昨日、息子と「欲と幸せ」について話しました。
キッカケは、息子がいただいてきた誕生日プレゼント。
息子は「好きなプレゼントは何?」と質問され、
おもちゃの拳銃を希望しました。

拳銃が良いか悪いかは問題ではありません。
私は息子に「どうして拳銃欲しかったの?」と尋ねました。
すると、「○○くんが持ってるから」と答えました。
私は本質的な質問をしました。
「人がもっているものを手に入れた先に幸せになれるのかな?」
「満足できる時は来るのかな?」
息子は悩み、涙ぐみ、黙りこくってしまいました。
人が持っているものを手に入れたい”欲”の背景となる目的は欠乏感です。
手に入れることで、欠乏感が満たされれば、また新たなもの、その次、その次、、、。
目的が『欠乏を埋める』ことである限り、幸せになれません。
目的を『幸せになる』こととしたとき、他の誰かが持っているものではなく、自分の心が本来欲しているものに目が向きます。
幸せはどこにあるのでしょうか?
幸せとは形にならないもので、身の回りに幸せの種がいっぱい転がっていることに氣づきます。
そして、欲しいものの意味付けが周りの幸せに繋がります。
最初にも言いましたが、息子が拳銃を希望することは問題ありません。
全てのものはプラスとマイナスの側面があるからです。
子育てって、本当に日々大切な氣づきの連続ですね。
子どもはとっても素敵な存在です。
常識に縛られず、幸せになることに正直。
しかし、小学校や地域というコミュニティの中で大人になるにつれ、
いつの間にか「皆がこうだから。」という常識のルールが、その感情エネルギーを抑えたり、方向性を間違えたりさせてしまうんですよね。
すると、自分自身の本心に正直な観念を忘れてしまう。
子育てを通して価値観や方向性について発問することで、
彼だけでなく、私も行動の背景にある観念に向き合えています。
素敵な氣付きをくれる息子にいつも感謝しています。
ありがとう。
みんなで成幸していこうね。
キッカケは、息子がいただいてきた誕生日プレゼント。
息子は「好きなプレゼントは何?」と質問され、
おもちゃの拳銃を希望しました。

拳銃が良いか悪いかは問題ではありません。
私は息子に「どうして拳銃欲しかったの?」と尋ねました。
すると、「○○くんが持ってるから」と答えました。
私は本質的な質問をしました。
「人がもっているものを手に入れた先に幸せになれるのかな?」
「満足できる時は来るのかな?」
息子は悩み、涙ぐみ、黙りこくってしまいました。
人が持っているものを手に入れたい”欲”の背景となる目的は欠乏感です。
手に入れることで、欠乏感が満たされれば、また新たなもの、その次、その次、、、。
目的が『欠乏を埋める』ことである限り、幸せになれません。
目的を『幸せになる』こととしたとき、他の誰かが持っているものではなく、自分の心が本来欲しているものに目が向きます。
幸せはどこにあるのでしょうか?
幸せとは形にならないもので、身の回りに幸せの種がいっぱい転がっていることに氣づきます。
そして、欲しいものの意味付けが周りの幸せに繋がります。
最初にも言いましたが、息子が拳銃を希望することは問題ありません。
全てのものはプラスとマイナスの側面があるからです。
子育てって、本当に日々大切な氣づきの連続ですね。
子どもはとっても素敵な存在です。
常識に縛られず、幸せになることに正直。
しかし、小学校や地域というコミュニティの中で大人になるにつれ、
いつの間にか「皆がこうだから。」という常識のルールが、その感情エネルギーを抑えたり、方向性を間違えたりさせてしまうんですよね。
すると、自分自身の本心に正直な観念を忘れてしまう。
子育てを通して価値観や方向性について発問することで、
彼だけでなく、私も行動の背景にある観念に向き合えています。
素敵な氣付きをくれる息子にいつも感謝しています。
ありがとう。
みんなで成幸していこうね。