職人のパパ~長い闘病生活のはじまり
その日、家に帰ると私の家には珍しく、お店が閉まっていて鍵を開けて入る事にすると戸が外れた。
なんてついていないのだろう。
この後に起こる、もっとついていないことを知ることのない私は「もーお誰もいないからこんな目にあっているありえない」とぐちっていると、家の電話が鳴り響きました。
母から「大変なことになったのすぐに、あの救急病院に来て」それだけ告げられて電話が切れました。
戸の外れたのもそのままに、わけもわからず、救急病院にいってみると、父が病院のベットの上でちょこんと座って、まるでいたずらっ子が悪さをしてお母さんに怒られるのをびくびくしているようなあり方で、父は何も言いませんでしたが父の口からは「やっちゃった」と私には聞こえて来ました。
これが父と私の長い闘病生活のはじまりとなりました。
忘れてはいけないのがこの闘病生活の中で母が家族の生活を下支えしてくれて、私たちの生活は成り立っていました。
父が行った救急病院は、近所でも評判が悪く、うわさでは、「あの病院に行く位なら病院に行かないほうがよい」「間違って殺されるかも」とまで言われるほどでした。
その時、父を見て私の頭によぎったことは転院させようでした。
父はすでに私が行く前に簡単な検査を済ませていて、私が父の責任者として病院の先生の話を聞くことになりました。
先生の話は、「あなたのお父さんは、末期の直腸がんです。肛門から指を入れると第二関節くらい入った所に癌があり、あまりに肛門に近いことと大きくなっていることを考えると手術することは難しい、ただ腸閉塞になっていて腸がボロボロで予後の生活ためにストマをつける手術をする必要がありその手術をここでやります」とのことでした。
父の病気は知っていたけど、突然病院に呼び出され「あなたのお父さんは癌です」それも末期がんで治らない。治らないけど生きていくための手術をする必要があり、そのために1週間検査して、1週間後に手術します。といわれても何がなんだかわからないし、父にはもちろん母にもなんと説明していいかわからず、結局自分だけでこの話を聞いて誰にも何も言えませんでした。
そして、私が思ったことは、「この病院で大丈夫なのだろうか。」でした。
私がこの病院で予後のための手術をしてもらおうと決めた理由は、父の最初の問診してくれた先生が大学病院の救命センターの先生で、検査の結果を話してもらったときに先生から「大学病院から救命センターの教授が来て手術します。そして、他の病院に行きたいと考えているようですが、どこの病院に行っても同じですよ。また検査することを考えると、お父さん体力が心配です。それでもと考えるなら他の病院に行ってもかまいませんよ」といってもらえたとき、この先生に任せようと思いました。
手術は教授が施術しましたが、それまでのこの救急病院の当直の先生の質は本当に悪く、父は手術直前に膀胱が機能しなくなっていて、膀胱が破裂する寸前だったことすら気づきませんでした。
手術の前に膀胱の異変に気づいてくれたのもこの大学病院の救命センターの先生でした。
手術には父の友人や父親の兄弟などが来てくれて、一緒に手術を見守ってくれました。ただ、父の詳しい病状を皆さんに伝え切れませんでした。
未熟だった私は、自分ひとりで父の病気を抱えこんでいました。
はじめに 長い闘病生活のはじま 手術の翌日 手術の翌々日 急変 回復 退院 驚異的な回復力
運命を変えたテレビ
なんてついていないのだろう。
この後に起こる、もっとついていないことを知ることのない私は「もーお誰もいないからこんな目にあっているありえない」とぐちっていると、家の電話が鳴り響きました。
母から「大変なことになったのすぐに、あの救急病院に来て」それだけ告げられて電話が切れました。
戸の外れたのもそのままに、わけもわからず、救急病院にいってみると、父が病院のベットの上でちょこんと座って、まるでいたずらっ子が悪さをしてお母さんに怒られるのをびくびくしているようなあり方で、父は何も言いませんでしたが父の口からは「やっちゃった」と私には聞こえて来ました。
これが父と私の長い闘病生活のはじまりとなりました。
忘れてはいけないのがこの闘病生活の中で母が家族の生活を下支えしてくれて、私たちの生活は成り立っていました。
父が行った救急病院は、近所でも評判が悪く、うわさでは、「あの病院に行く位なら病院に行かないほうがよい」「間違って殺されるかも」とまで言われるほどでした。
その時、父を見て私の頭によぎったことは転院させようでした。
父はすでに私が行く前に簡単な検査を済ませていて、私が父の責任者として病院の先生の話を聞くことになりました。
先生の話は、「あなたのお父さんは、末期の直腸がんです。肛門から指を入れると第二関節くらい入った所に癌があり、あまりに肛門に近いことと大きくなっていることを考えると手術することは難しい、ただ腸閉塞になっていて腸がボロボロで予後の生活ためにストマをつける手術をする必要がありその手術をここでやります」とのことでした。
父の病気は知っていたけど、突然病院に呼び出され「あなたのお父さんは癌です」それも末期がんで治らない。治らないけど生きていくための手術をする必要があり、そのために1週間検査して、1週間後に手術します。といわれても何がなんだかわからないし、父にはもちろん母にもなんと説明していいかわからず、結局自分だけでこの話を聞いて誰にも何も言えませんでした。
そして、私が思ったことは、「この病院で大丈夫なのだろうか。」でした。
私がこの病院で予後のための手術をしてもらおうと決めた理由は、父の最初の問診してくれた先生が大学病院の救命センターの先生で、検査の結果を話してもらったときに先生から「大学病院から救命センターの教授が来て手術します。そして、他の病院に行きたいと考えているようですが、どこの病院に行っても同じですよ。また検査することを考えると、お父さん体力が心配です。それでもと考えるなら他の病院に行ってもかまいませんよ」といってもらえたとき、この先生に任せようと思いました。
手術は教授が施術しましたが、それまでのこの救急病院の当直の先生の質は本当に悪く、父は手術直前に膀胱が機能しなくなっていて、膀胱が破裂する寸前だったことすら気づきませんでした。
手術の前に膀胱の異変に気づいてくれたのもこの大学病院の救命センターの先生でした。
手術には父の友人や父親の兄弟などが来てくれて、一緒に手術を見守ってくれました。ただ、父の詳しい病状を皆さんに伝え切れませんでした。
未熟だった私は、自分ひとりで父の病気を抱えこんでいました。
はじめに 長い闘病生活のはじま 手術の翌日 手術の翌々日 急変 回復 退院 驚異的な回復力
運命を変えたテレビ
