「一身にして二生を経る」
福沢諭吉が明治維新という激変の中で、自分の体験を二つの人生を経たようなものとして語った言葉です。
この言葉は、私の大好きな言葉ですが、それには二つの意味があります。
ひとつは、百歳を超えて生きる人が大勢いる超長寿の時代、人生120の時代が現実のものになってきているということです。
定年が引き上げられ65歳になったとしても、その後、それと同じだけの年月を生きなければならない宿命みたいなものを、お互いが背負っていくことになるのですよ。
江戸時代に過ごした33年間から、「学問のすすめ」を著した明治時代の33年・・・
66歳で人生を終えた諭吉は時代の大変革によって二生を得たのですが、われわれは長寿ゆえに二生を得ることが必然となったのです。
だからこそ、この二生目をどう生きるかが問われるのです。
もうひとつの意味は、私自身の人生に置き換えて噛みしめている言葉だということです。
端的にいえば、私の人生も62歳を境に激変したのです。
ひょんなことで会社勤めから経営者に転身したのが50歳のとき。
しかし、年収も数倍に増え“0”が一つ増えた生活を謳歌したのもつかの間でした。
年収も数倍に増え"0"が一つ増えた生活を謳歌して順風満帆に見えたビジネスが破綻・・・それまでの蓄財をほとんど失いながらも、やっと平穏無事な生活に戻れたのが62歳のときでした。
今度は“0”を二つ減らした年金生活者となりはしましたが、
家に殆ど居なかった超仕事人間のビジネスと酒、ゴルフの生活から、
ずっと家に居て過ごす楽しさ・心地よさ、それも信頼に足る若き老妻(?)と若き老犬と無二の親友パソコンを相手に・・・
福沢諭吉ほど大それたものではないけれど、私にとってはまさに「一身にして二生を経る」を得た心境なのです。
この後はせめて30年ほど、“0”を二つ三つ増やした生活を楽しく元気に過ごすべく、70歳にして身につけたパソコンの技を生かしつつ、アフィリエイトとやらに挑戦しているという次第です。
――――――――――――――――――――――
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
--------------------------------------------
★ブログランキングに参加しています。
この記事の応援クリックよろしくお願いします!
人気ブログランキングへ
――――――――――――――――――――――