2024年2月17日雑記 | C'est ma vie

C'est ma vie

毎日平凡でいられることの、非凡さを求めています。

私の生誕記念日から1日が過ぎました。

 

昨日は、食卓には、寿司、キッシュ、牛タン、サラダと並びました。

 

凄い勢いで、食べました。

 

しばらくして、胃の調子が今一おかしくなり、整腸剤を飲み、横になりました。

 

食後のデザートは、今日にお預けとなりました。

 

何しろ、私、幼少のころから、「頭は悪いが、食いじだけは、人並み以上」と、親族一同から褒められていました。

 

 

先日ご紹介した、私と生年月日(1950年2月16日)が、全く同じである、友川カズキさんについて語りたいと思います。

 

まず、友川さんの人となりをご紹介します。

 

 

 

友川カズキ

 

本名:及位 典司(のぞき てんじ)

 

1950年2月16日秋田県生まれ

 

能城工業高校(現秋田県立能代科学技術高校)建築科卒業

 

高校時代はバスケットに明け暮れる

 

卒業後は集団就職で上京、土方として職場を転々とする

 

その頃から、詩作に没頭する(中原中也に憧れる)

 

中也の詩で好きな言葉

 

「ホラホラ、これが僕の骨だ」(在りし日の歌より)である

 

1974年にレコードデビューする(岡林信康に憧れる)

 

鬼気迫る楽曲を生み出す

 

「夜に急ぐ人」は、ちあきなおみに提供する

 

ちあきは、紅白でこの歌を唄い、会場は相当衝撃を受ける

 

また、友川さんは絵の才能もある

 

自他ともに認める大酒飲みである

 

博打も好きで、特に競輪はプロ級の評論家である

 

結婚し、子ども二人授かるが、現在は独居老人である

 

大酒のみで、喧嘩早い、小柄、どちらかと言うと二枚目で、中原中也の生まれ変わりかもしれない

 

交友関係は限定されてはいるが、総じて,一匹狼、変わり者が多い

 

たこ八郎さんとの交友は、胸を打つものがある

 

四人兄弟の下の弟「覚(さとる)」とは心が通じ合ていた

 

その弟は大阪で電車に飛び込み自殺し、31年の生涯を閉じる

 

作家中上健次さんとの交友も胸を打つ

 

中上さんの人柄にほれ込む

 

大島渚さん、深沢七郎さん、画廊の経営者、バーのマダム等との交友、そして永遠の別れ

 

 

 

友川さんは、今でもライブハウスで歌っています。

 

 

ただし、気が向かない時の演奏は、悲惨だそうです。

 

 

とにかく、友川さんと同じ1950年2月16日生まれは、偶然であると同時に、宿命だと思っています。

 

 

やはり、友川さんとは、私、魂のどこかで共鳴しあっている気がするのです。

 

 

何しろ、彼のキャッチフレーズは「どこに出しても恥ずかしい人」なのです。

 

 

 

次回は、友川さんの心酔している詩人中原中也について語ろうと思っています。

 

 

中也は、私にとっても、馴染みの深い、縁のある詩人です。