愛宕山中納言日記 -445ページ目

新聞では使えない肩書き

昨日、「ユーモアコラムニスト」として仕事を始めたことを書いた。この肩書きはアメリカでは決して珍しいものではなく、新聞に連載を持つ名物コラムニストも少なくない。

ところが、ユーモアコラムニストという肩書きで『朝日新聞』に寄稿しようとしたところ、却下された経験がある。馴染みの無い読者が、いかがわしい人物と思うのを避けるためか。結局、「コラムニスト」を使うことで落ち着いた。

ついでに写真家に撮ってもらった、手に顎を乗せた顔写真もボツである。パスポートに使うような写真は持ち合わせがないので、ちょっと斜めを向いた写真を送付したが、それ以後仕事の依頼が無かったのは何か問題があったせいか。もっともこれは随分と昔の話であるので、今は違うのかもしれない。以下に紹介するのはその時のコラムである。長いが、落ちを楽しんで頂けたら幸いだ。

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スローフード / お父さんも豊かな食卓に

「お父さんがいないから今日はすき焼きよ!」

 陽気なお母さんの声に、子供たちにおじいちゃん、おばあちゃんが笑顔でテーブルに集まってくる。おいしいものを仲間で食べると幸せな気分になるものだ。ただ食卓にはお父さんの姿はないーーー。そんなCMを見てふと思った。今度はお父さんを交えて食事ができたらいいのにと。

 そう考えたのも、先日イタリアのトリノで開かれたスローフードの祭典「サローネ・デル・グスト」に参加したからだろう。今回、イタリアのスローフード協会は、海外の伝統食として日本酒を招待した。その美術に関わった縁で、試飲カウンターに建つ機会に恵まれた。おかげで「共に食べる喜びを分かち合う」というスローフードの精神に触れる幸せな体験をしたのである。

 「ファーストフードを食べない運動」「グルメ食材を時間をかけて食べること」などと誤解されたスローフード。最近は忙しい文明社会を批判する「スロー」な面に注目が集まり、田舎暮らしの進めのイメージも強いようだ。だが本来この運動が目指しているのは、「伝統的な食材や料理を守っていく運動」「味覚の教育」といった活動を通し、職の面から「豊かな生活」を取り戻すことにある。

 世界最大の食の見本市でもある「サローネ・デル・グスト」を訪れた15万人の多くは普通の市民だ。日本酒コーナーは有料にもかかわらず、絶えず混雑していた。それでも彼らは飲んですぐ立ち去ることはしない。出品21銘柄を一つひとつ仲間と批判試合、我々に感想を述べてくる。

 こちらの言葉にうなずいたり驚いたりと、なじみの店にでもいるかのように時間をかけて楽しんでいる。財布の軽いカップルが一つの試飲グラスを分け合う姿もほほえましい。こうしておいしいものを共に味わえば、互いの距離は簡単に縮まり、豊かで幸せな気持ちになるものだ。

 いまでも父親を中心に家族で食卓を囲むイタリアでスローフードは始まった。聞けば大抵の父親は「残すな」「好き嫌いはいうな」程度しか言わないようだ。

 これなら日本のお父さんも「豊かな生活」を始められそうな気がする。えっ、今さらできないって?そんなこと言うなら考えてみて欲しい。家族と楽しく食事をしているお母さんが、どうしてお父さんよりも10年近くも長生きするのかを。

2002年11月30日 朝日新聞 「私の視点」