【文系理系論】文系は理系よりも努力が成果に出やすい?結局地頭なのか? | 栗山家の日常

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※追記:コメント欄も盛り上がっているのでageときま~す。

一見さんも歓迎ですのでワイワイ語っていってくださ~い。

 

 

みんな大好き重本先生ブログ。

今日も興味深い記事をありがとうございます。

理系最上位層は英語も伸びるのが速くていやンなっちゃうよね…ってお話。

 

難関大受験における理系という鬼の棲家においては「その筋の方」が特に数学・物理・化学が一般水準よりも伸びるのが速く、また英語も一般水準よりは少ない知識でふつうに“当てて”くるので(つまり英語すらも伸びるのが速い・・)、自分はそうでないけど理系という場合はそこは完全にデスバレー以外のなにものでもないので、文系以上に「自習週間無=ゲームオーバー」となります。

 

 

この重本先生の話に関連して、最近ブロ友さんにご紹介いただいて読み始めたブログさんの「地頭論シリーズ」がリンクして、「ああ!そういうことか!」と膝を打ったので皆様にもシェアします。

シリーズ2本目と3本目の記事から引用させていただきます。

 

ついでに「努力信仰」についても考察しておきます。

 

いわゆる「理系職」をやっている人には「努力信仰の信者」はほとんどいない気がします。大学に入って以降扱う自然科学の世界に、理解しようと思っても理解が及ばない領域があることを分かっているからだと思います。

自然現象をモデル化して解釈・理解する学問ですが、必ずしも人間が理解しやすいようにこの世界が構成されているわけではありません。

中学高校で「自分は数理系が得意」だと思って大学に入ったら、数理系の世界には広大な「自分には理解できない領域」があることを知り、「努力すればできる」などという寝言は言わなくなります。

 

これに対し、いわゆる「文系」には「努力信仰」の「信者」が少なからずいます。人文系の学問や資格試験は「人間がやっていること・やってきたこと」「人間が作ったルール」をトレースするものなので、そもそも人間が理解しやすいようにできています。言い換えれば、この分野は「才能が足りなくても、手数をかけさえすれば理解できる領域が広い」のです。

その為、この分野では「才能が足りなくても、努力して(手数をかけて)試験の合格を勝ち取った」という体験がやりやすく、そこから「自分はやったらから成果が出た⇒努力すれば何でもできる」という論理の飛躍がおこり、「努力信仰」が発生するのではないかと思います。

 

 

 

「抽象的な概念を扱うこと」が苦手でも、中学範囲の理科や高1くらいの数学までは、パターン学習で「型」を使いこなすことで「誤魔化し」が効きます。

しかし、数学は高2の三角関数や微積分のあたり、化学のmolの概念や状態方程式、物理は初っ端(運動方程式)から、パターン学習による「型」使いでは捌ききれなくなって成績が沈没していく、そんな感じなのかなと思います。

 

逆に数理系に秀でた人間は、「抽象化された概念の本質を理解し、具体的な事象に適用する」ということをずっと変わらずにやっているだけなのですが、学年が進むにつれて「周りの人間が何故かできなくなっていく」感覚だと思います。

 

「地頭シャッフル」というよりは、「地頭ドロップアウト」と表現する方が正しいのかもしれません。

 

 

文系科目と言われる教科:国語、英語、社会のいずれも「人間のやっていることを理解する」分野であり、数理系の科目に比べれば「具体的な事象」を扱うので、基本的にはやった量と成果に正の相関があります。

ただし「新しいことを学習する能力」は個人差が大変大きいので、この学習能力の差は、先取り教育を受けて先行していた「凡」な生徒が、後発の学習能力の高い生徒に追い抜かれていく、という現象に繋がります。

 

 

(今回重本先生の話題につながると私が思った、文系・理系に関するところだけ引用させていただきましたが、リンク先で全文お読みくださいね、めちゃくちゃ面白いので)

 

普段から重本先生のは繰り返し「理系は鬼の棲家だから文理選択は慎重にするんやで、悪いこと言わんから…」って書いてらして耳タコな読者は私だけではないわけですけども、今日ロースかつさんの記事を読んでピコーンとつながりました。

 

理系科目は抽象理解度つまり地頭や理系脳要素が高くないとレベル上げがしづらいが、文系科目は具体的な事象を扱うので、量と成果に相関があり、努力が結果につながりやすい。

 

地頭や理系脳が残念ながらそこまでではない子が理系選択しても、努力と成果はイコールではなく、才能のある子が飄々と無双する世界でフルボッコにされがち…それを見るのはしのびない…。

 

文系のが努力が成果に結びつきやすいから、文系のが幸せになれる可能性もあるんやで?よう考えや?

 

…と、そういうことなのかなと。

 

 

 

反感買いそうだから、リアルでは絶対に言えないけどネットだから書くけども、学年が進むにつれて「周りの人間が何故かできなくなっていく」「地頭ドロップアウト」現象、長男周辺でも観測しています。

長男も「中学時代は結構上位でできてたのに、高校以降それほどでもなくなる子が増えた…なんでだろう」とか「みんな数学脱落していく…普通にやればできるようになるのに…なぜわからないのかわからない…」とか、煽ってるわけじゃなくて本当に素朴な疑問として真顔で言うわけですよ。

お、お前感じ悪いからそれ外で絶対言うなよ?と釘さしてますが…。

 

いろいろと腑に落ちました。

ロースかつさん、興味深い考察記事をありがとうございました。