今の通貨安競争を見て思う。出でよ平成の高橋是清よ、と。
1930年代の日本は浜口雄幸と井上準之助によりデフレ経済下において、固定相場制の設定(円高政策)と金輸出解禁と緊縮財政(デフレ経済の加速)により不況の加速化が進み、いわゆる「おしん」の時代に突入し、経済は大打撃を被った。

この危機を回避したのが高橋是清だ。金輸出解禁を即座に停止し平価の切り下げを実施。引き続いて積極在世により国債を増発。それを日銀に引き受けさせる事で金利上昇も抑えた。その結果、日本経済は急回復。1929年0.5、1930年1.1、1931年0.4だった経済成長率は、高橋が蔵相に就任した1932年は4.4、1933年11.4、1934年8.7となった。

尚、1927年の金融危機時代には金曜日にモラトリアムを発表し、土日の間に片面だけの紙幣を大量発行し、預金の取り付け騒ぎを抑えるという離れ業も成し遂げている。他にもある。日露戦争の戦費調達においては日本がロシアに負けること必至と投資家に判断される中、英国との交渉で付帯条件を付けることなく堂々と交渉を纏め上げた。

因みにあの有名なケインズの「雇用・利子および貨幣の一般理論」が登場する5年前。ケインズの乗数理論よりも早くケインズ経済学を実践しているのである。

実に見事である。列強各国が恐慌にあえぐ中、日本だけが不況を脱出したのである。さらに傾聴に値するのが、インフレの兆候がでるや日銀が引き受けた国債の90%を売却するというインフレ回避策も実施している点だ。

高橋是清は米国在住の少年時代には留学したにもかかわらず奴隷として身売りされた経歴も持つ稀有な英傑だ。

どうだろう。今こそ高橋是清を日本人は見習う時ではないだろうか。切に平成の是清の登場を願う。
ロジックだけではクライアントを説得することはできても、納得させられないコンサルティングの現場。正論すぎるが故の押しつけ感がクライアント側には生じるケースが多い。こうなると双方に不信感が生じ、蓄積し何を言っても総論賛成、各論反対となり、停滞が生じる。

感情の解きほぐしは、誠実になることが一番だと思う。どれだけクライアントのことを支援したいと想っているかを真正面から吐露しつつ、行動で示すことができるか。それが出来ないうちはクライアントを未だ商売相手と捉えているのだろう。そのためには実際に自分で事業を経験する中で学び取ることも必要ではないかと感じる。
あえて言うが”戦略”コンサルタントはクライアントの前ではスーパーマンでなければならない。戦略コンサルの役割は実行に向けて経営会議でのモメンタムを作ること。実行まで踏み込まない以上、会議でやるぞという気にさせなければならない。

そのためには「この人はすごい」「この人のいう事を聞けば上手くいきそう」と思わせなければならない。そこで求められることがスーパーマンであること。プレゼン、質疑応答が的確であることは当然のことながら、自身のある話し方、目線、仕草に至るまでオーラを纏わねばならない。

アロガントにならぬようコンフィデンスであるように。