バリューチェーンの構造改革により強いビジネスモデルを構築するのはクライアントの仕事で、コンサルはバリューチェーンの在り方や目指すビジネスモデルのデザイン、そしてそのビジネスモデルにより実現できることを明示することが仕事になる。

しかし、コンサルが提示した案に納得してくれても、コンサルがイメージした通りになることの方が少ない。社内調整という名の元、抵抗勢力に反対されどうしても型崩れしてしまう。では、実行支援ということで参画するのだが、最終意思決定者はクライアントであるため、型どおりに進めることはやはり難しい。

意思決定の精度を高める助言を提供することがコンサルの役割とは承知しているが、それで成果が出なければ結局は無価値だ。

意思決定も含んだリスクを張った経営機能の代行をコンサルが担うことは、出来ないかとその可能性を模索する。出資だと当事者になり、客観性が損なわれる。出向だとリスクヘッジでコミットメントに乏しい。となると、成功報酬に行き着く。

コンサルティングフィーは、基本的に人月×労働時間だが、経営機能代行については成功報酬というのもありかもしれない。完全に仮説だが。

但し、経営企画室の代行となるので、コンサルのカウンターパートナーとのコンフリクトが生じてしまう。となると、あまりニーズはないか。夢想。
支援する企業の多くで現場と経営陣の認識GAPが大きいと感じる。どちらかというと経営陣の認識が甘いケースが多い。日本企業の経営陣の多くがポスト団塊世代だ。

彼らは強烈な成功体験を持っており、根拠なき自信にすがりほとんどの業界でゲームのルールが変わっていることを理解せず、景気の悪さを唯一の根拠として何ら有効な手を打てずに逃げ切りを図っているように見える。まるで団塊世代を真似るかのように。

一方で、ゆとり世代だ、やれ草食系だと揶揄される20代だが、生まれてからずっと厳しい環境下で生活してきたためか、危機感知能力が高い。草食系というと活力なく、志も持たず日々つつがなく暮らしているとのイメージが定着しているが、決してそうではなく、厳しい経済環境に対応すべく、リスクを張らず持続的に一定の精神的安定を図る変化対応術を身に付けていると言うのが正しい認識ではなかろうか。

経営陣の課題認識と現場の課題認識を把握することは、戦略策定の初期ステップだが、この認識GAPが著しい。現場層は従来型のモノを売るビジネスからモノ+自社独自のサービスやブランドといった付加価値を売るビジネスへの転換が必要と危機感知力を活かして直感的に感じているのだが、ゲームのルールの変化を頭では理解しつつも経験がないことと、もう少しやり過ごせば逃げ切れるとのモチベーションが働く経営陣は、ルール変更に対する動きに腰が重い。

翻って日本社会全体でも至るところでこういった現象が見受けられる。社会保障然り、国債然り。ほとんどが多数派である引退間近世代の既得権優先である。厄介なことに、企業でも社会でも権力は若手世代に無い。

次世代のへ投資という当たり前の義務がなぜ果たせないのかと引退間近世代に半ば軽蔑すら覚えるプロブレムソルバーだが、彼らに期待できず且つ権力もないため、草食系という生き方を選択した20代というのが現在の社会構造ではないか。

権力をどう移譲するかというのが社会的イシューなのだろうが、引退間近世代の意識が低い以上、権力の奪還という課題設定こそ、むしろ正しい課題設定なのだろう。残念ながら権力の奪還ほど、困難な作業は無いわけであり、短期的な実現を目指すのであれば、武力的でなくとも戦争という選択肢も考慮しなくてはならない。

嘗て明治維新では、若い世代が幕府からの権力奪還のため戦争という選択肢を考慮しつつも、世界的に類を見ない無血開城により平和的権力奪還を果たした。若手世代には、幸いにも手本にすべき歴史がある。そろそろ草食系から脱皮し、企業で社会でも若手世代が台頭し、次世代への投資という当たり前の義務を果たす社会への軌道修正を図るべきではないだろうか。
自分はまだまだ成長途上のはず、と強く意識しているにもかかわらず、ここ数ヶ月学びが少ないと感じる。それだけ経験が蓄積され、引き出しも増えたことで対応力が高まったとポジティブに考えるべきか、それともいつの間にかリスク回避的になっており、新たな領域に挑戦していないとネガティブに考えるべきか。

立場上、全く新しいことをやることは殆どなく、たとえ新しいことでもパターン認識で何かしらアナロジーを利かせて対応しているようだ。それと専門性が高まったがゆえ、その領域の仕事が集中化してきていることも挙げられる。

冷静に分析すると、あまり悲観的に捉える必要はないかもと思う。まだもう少し先ではあるが、不惑も近づきつつあるため、軸が定まりブレなく、冷静に対応できるようになってきているのかとちょっと夢想する。