平成元年 日本Jフェザー級タイトルマッチ マーク堀越対高橋ナオト | ボクシング・メタボリック

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ボクシングに魅せられて41年。阪神タイガースファン歴40年世界戦初生観戦は1983年西は熊本・福岡・沖縄とおそらく300試合は越えている。海外デラ・ホーヤとトリニダード戦を観に行っただけ。ニューヨークの殿堂はたった2回。現地速報や新聞情報貼り感想書いてます。

$ボクシング・メタボリックリングサイド3列目で観戦しました。試合のたび阿部ジムからチケットを購入してました。本来なら並ぶ必要は無かったのですが1番乗りで並んでいました。すると阿部会長が出てこられて、挨拶をして、「会長ポスターいただけませんか?」と駄目もとで言うと「ポスター?あ、これ?」といって入り口のやつを剥がして「ほい、今日もナオト応援してな」と言ってまた中に入って言ってしまいました。会長はいつもチケットお願いすると、「遠くからありがとうございます。応援よろしくお願いします」と言ってくださり、時に電話の向こうで「おい、ナオト、お前のファンの方だ」と言って突然電話をナオト選手に渡し、話をさせていただいた事もありました。


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これがパンフレットです。

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そしてこのサイン日本Jフェザー級チャンピオンになった高橋ナオトが一番最初にしたサインです。試合後
阿部会長が私と友人を見つけると「ついてこい」と言って控え室に連れて行ってくださいました。記者の質問が終わり「サインいいですか?」と色紙出すと、激闘の後にも関わらずサインしてくださいましたが、「ごめん名前漢字わからない」といわれたので、「ひらがなでも」と言う私の名前フルネームのひらがなで書いてくださり。私に渡そうとした時に「ああもうチャンピオンって書いていいんだといって、日本Jフェザー級チャンピオンと入れてくださいました。この試合は日本タイトルでしたがこの年の年間最高試合となりいまでも語り継がれる名勝負となりました。世界には届きませんでしたが、世界チャンピオンの名前は全員思い出せなくても高橋ナオトはみんな忘れないでしょう。