数日前から、蔵書のモンテーニュの著書を少しずつ読み返しています。
モンテーニュは16世紀ルネッサンス期のフランスの哲学者です。
彼は、1533年にフランスのボルドーにあるモンテーニュ城で生まれ、1592年のモンテーニュ城で亡くなっています。
生まれも、育ちもモンテーニュ城なのです。
そして、父方の曽祖父がこの城を築きました。
裕福な家庭でした。
モンテーニュは法学を学び、法官になりました。
そして、32歳の時に結婚し、6人の娘が生まれました。
しかし、その内5人は成人前に亡くなっています。
彼、35歳の時、父親が亡くなり、モンテーニュ城を相続します。
(モンテーニュ城です)
2年後、法官を辞任し、モンテーニュ城に籠り、「エセー」の執筆を始めます。
「エセー」の意味はWikipediaでは「試み」と紹介されています。
もちろん、それは誤りではありません。
しかし、私的には別の意味、「エッセイ(随筆)」の方が適訳と思っています。
この書は。体系的な哲学書ではありません。
古典からの引用や、自らの体験を元に書かれています。
尚、モンテーニュ城からほど近い所には、ボルドー・モンテーニュ大学があります。
この大学は、2013年まで、ボルドー第3大学という名称でした。
しかし、2014年のボルドー・モンテーニュ大学に名称変更したのです。
私的には、当然といえば、当然で、遅すぎた感もあります。
これからモンテーニュの著書「エセー」全6巻と、
「寝るまえ5分のモンテーニュ」(アントワーヌ・コンパニョン著・白水社)と、
「人類の知的遺産シリーズ29・モンテーニュ」(講談社)をじっくり、しかし、飛ばしながら、読了後に、この拙ブログにて、私信を交えて紹介させていただきます。
早くとも1か月後になるかと思いますが、焦らず気の向くままに講読するつもりです。
最後に私の大好きな格言をご紹介します。
「哲学をきわめるとは死ぬことを学ぶこと」
(「エセー」第1巻、第20章のキケロの言葉から引用)
正に、これに尽きます。
尚、余談ですが、この日本語「哲学」と言う言葉は、英語の「フィロソフィー」の訳語として、
我が学園の初代校長、西周先生が生み出された言葉です。
私、5年前に津和野を訪れた際、西先生の生家も訪れました。
近くにある森鴎外の生家に比べて地味で、知名度はありませんが、私にとっては、かけがえのない人物です。