用など、好きに食べていいように置いてあります。卵かけご飯専用の醤油までおいてます いろいろと有り難い。ただ、時間が夕方のピーク前だったからかちょっとご飯自体は固めの感じはあり、少し残念でしたがいけないことはない。

◎加古川の「なか卯」で、竹内義和アニキが薦めてたカツカレーを注文す。

 

※先に注文ボタンを押してからお金を投入するタイプの食券自販機を置いているくせに、両替ができないのはどういうことか?猛省を促したい・・・。

 

◎ラストはランチタイムに入った、みこはち屋さん!

 

※みこはち定食!ヤキトリ&鳥すきの強力タッグ!

 

 

※締めは、「絶品親子丼」の出来上がり!新メニューに加えればいいのに。。。

☆「プロレス今日は何の日」と「漱石と明治人のことば」をお届け~♪

(詳細は、1月1日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日10月16日(水)の、「プロレス記念日」は~?
年度・団体【1997年・WWF/みちのく】
カテゴリー【事件】
見出し:『TAKAみちのくがWWFと契約』
『解説:当初はサスケと契約するはずだったが、その相手を務めたTAKAに白羽の矢が。サスケは日米を行き来する条件での契約を却下されるも自ら「ビンスにNOと言った男」と言い張った。』

◎関連書籍、ニュース記事、試合動画、など。

●0.10.1997 Tokyo Ryogoku TAKA Michinoku vs The Great Sasuke

 

・THE RANKERS WWEで活躍した日本人レスラー、ランキングトップ5!

2位:TAKAみちのく

TAKAみちのくは、みちのくプロレスで活躍後にWWEと契約した日本人プロレスラーである。

みちのくプロレス所属時に、新日本プロレスで開催されたスーパーJカップに参戦。その際に披露した「プランチャ」をみて、長州力が「アイツは宇宙人か?」とつぶやいたことから、「宇宙人」のニックネームがついている。
※通常のプランチャ(トップロープに飛び乗りリング場外に飛ぶ技)はロープを両手で掴んで飛び乗るのに対し、TAKAみちのくはリングの上で加速をつけて、そのまま両足でトップロープに飛び乗る。

みちのくプロレスを退団後、メキシコやアメリカでプロレス活動中にWWEと契約。体が大きくパワーファイターが中心のWWEの中で、スピード感を活かしたレスリングを披露し活躍した。また、日本人レスラーのフナキとのタッグチーム・カイエンタイでは、TAKAみちのく自身が英語が出来ないのを逆手にとり「声と口とが全然合っていない」映画の吹き替えのようなマイクパフォーマンスを行い、こちらもファンに受けていた。/WWF世界ライトヘビー級のタイトルを獲得しており、トリプルHが保持するWWE世界ヘビー級王座に挑戦したこともある。日本人レスラーとして初めて、WWEの年に一度行われる最大祭典であるレッスルマニアに、シングルで初出場している。2000年にプエルトリコにプロレスラー学校であるKAIENTAI DOJOを設立。2002年にWWEを退団し、千葉でKAIENTAI DOJOをプロレス団体として旗揚げする。現在は、KAIENTAI DOJO所属として、新日本プロレスやプロレスリング・ノアに参戦中。WWEからは再契約を目的として、今でも小切手が送られていることを、本人が発言しており、WWEからの退団は自らの選択だったと思われる。

 

☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・

漱石と明治人のことば目次

【今日のことば】「当時は一般の人々は時計を持たなかったし、また時間の厳守ということもなかったのである。二時に招かれたとしても、一時に行くこともあり、三時になることもあり、もっとおそく出かける場合もよくある」――アーネスト・サトウ

【解説】

アーネスト・サトウは、幕末から明治にかけて日本に滞在したイギリスの外交官。すぐれた日本学者でもあり、日本の言語や文化にかかわる多くの著作も残している。

 

掲出のことばは、維新前後の日本滞在時の体験や見聞を綴った回想録『一外交官の見た明治維新』(坂田精一訳)の中に書かれた一節。今でこそ、時間に几帳面な印象のある日本人と日本社会だが、当時はかなりルーズで、ある意味、大らかだったことがわかる。

 

アーネスト・サトウは、1843年(天保14年)ロンドンの生まれ。少年時代から成績優秀で、わずか16歳でロンドンのユニバーシティ・カレッジの入学試験に合格した。しかも、2年間で所定の課程を終了してしまう。両親はこの息子を、さらにケンブリッジ大で学ばせようと考えていた。ところが、一冊の本との出会いがアーネストの運命を変えてしまう。ある日、彼の兄が図書館から日本のことを書いたロマンチックな香りのする本を借りてきた。ローレンス・オリファントの手になる絵草紙ふうの書物で、そこには「その国では、空がいつも青く、太陽が絶え間なくかがやいている」などと書かれていた。

 

これを読んだアーネストは、たちまち「お伽の国・日本」への空想にとりつかれてしまう。ロンドンの冬は長く暗いし、加えて当時は産業革命の副作用で大気汚染がひどく街がくすんでいる。絶え間なく輝く太陽と青い空に、惹きつけられるのも無理のないところだった。のみならず、その本には、「バラ色の唇と黒い瞳の、しとやかな乙女たちにかしずかれることだけが男の勤めである」といった記述さえ読めたのである。青年の心が、ときめくまいことか。

 

18歳のアーネストは外務省の通訳生の募集に応じて、試験に合格。本人の希望通り、日本駐在を命じられた。横浜港に到着したのは、1862年9月8日(文久2年8月14日)だった。その6日後、生麦事件が起こる。武蔵国橘樹郡生麦村(現・横浜市鶴見区生麦)付近で、薩摩藩主の父で藩政の最高指導者である島津久光の行列に騎馬のまま乱入したイギリス人商人らが、薩摩藩士によって殺傷されたのだ。このあと、英国戦艦と薩摩藩が鹿児島湾で砲火を交える薩英戦争、四国連合艦隊と長州藩の間に繰り広げられた下関戦争なども勃発。尊皇攘夷や倒幕運動がいよいよ熱を帯び、外国勢力も複雑にからみながら時代は明治維新へと突き進んでいくのである。

 

アーネスト・サトウはこの間、通訳官から書記官となり、オールコック公使やパークス公使の秘書として活躍。明治維新の達成を見届けて1869年2月24日(明治2年1月14日)、いったんイギリスへ帰国する。目まぐるしく揺れ動いた日本における、6年半ほどの滞在であった。その後も、アーネストは二度にわたって来日、書記官や公使として働いた。結局、トータルでは25年もの歳月を日本で過ごしている。

・細かすぎて伝わらない関連動画など

(「アーネスト・サトウ」「維新」で動画検索してみました!!)

●幕末偉人デレッチョ #110 アーネスト・サトウ

 

・amazon 「一外交官の見た明治維新」 A diplomat in Japan アーネスト・サトウ (著)

■内容(「MARC」データベースより)

日本にあこがれ、日本語通訳官として来日したアーネスト・サトウ。歴史的人物の素顔、激変する政治体制の裏側、当時の日本の風物など、若き外交官の眼に映った、明治日本誕生期の激動の日々。本文は英語。

■登録情報

  • ペーパーバック: 424ページ
  • 出版社: ICGミューズ出版; New版 (2001/03)
  • 言語: 英語
  • ISBN-10: 4925080288
  • ISBN-13: 978-4925080286
  • 発売日: 2001/03
  • 商品パッケージの寸法: 11.2 x 2.3 x 18.1 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 3.6   
■カスタマーレビュー

Logicien Escoffier 5つ星のうち5.0 「外側から見た明治維新」 2015年7月11日

・・・明治維新を日本を良く知る外国人の目から見るのは、とてもためになります。特に、アーネスト・サトウと、西郷隆盛が、何度もあって会合しているのを知るのは面白い。薩摩と、英国のそれぞれの思惑があって動いている訳ですが、決して、国内の力だけで倒幕がなった訳ではないことが良くわかります。

 

ジョニーAのつぶやき:御立飯店へは、ラストもう1回ぐらい行けるか行けないか・・・微妙なところ。