名著の再読
1993年出版『ポスト資本主義社会』
著者 P.F.ドラッカー
とても1993年に出版されたものとは思えないほど、今の時代にも意味のある本だ。
ドラッカーは、本書において、現代社会がこれまでの資本主義社会から根本的に転換したという認識のもと、その特質と課題を包括的にまとめている。
1. 社会の基本資源の転換:「知識社会」の到来
ドラッカーが最も重視するのは、社会の基盤となる資源が「資本」や「労働」から「知識」へと完全に移行した点。
・知識が最重要資源: 知識、特に専門知識こそが、経済における価値を生み出し、競争力を決定づける最大の要因となる。
・「知識社会」への変遷: 資本主義の後の社会、すなわち「ポスト資本主義社会」の先に到来する社会は「知識社会」であり、知識こそが富を生む基盤となる。
・知識労働者の台頭: 知識を活用して働く人々、「知識労働者(ナレッジ・ワーカー)」が社会の主役となり、彼らの生産性の向上が最大の課題となる。
2. 組織社会とマネジメントの変革
知識を効率的に活用するため、社会の重心は「組織」に移り、組織のあり方とマネジメントに大きな変革が求められる。
・「組織社会」の成立: 知識は専門化されており、それ単独では成果を生まない。そのため、知識労働者を集め、共通の目的に向かって協働させる「組織」が、社会の中心的機関となる。
・責任と貢献: 知識労働者が自らの仕事について最もよく知っているため、トップダウンの管理ではなく、目標・貢献に基づいて自ら責任を負う「責任型組織」への転換が必要。
・目的・使命の重要性: 組織の構成員が、その目的や使命を明確に把握していないと、知識は効果的に活用されず、成果があがらない。
3. 政治・国際関係の変化
社会の転換は、政治や国際社会にも大きな影響を与えると指摘する。
・国民国家の変質: 知識や情報の流れが国境を越えることで、国民国家の役割や権力は変質し、その基盤が侵食される。
・「ばらまき国家」への警鐘: 歳出が「票を買う」手段となり、国民の金で票を買う行為が市民性の概念を否定するとして、「租税国家」「ばらまき国家」に陥る危険性を警告。
・イデオロギーの終焉: ソ連の崩壊により、資本主義対社会主義というイデオロギーによる二項対立の時代が終わりを告げ、新たな社会の枠組みが求められることになる。
☆国民国家
ドラッカーは、国民国家が衰退期に入る中で、その権力を維持するための手段として財政を用いるようになった結果、この二つの形態が生まれたと考える。
1. 租税国家(Tax State)
「租税国家」は、徴税側の視点から見た国民国家の病理を表す。
・定義: 歳出ありきで予算が組まれ、徴税に節度がなく、国民の負担が増大する状態。
・病理: 徴税権を最大限に行使して、国民から富を吸い上げることに重点が置かれる。
2. ばらまき国家(Welfare State / Megastate)
「ばらまき国家」は、歳出側の視点から見た国民国家の病理、特に政治的な腐敗を表す。
・定義: 歳出(社会保障、補助金など)が、「票を買う」ための手段として利用され、国民の自律性(市民性)が否定される状態。ドラッカーはこれを「民主主義の否定」とまで批判する。
・病理: 国民が自ら社会に貢献する責任を負う代わりに、国家からの給付を受ける「依存者」となってしまい、市民性(Citizenship)が失われることが最大の問題点。
☆ 両者の関係性
租税国家が「際限のない徴税」という手段を提供する一方で、ばらまき国家がその税収を「票を買うための歳出」という目的に使うため、両者はコインの裏表のように機能する。
国民国家が知識社会への転換期において、その衰退を食い止めようと過度に権力を行使した結果、この「租税国家化」と「ばらまき国家化」という末期的な病理に至った、というのがドラッカーの主張。
まさしく、今現代は、国民国家の衰退の時代に入っている。
☆国家の役割の限定化
知識社会における国家政府の役割は、従来の広範な統治から、より限定された特定の機能の遂行へと変化する。
・インフラ管理: 電力や運輸などの公益事業の事業主体としての役割。
・協働の円滑化: 非営利の自発的な協働作業(知識労働者が主導する新しい社会活動)を円滑に管理運営する仕組みを提供すること。
・過去の負債清算: これまでの時代に積み重ねられた莫大な過去債務の清算を主な任務とすべきである。
総じて、ドラッカーはポスト資本主義社会において、国民国家は万能な統治主体としての地位を失い、特定の重要な機能に特化する限定的な役割を担うべきである、という見解を持っている。
又、ドラッカーにとって「市民性(Citizenship)」は、自由社会を維持し、社会を機能させるために不可欠な要素であり、『ポスト資本主義社会』では、その衰退への強い危機感と、回復の必要性を論じている。
『今日一人ひとりの人間は、投票と納税以外の方法で世の中に影響を与えることも、行動を起こすこともできない。市民性のない社会は空疎である。市民性がなくとも、ナショナリズムは存在しうる。だが、市民性抜きのナショナリズムは、愛国心から排他主義へと堕す。社会に市民性がなければ、責任あるコミットメント、社会を社会として統合するための責任あるコミットメントなどありえない。世の中をよくすることから生ずる満足や誇りもありえない。
社会に市民性がなければ、その政治機関は、国家と呼ぼうが帝国と呼ぼうが権力となるにすぎない。国民を結びつけるものは権力だけとなる。ポスト資本主義社会という資本主義後の急激な変化と危機の時代において政治が機能しうるには、市民性の回復が不可欠である。』
☆市民性の定義と危機
ドラッカーが考える市民性の定義と、それを取り巻く危機は以下の通り。
•市民性の定義: 市民性とは、単なる投票や納税といった行為に留まらず、「国のために貢献する意志、社会のために生きる意志」であり、社会に対する責任あるコミットメントを意味する。
・「国民の金で票を買う」ことの否定: ドラッカーは、国民国家が税収を歳出として「票を買う」ための手段とする「ばらまき国家(Welfare State)」の傾向を厳しく批判。これは、国民が自らの責任で社会を支えるという市民性の基盤を侵食し、市民性の概念そのものの否定であると考えている。
•排他主義への堕落: 市民性のない政治は空虚であり、市民性が失われると、愛国心(ナショナリズム)は排他主義へと容易に堕落し、社会の統合を失うと警鐘を鳴らす。更に、市民性のない政治的単位は、単なる権力の集積にすぎなくなると述べている。
☆ポスト資本主義社会における市民性の回復
ポスト資本主義社会では、知識と組織が社会の中心となるため、市民性の回復は「社会セクター」を通じて行われるべきだと提唱する。
•社会セクター(NPO/非営利組織)の役割:伝統的な政府や企業とは異なる「第三のセクター」、すなわち非営利組織(NPO)が、コミュニティや人間的な変革を目的とするサービスを担う必要性が高まると指摘。
•回復の場としての機能:この社会セクターでの自発的な貢献活動を通じて、個人が組織の一員としてではない形で社会に責任を持ち、貢献する機会を持つことが、失われた市民性を回復するための道であると考える。
つまりドラッカーは、知識社会への転換期において、国民一人ひとりが「権力」の対象ではなく、「責任ある貢献者」として行動すること、そしてその行動の場を「社会セクター」に求めることが、自由な社会を維持するための鍵であると主張している。
1993年出版の本書において、ドラッカーが「社会セクター」について記述していることは驚きだった。
そして、「市民性」という概念について、ある意味では未来的な新鮮味を感じる。