先日、友人とランチをした時、お義母さんとの事でどうしようか悩んでいるという事でした。
何を悩んでいるのか聞いてみると、
彼女のご主人のお母さんであるお義母さんは、半年前に長年連れ添ったご主人を亡くされました。 とても仲が良かったらしく、夫を失ってしまったことにとても寂しそうで、落ち込んでいるのが可哀そうとのことでした。
寂しさを紛らわせてあげようと、友人は車で30分程のお義母さんの家に毎週末訪れてあげているそうです。
優しいですね。
しかし、最近になって毎週末がそれだけで終わってしまって他に予定が入れられなくて何かと困ってる。との事でした。
よくある話だと思います。
初めは、優しさで寄り添ってあげたいと思い、自分から始めた事ですが、
それが日が経つにつれて
「私が助けてあげなければ」
に心が変化してしまうケースです。
だって、私が行ってあげなかったら義母が余計に悲しんでしまう。
放っておくわけにはいけない。
そんなことをしたら、私が酷い人になってしまう。
この心の在り方で、日々を過ごしているとそれは義務となってしまうので、苦しくなってくるでしょう。
そのうち、義務を緩めようと、あらゆる手段を思いつくかもかもしれません。
- 同居してみたらいいのでは。
- 義母が近くに引っ越して来ればいいのでは。
彼女は、
- 義母の家を綺麗に改築して同居したい。 そうするのが一番いい。
とまで思いが膨らんでいました。
しかし、その案は彼女の家族から反対をされ、どうも現実的ではないようです。
解決させるには、あなたならどうしますか?
私の解決法はこちらです。
まず、自分が一番にどうしたいのか、という事をはっきりさせます。
そして、これだけは嫌、できない、という事もはっきりさせます。
彼女がお義母さんに対してやってあげたい事、できる事は、
お義母さんのところにたまに行く、むしろたまになら行きたい。
お義母さんが飼っている犬にも会いたいから。
とのことでした。
一方でやりたくない事は、
「義母の家を改築しないなら同居したくない、広いけど古いし使い勝手が悪いからきっとストレスがたまる。」
とのことでした。
それでは今は家を改築できないとして、たまに会いに行く事がどうして今出来ないと思っているのでしょう?
「お義母さんが悲しむから。」
悲しむ事がなぜいけないのでしょう?
「悲しんでいる姿を見たくないから。」
という事でした。
悲しむ事は、本当にいけないことなのでしょうか。
悲しみは悲しみたい感情を出し切ってはならないのでしょうか。
悲しみは、現実を受け止める為に必要な事でもあると思います。
起きてしまった出来事は、悲しまずに済んだとしても元には戻りません。
前進する為に、悲しむという事も必要な時はありますよね。
沢山沢山悲しんで泣いて、感情を出したいだけ出し切るとスッキリする事ありませんか?
どちらにしても、お義母さんは、自分でちゃんと前進されているようです。
その証拠に、今お友達と2週間のクルーズ旅行中とのことでした。
自分が『相手を悲しませてはいけない』、と思えば思うほど、
見える現実が『悲しむ人』を目の前に置いています。
悲しんでいる人でも、その人の状態をありのまま受け止めてあげる事で、
『悲しみを乗り越えようとしている人』を目にすることになるでしょう。
友人は、自分の心の在り方を少し変えるだけで、何か特別に行動を変える必要はどこにもなかった事に気が付いたようです。
もし、それでもどうしても『悲しむ人』は助けなければならない、と思うようであれば、何かもっと深い不都合な思い込みがある方かもしれません。
そのような方も、ちゃんと心のニュートラルバランスを取り戻す事ができますので、どうぞお気軽にご相談ください。
=================================
LINE公式アカウント
LINEにご登録でプレゼント
病気や症状を手放す4ステップ冊子
無料相談 LINEでトーク
無料30分ZOOMセッションもLINEから受け付け中
各種無料開催やお知らせ、癒しの情報などをお届けしています。
解除はいつでも自由にできます。
こちらをクリック
=================================
個人セッション詳細はこちら
=================================
ご好評いただいている記事
=================================
最後までお読みいただきありがとうございました。
皆さまの心と身体が健やかでありますように。
にほんブログ村 参加中
ありがとうございます