息を吹きかえした話


この3連休は友人に誘われ、
アサヒグループ大山山崎山荘美術館に行ってきた。
以前モネ展に行った友人と久しぶりの再会だ。


初夏の緑の風がひんやりと心地よく
美術館は建物も中も本当に美しかった。
今の季節柄、紅や白の睡蓮がきれいに咲いていた。
常設でおいてあったモネのアイリスの絵もよかった。
薄黄緑の輝きがいつまでも目に残る。




(画像はアサヒグループ大山崎山荘美術館)



「ありのままで美しい」



と、いつも自分に言い聞かせるべきだと感じた。
緑の景色も心と技術が詰まった意匠の凝らされた庭や建物も。



自分に対しても、周り、世界に対しても。



ふと自分の好きだった言葉を思い出した。
子どもを生んだときだったか
親と縁を切ったときだったかに見てメモっていた言葉。




天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、
泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり、
石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
捜すに時があり、失うに時があり、保つに時があり、捨てるに時があり、
裂くに時があり、縫うに時があり、黙るに時があり、語るに時があり、
愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある。
働く者はその労することにより、なんの益を得るか。
わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。
神のなされることは皆その時にかなって美しい。





友人は若く美しい。
美しい人が美しい心で、心ない言葉には
「耳を傾けないで」と言ってくれている。
私はそのことがありがたく、本当に身に沁みた。


例の飲み会での話だ。
私は淡々と、大げさにならないよう、
でも正直に話した。

「ババアはまだいいねん、勢いとかその場の空気やケンカとかで言われたならまだしも。
ニヤニヤバカにした笑いで
「え!?まだ言われ慣れてないの?ニヤリ
「もしかしてまだ(!)ババア呼ばわりされるのに免疫なかったの?自分グラサン
とまで歳上のキモいハゲたジジイに言われたのがショックだった」

と。


目をまんまるくして驚く彼女。


「そんな人、まだ令和のこの時代にいるんですか!?信じられない」と。


その後の言葉が上の
「気にしないでください。:さんは見た目も心も十分若いから、むしろそんなやつの言葉、気にしないでいてください」の真摯な言葉だ。



アサヒ系列だけあって、
アサヒの飲み物がそろっており、
シードルをいただいたが、本当に乾いた喉に気持ちよくおいしかった。


見た目も精神も若いから気にしないで、と
久しぶりに同性の若い女性に言われると随分心が楽になった。


旦那に歳のわりにかわいいほうだの、
気にするな、と再三言われても、毎日見てる顔だからなと内心疑心暗鬼になってしまっていたが、
特にお世辞を言う関係でもない友人もそういうからには
本当に気にしないでいいほど、見た目はひどくないのだ。
むしろ鏡をみて言えクソハゲ!と言い返せたら良かったのに。




自分を守ることが異様に下手なのは
生まれと育ちが悪いから仕方ない、と諦めず
どうにか身を守る術を身につけていきたい。
いや、つけられるよう心に鎧を着たいと思う。