今とても描きたい風景なんて無い

最近のアタシは焼き上がる前の陶器のような不安定さ

美しい模様を描かれるのには

表面がざらつきすぎている

上薬をください

なまめかしいあの

薄ピンク色の上薬を

そうやって覆い被していくのですね

生傷の耐えないこの両手や

簡単に崩れる柔らかい笑顔も

数奇な運命をたどっているなんて思うの?

きっと最初から

きっと最初から。

今描きたい風景なんて無いって

それってどうしてもって思うの。

いつまでもこの繰り替えしなんてさ、

って、

あぁあのきれいな子が笑う。

髪をほどきたいの。

手を握っていたい。

体をつなぎ止めていたい。

そうやって

果てしのない要求の日々が

こうやってまた舫綱をつけたまま漂っていく。


あーあ、あの人はなんで私のこと嫌いなんだろぅって思ったり

あの人は何で私を好きなんだろぅって思ったり

苦手なことは苦手として

どうにか幸せになれるように

探しているのは?

なんのために毎日きれいに装ってね

なんのために毎日精一杯

背筋を伸ばして大股で街を駆けていくのかしら

トレンチコートのポケットに手を突っ込んでね

あぁ、あの、しっとりとした、あの音楽はいったいどこへ行ってしまったんだろう



じゃらじゃらじゃらっ


と音を立てて、彼女のお気に入りのネックレスが夜の堅い鉄の階段に落ちたのは午前1時

彼女が制服を着替えてそのカフェの裏口から外へ出たとき、

例のあの男の子は白い細長い車の中でタバコを吸っていた。


鉄階段の一番上に立ちつくしているきれいな巻髪の彼女は

落ちたネックレスにちらりと目をやってから、その車を見つめた。

何もない一日なんて無い。

今日つまらなそうに新聞を読んでいたあの紳士も、

コーヒーカップに口紅をべったりと残していったあの女性も、

今頃は誰かとキスをしているのかもしれないな、と彼女は考えた。


これから華やかな朝までの時間を過ごしても良いかな、と

彼女は考えた。


そしてきれいな膝を曲げてネックレスを拾って、

階段を落ちるように下りていった。

何かが胸をうめつくす

命さえ大切さを失っていく

時間が涙のように流れ続ける

鼓動のようにとぎれる


不快な想像が視界をふさぐ

そんな日々に泳ぐ魚は

深海でもなく浅瀬でもなく

中途半端な薄暗い

外敵の多い水の中を

無防備なスカートを揺らして 命にウィンクを送る

きっと、きっと、

私のことを知っている人なんて居やしない。

だって、だって、

こんな空気の中

片手ハンドルで風を切っていく私を

月を見送った私を

ずっと昔に死んだ妹を思う私を

苦しんで苦しんで死ぬんだろう私のことをね、

そっとでなく

力強く半ば強引に

奪っていってくれる人なんて居ないのと同じように。

苦い飴を口に含んだまま

傘を差してあの建物の陰にしゃがみ込んでいた私にとって

あなたの居ない世界には陰も光もないんだもの。

だから匂いだってないし、

春風に揺れていたルピナスだって

私が首を絞めたあの子犬も

どこかに残してきてしまったビニールのガラスの靴も

遠い遠い記憶の底でいつまでだってこびりついている。

そう、私はね、

私を脅かしたあの

黒と茶色のつややかな子犬のね、

首を締めて、

もう追っかけてこないようにしてやろうと思ったのよ。

だってお兄ちゃんが泣きわめく私を残して家に帰ってしまったんだもの。

私はこの子犬に足を食いちぎられるって、本気で思ったの。

私はあの電信柱の足下に咲いていたルピナスが本当に欲しかったし、

あの紫とピンクの小さな赤子の耳たぶがたくさんついたようなあの花を、

根本から引きちぎってやりたかったのよ本当はね。

でもそんな事もできなくて、

靴の脱げた裸足の足で私は砂利道を駆けていった。

綿の柔らかなワンピースを体にひっつけて

力の限り走っていたの。


「人間なんて、人間が思っているよりももっともっと物質的に汚いものなのよね」


と、私は私の中に住むカラスに尋ねてみる。


「そうさ、でもそれを知っている君は人間よりももっともっと人間的とも言えるね。」


そう、私の中に住むカラスは答えた。

ずっと昔にさ、

ずっと昔に

死んだ女のことを考えていた。

すべて消えて砂漠の砂になるって誰かが言ってた。

高く撓るギターの音色

景色を濁らすタバコの煙

つま先でリズムをとって、

ねぇ、リズムをとって。

そしてこの終わりのない夜に区切りをつけて。

それは山吹色の絵だった。

僕は箒を持って立っている。穏やかな午後だった。夏の暖かな風がさざ波を立てるように廊下を渡っていく。

山吹色の絵は、不思議な光景を描いていた。ライオンにくるまれた檻の中に、小さな毒虫が閉じこめられている。

山吹色は、その大きなふわふわしたライオンのたてがみだ。

その美術館は大通りからすこし路地を入ったところにある、細長い建物だった。入り口と、一番奥の勝手口を開けると、そこはまるで道の延長のトンネルのようになる。

山吹色の絵はそのちょうど中心だった。

僕はかぶっていたくたびれた帽子を取って、裾の汚れを払ってから、もういちど絵に目をやった。

絵は、山吹色のたてがみと、それを埋めるように押し込めている大量の銀杏の葉が大半を占めている。その細かく刻まれた明暗が、まるでその絵自体が採光を放っているかのように見せた。

僕はこの絵を知らなかった。

シュルレアリスムというやつかもしれないな、と僕は思った。ただ、シュルレアリスムにしては線が曖昧すぎる。画面がぼやけているのだ。

ダリやマグリットの超現実といわれる絵画は、一つ一つが迫りくるようにリアリスティックに描かれており、それが見る側に漠然とした不安と興奮を与えるものだ。

ところがこの絵は、超現実というよりは、もっとファンタジックだ。絵本の挿絵であったなら、もっとしっくりくるだろうな、と僕は思った。こんな仰々しく額に入れて壁に掛けるべきではないのだ。

渦巻くような銀杏。暖かそうななめらかな毛皮に包まれたライオンの体は柔らかで、中の檻は、締め付けられていると言うより抱かれているように見える。

それにしてもこの中にいる毒虫だ。そうだ、これだけが現実なのだ。

うごめく大量の足。ぬめぬめとした甲冑。細く俊敏な触覚に、曇った目。

僕はこれこそがグレゴール・ザムザなのだろうと思った。

グレゴールを、ライオンがやさしく抱いている。

ライオンはなんなのだろう。あの、やさしい妹だろうか。あの娘の名前は何だっけ。




何度だって思うこと

私は寂しがり

だれだって求めすぎたら逃げていくってことを学んで

人の心にはいろんな部屋があるんだって学んで

そばにいなければどんどん変わっていくんだってことを学んで

そして生きていくすべだけが曖昧になった


心までぜんぶ愛して