ギターのアベが死んだ2009年は、
忌野清志郎も死んだ年だった。
前の年の2008年には
私は息子を生んでいた。
小さい小さい子供を置き去りにして、
バカみたいに一人いそいそフジロックにいったのだ。
今年だけは行かせろ、と。ひでえ母親だ。
旦那は快く送り出してくれた。
えらいものだ。
苗場の会場入口には
キヨシローモチーフの大きな白い雪だるまがあった気がする。
朝からビールを飲みながらひたすら待った。
The Birthdayの番がきて
チバは多くは語らなかったし
外は気持ちいいねえ、と静かに笑って
その後、僕等の大親友に捧げます、と気持ちよさそうにギターをかき鳴らしていた。
蝶がずっとフラフラ一匹、ステージまわりを飛んでいて
私はずっとそれに見とれていた。
チバユウスケももちろんみていたがなぜか気になって仕方なかった。
カナダとメキシコあたり、何千キロも旅するオオカバマダラは、その年の死んだ者が家族の元に帰ってきた、というらしい。
おおよそ、一番帰りたかった場所に帰ってきた蝶という点で、
さながらステージに
チバユウスケの傍にアベが還ってきたんだな、と一人でおもった。
当時、アベの棺桶はメンバーがかついだと、
誰かが話していたような気がする。
過去動画に
このときのステージがあって驚いた。
今の時代はいつでもこうして記憶の奥も
表面に引っ張りだしてくれるらしい。
そうして二人は
またロックしてるんだろうか。
あのとき二度とミッシェルは見れないんだと打ちひしがれたけど。
父親が死んでも
葬式も行くことなく
涙も出なかった自分が。
崩れ落ちた。
やっぱりロックの支えでどうにか呼吸していた時代があったのは間違いない。
1990年代終わりのフジロックの映像をみた。
ロックは狂気で歓喜で乱舞だと、
今の変に裏声使っていればうまく聞こえるでしょ、とか
いい子な聴衆でもない。
みんな切実にロックしていた、
そうだ、たしかにそうだったと改めて思い出した。
本当に感謝しかない。