追悼 フジコ・ヘミングさん | C'est ma vie

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日本を代表するピアニスト、フジコ・ヘミングさんが、4月21日に亡くなられました。

 

享年92歳でした。

 

心からお悔やみ申し上げます。

 

 

ヘミングさんは、ドイツ・ベルリンでお生まれになりました。

 

父親はスウーデン人ゲオルギー・ヘミングさんで、画家、建築家でした。

 

母親は日本人のピアニスト、大月投網子さんです。

 

弟に役者の大月ウルフさんがいます。

 

彼は、2020年に他界しています。

 

 

ヘミングさん一家は5年後、東京へ転居しました。

 

しかし、父親のゲオルギさんが、日本に馴染めず、一人でスウエーデンに帰国します。

 

残された家族は、母親投網子さんのピアノ教室で生活しました。

 

そして、フジコさんも、母親からピアノの手ほどきをうけました。

 

 

フジコさんは、東京芸大を卒業されました。

 

 

16歳の頃、中耳炎により右耳の聴力を失いました。

 

また、この時に左耳の聴力も失ってしまいました。

 

失意の中、ストックホルムに移住し、耳の治療の傍ら、音楽学校の教師の資格を得て、ピアノ教師をしながら欧州各地でコンサート活動を続けました。

 

左耳は40%回復したとのことでした。

 

 

1995年に母親が亡くなり、日本に帰国されました。

 

そして、NHK等マスコミでフジコさんのドキュメントが放映され、一躍脚光を浴びました。

 

デビューCD『奇蹟のカンパネラ』は、30万枚という大ヒットを記録しました。

 

 

2018年に公開された『フジコ・ヘミングの時間』は、大変素晴らしいドキュメント映画です。

 

 

フジコさんの人となり、苦難の生涯が、画面の端端から滲み出ています。

 

素晴らしいドキュメント映画です。

 

 

 

 

私、2018年頃、横浜の日本郵船資料館へ行きました。

 

そこで、驚きの発見をしました。

 

1932年、日本郵船が製作した欧米市場向けのポスターの作者が、父親ゲオルグさんだったのです。

 

 

素晴らしい、デザインのポスターです。

 

まさか、この場所でフジコさんの父親ゲオルグさんの作品に巡り遇えるとは、驚きでした。

 

この発見だけで、日本郵船資料館へ来た甲斐がありました。

 

 

話をフジコさんの演奏に戻します。

 

 

フジコさんは、「ミスタッチ」をしても、何のてらいもなくご自分で認めていました。

 

 

私的に、一流のプロでも「ミスタッチ」をするものだと、大変勇気づけられました。

 

 

ただし、私の考えでは、同じ「ミスタッチ」でも、プロとアマは違うと思っています。

 

 

プロは極力分からないように「ミスタッチ」をする、

 

 

アマは完全に分かってしまう「ミスタッチ」をする、

 

 

ということです。

 

 

ドイツベルリン、流暢なドイツ語、猫好き、飾らない性格、私は大変親近感を覚えていました。

 

 

本当に、寂しい限りです。

 

 

クラシックとジャズと分野は異なりますが、プロの「ミスタッチ」が出来るように、頑張るつもりです。

 

 

フジコさん、安らかにお眠りください。